第18話『二文字』

 やわらかな風に鼻先をくすぐられて、僕は目を覚ました。


「ん……?ここは……?」


 僕が目を覚ましたのは、椛木乃の家のリビングではなく、もう何度も見たことのある暖かな”あの場所”だ。

 ここに来るのはとても久しぶりだ。

 というより、そもそも夢自体、見るのが久しぶりだ。


「おはようございます、○○くん。よく眠れましたか?」


 聞き覚えのある若干のノイズがかかった声。

 僕はその声に反応して、思わず身構えてしまった。

 この前の夢――……最後に見た夢が未だに脳裏にこびりついてしまっているせいだ。

 あの……不愉快で不快な夢。


「どうしたんですか?○○くんの”大好きな”リンさんなんですけど……もしかして、忘れちゃいましたか?」

「いや……その……覚えてはいるんですけど……ちょっと、前回の夢が気になってて。あと、別に大好きではないです」

「前回の夢……ですか?」


 リンさんが首をかしげる。


「前回の夢というと……私が○○くんが童貞であることを見抜いた時ですね。別に○○くんが童貞でも、プレイボールでも、私は何も言いませんので気にしないで大丈夫ですよ」

「いやいや……そういうのじゃなくて。……っていうか、もっとこう……僕に名前を教えた日とかあったでしょう」

「○○くんが童貞だってことしか覚えてないで~す」

「そもそも、僕から童貞だとは認めてないですよ」


 まあ……実際のところ、童貞ではあるのだが。

 素直に認めるのはなんとなく癪だったので、ささやかな抵抗をしておく。


「ってことは……童貞ではないってことですか?」

「ノーコメントでお願いします」

「ふーん……残念でしたね。正直に認めてくれれば、卒業させてあげようと思ったのになぁ~?」


 リンさんの声色が悪戯っぽく変化する。


「アーソレハトテモザンネンダナー」

「も~、本当に素直じゃないなぁ」


 リンさんとのくだらないやり取りに、安心感を覚える。

 やっぱり、これがリンさんだ。


「……で、前回の夢って、どんな夢だったんですか?私、全く知らないんですけど」

「えーっと……簡潔に説明すると……体育倉庫にリンさん人がいて、僕にゲームを仕掛けてくる……って感じの夢だった気がします」

「あら?何だか少し曖昧な物言いですね」

「それが……そうなんですよ……」


 どんな夢だったのかはハッキリと覚えている。

 ハッキリと覚えていたおかげで、椛木乃のことを救うことが出来た。

 だが、どこかが薄れていて、何かが途切れてしまっているのだ。


「なるほど……それは不思議ですね。私も何か関係しているのでしょうかね……?」

「まあ……それはどうか分からないですけど、仮に関係していたとしても、リンさんには非はありませんから気にしないでください」


 リンさんのどことない様子の変化を感じ取ってしまった。

 今の僕のには少しキツイものがある。


「○○くん?もしかして、体調悪かったりします?」


 突然、脈絡のない質問をしてくる。


「いや……全然元気ですよ」

「そうですか。それなら全然いいんですけど……」

「逆にリンさんの方こそ大丈夫ですか?」

「まあ……少し気がかりなことはあるんですけど、概ね大丈夫です」

「気がかりなこと……?って、何ですか?」

「……○○くんは好きな人、いないんですか?」


 露骨な話題逸らし。

 これは、話したくないという意思表示なのだろう。


「……前にも言ったと思いますけど、椛木乃のことは結構好きですよ」


 僕は話に乗るように答えておく。

 話したくないようなことなんて誰にでもあることだ。

 しっかりとそれを示してくれているなら、わざわざ深追いして地雷を踏みしめる必要はないだろう。


「じゃあ……私のことは……?」


 儚げヒロイン風(?)にリンさんが聞いてくる。


「まあ……嫌いじゃないですよ」

「大好きって言ってくださいよ~」

「はあ……ダイスキデス」

「む~……私は○○くんのこと、大好きなんだけどなぁ……」

「知ってますよ」


 確か、初めてリンさんに会ったとき――……まだ、『リンさん』という名前すら知らなかった頃の話だ。


「や……やだぁ……もう……」

「何でそんな……乙女みたいな反応をするんですか?」

「そりゃ、乙女ですからね」

「ああ……まあ、そうですね」


 年齢が高いとは思えないが、『乙女』と言っていいような年齢でもなさそうだ。

 詳しい年齢は知らないし、聞くことも出来ないので、何とも言えないが。


「で、そんな乙女なリンさんなんですけど、○○くん的にはどうですか?」

「どうですかってどういう……?」

「私とも恋人をしてほしいって意味です」

「あー……嫌です」

「なんでですか?」

「あの……端的に言うと面倒くさそうだからです」


 現実世界の椛木乃で手いっぱいだというのに、夢でもそういうのが増えるのは流石に……面倒だ。

 相手がリンさんなのでなおさらだ。


「そんなに難しいお願いはしないですよ?」

「じゃあ……まあ、聞くだけ聞いておけます」

「私に告白をしてください」

「告白……ですか?」

「はい。簡単でしょう?ただ、私に『好き』と伝えるだけでいいんです」

「確かに簡単ですね」


 ただ一言。

 たった二文字を口に出すだけ。

 一秒もかからない。


「あ、簡単だとはいってもしっかりと心は込めてくださいね?演技でいいので」

「はあ……分かりました」

「じゃあ……私からいきます」

「あ、リンさんもやるんですね」


 リンさんが真っすぐと僕の方に向き直る。


「○○くん……」

「は、はい……」


 なんだか少し緊張してしまう。


「好きです」

「あ……ありがとうございます」


 童貞が発動してしまう。

 やはり、面と向かって好意を投げられると何とも言えない気持ちになる。

 顔見えてないけど。


「じゃあ……○○くんもお願いします」

「あ、はい」


 リンさんが両手を広げる。


「じゃあ……その……」


 僕は大きく息を吸い――……

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