第19話『夏のはじまり』

「――……好きです」

「うえぇ!?せ、せせ、先輩!?」


 椛木乃の驚きと困惑が混じり合った大きな声が耳に響き、僕は目を覚ます。

 かなり近くで叫ばれたせいで、耳がキンキンとしてしまう。


「あれ……?」


 僕が目を開けると、椛木乃の家の天井が視界に入ってきた。

 どうやら、僕が言葉として口に出すタイミングで、夢の世界から戻ってきてしまったようだ。

 もしかして……これもリンさんが仕込んだ罠だったりするのか……?

 リンさんのことだから、そういうこともあり得そうで怖い。


「おはよう、椛木乃。今何時だ?」


 訝し気な視線をコチラへ向けてくる椛木乃に、とりあえず僕は朝の挨拶をしておく。


「……七時をちょっと過ぎたくらいだけど……」

「そうか……健康的だな」


 普段と変わらないどころか、いつもよりも断然早い。


「椛木乃は夏休みにも早起きしてて偉いなぁ」

「そ、そんなことないと思うけど……」

「いや、椛木乃は偉いからちゃんと誇ってもらっていいぞ。じゃあ……偉くない僕はもうちょっと寝るから」


 そう言って僕はもう一度まぶたを閉じる。


「ちょっと先輩!寝ないでよ!」


 だが、椛木乃に頬をぺちぺちされ、妨害されてしまう。


「何だよ?僕はこれから、あと七時間くらい寝るつもりでいるんだから、邪魔しないでくれ」

「七時間は寝すぎだよ!起きたらお昼になっちゃってるじゃん!」

「それがいいんだろ」


 何の予定も計画性もないまま、ただただひたすらに惰眠を貪る……。

 これが、夏休みの醍醐味と言っても過言ではないだろう。


「ダメだよ!というか、人の家で二度寝しないで!」

「そういやそうだった。ここ、椛木乃ん家だったわ」


 あまりにも椛木乃が馴染み過ぎているせいで、すっかり頭から抜けてしまっていた。

 僕は渋々ではあるが、おとなしくソファーから起き上がることにする。

 意識が覚醒し始めたおかげで、今日中にやっておかなくてはならないことを思い出した。


 僕は未だ睡魔と格闘している重たいまぶたを擦りながら、テーブルの上に置いてある自身のスマホを取る。

 そして、メッセージアプリを開いて響谷に一つ、メッセージを送信する。

 前準備は完了だ。


「先輩……?何かニヤニヤしてて気持ち悪い……」

「いや……なんというか……僕って優しいなぁ……って思ってさ」

「それ……自分で言うものじゃないと思うんだけど……」

「自分で言う以前に、椛木乃が言ってくれたんだけどな」

「うるさいなぁ……」



◆◇◆◇◆



 僕は今、椛木乃に連れられてショッピングモールに来ていた。

 夏休みに美憂たちに見せる海デート写真用に、水着を買っておきたいらしいのだ。


「先輩、これ……どうかなぁ?」


 椛木乃が手に取ったのは、可愛らしいチェック柄のビキニ。


「椛木乃、ちょっとそっち立ってみ」


 僕が指さしているのは、スタイル抜群なマネキンの横。

 椛木乃はマネキンの隣に立つ。


「その水着、自分の身体に当ててみ」

「え?う、うん」


 椛木乃は僕の言葉に困惑を示しつつも、それとなく自分の身体に水着を当てる。

 僕は少し後ろに下がって、椛木乃とマネキンを三度ほど見比べてみる。


「うん……うん……そうだな。その水着はやめておこうか」


 椛木乃の肩に手を置き、出来るだけ優しい口調で諭す。


「はあ!?先輩、どこ見て、どういう意味で言ってるの!?」

「それを伝えたら、さらに椛木乃のHPが削られるだけだぞ?」


 防御を投げ捨てて敵陣に突っ込むくらいの自殺行為だ。


「ぶっちゃけた話、攻め過ぎだと思うぞ」

「そ、そうかな……?」

「ああ。だからこういうやつの方がいいんじゃないか?」


 僕は近くにあったワンピース型の水着を椛木乃に手渡す。


「あ、これ可愛い」

「だろ?」


 そう言いつつも、椛木乃は水着をじっと見つめながら、悩む素振りを見せる。


「どうする?一旦、一人で選んでみるか?」

「……う、うん。そうしてみる」

「おっけ、分かった」


 時には自分一人で考えてみることも大事だろう。


 僕は椛木乃と別れて店から出ると、適当に店の前にあった休憩用のソファーに腰掛ける。


「ふぅ……さてと……」


 僕は一息つくと、スマホを取り出してメッセージアプリを開く。

 そして、頭の中で用意していた文言を文章として形にする。

 ある程度出来上がったところで、僕はメッセージを送信する。


<今後、行為が見受けられた場合、全てを広めます>


 さらに、僕は続けてメッセージを打っていく。


<こちらには証拠があります>

<協力者もいます>

<これがどういうことなのかしっかりと理解して行動してください>


 客観的に見なかったとしても、脅しでしかないようなメッセージの相手は、如月陽斗だ。

 如月陽斗が相手ではあるが……僕はこの文に強い確信があった。

 おそらく如月陽斗は反発してこない……と。

 如月陽斗は周りに見上げられる立場におり、甘い汁をすすり続けてきた男だ。

 同時に、自分の周りにいる人間が堕とされていく姿も、きっとたくさん見てきたハズだろう。

 それ故に、その矛先が自分に向けば、どうなってしまうのかは十分すぎるくらいに知っているだろう。

 この恐ろしさ……残酷さを知っている者だからこその戦法だ。

 どちらの意味でも。


 如月陽斗の連絡先については、響谷から今朝にもらったものだ。

 昨日――……終業式の日の罪滅ぼし……とまでは言わないが、昨日の宣言通りに響谷のことを共犯にしてやった。

 これで散る時は一緒だ。

 ああ……友情って素晴らしい。

 ついでと言っては申し訳ないのだが、美憂にも頼んで共犯になってもらった。

 つくづく、僕と関わりのある人間が『陽』寄りで良かった。


「先輩、お待たせ――……って、うーわ……」

「おお、おかえり」

「ただいま……」

「何だ?僕の顔に何か付いてるのか?」


 僕はスマホのカメラ機能で自身の顔を確認する。

 いつも以上に目が死んでいるところ以外は、特に変わった様子はなさそうだが……。


「何かまたニヤニヤしてるから。スマホで何見てたの?」

「いやぁ……椛木乃の水着を想像してた」

「きっっっも!」

「楽しみだなぁ……」

「本当に気持ち悪い!」


 ガチっぽい反応をされてしまったので、そろそろやめておくことにしよう。


 そんなこんなで、僕と椛木乃の夏休みは何事もなくぬるっと始まっていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る