第17話『僕の記憶を、君にエゴを』

 椛木乃と昇降口で合流した後、駅のベンチに座って電車の到着を待っていた。

 ホームにはまだ同じ高校の生徒が多くおり、恋人や友人たちと楽し気に話していた。

 そんな人たちで溢れ返る中で、僕と椛木乃の間には何とも言えない沈黙が流れていた。

 それが、周りの人たちの声をより耳障りに引き立てていた。


「先輩……その……ごめん……」


 椛木乃の謝罪の言葉が、そんな沈黙を破る。


「何で椛木乃が謝るんだよ」

「だって……私の不注意のせいでこんなことになっちゃって……先輩に……先輩に……」


 椛木乃が言葉に詰まり、俯く。


「何だよ?僕に迷惑になったとでも言いたいのか?」


 椛木乃は肯定も否定もしないまま、一言も発さない。

 それが応えになっていた。


「そんなん気にすんな。というか、椛木乃には迷惑かけられ慣れてるから安心しろ」

「でも……」

「忘れたのか?今の僕は椛木乃の恋人だぞ?迷惑なんてかけられてなんぼだ」


 お互いがお互いを支え合うのが恋人というものだろう。


「先輩……」

「だから、謝るのはやめてくれ」

「分かった……その……ありがとう……」

「どういたしまして」


 その後、やってきた電車に乗り込む。

 やや混み気味の電車内で揺られ続けること約五分。

 両者、一言も発さないまま椛木乃の最寄り駅に着き、電車が停車する。


「その……先輩……」


 椛木乃が制服の裾を力なく引っ張ってくる。


「今日……一緒に来てほしい……んだけど……」


 周りの喧騒にかき消されてしまいそうなほどに弱々しい、椛木乃の小さな声。

 その声は僕の耳にしっかりと届いていた。


「……ああ、分かった」


 僕の返事を聞くと、椛木乃は裾から手を離して電車から降りる。

 僕もそれに付いていく。


 なんとなく、弱っている椛木乃のことを一人にすることは出来なかった。



◆◇◆◇◆



 椛木乃の家に着いてから、かなりの時間が経った。

 時刻は既に十時を過ぎていた。

 自分の家に着いて気が休まったのか、椛木乃の元気も戻りつつあるようだった。


「先輩、そろそろ寝よ」

「ああ、そうだな」


 僕は一つ返事をして、ソファーに寝転がる。

 椛木乃はリビングの電気を消して、僕が横になっているソファーの前に戻ってくる。

 目を合わせること約五秒。


「……何だよ?寝るんじゃなかったのか?」


 微妙な空気に耐えきれなくなってしまった。


「先輩、詰めて」

「え?」

「一緒に寝るから、奥に詰めて」

「それは……って解釈でいいのか?」

「そういうことって、どういうこと?」

「いや……なんでもない」


 伝わらないんだったら、それでいい。

 変に説明するのも、何かちょっと気持ち悪い。

 僕はおとなしく奥の方へと詰める。

 ……ソファーに奥もクソもない気がするが。


「ありがと」


 椛木乃はゆっくりと僕の隣に横になる。

 すぐ目の前――……まつ毛の本数さえも数えられてしまいそうなほどの距離。


「……ちょっと、あんまりジロジロ見ないでよ」

「悪い悪い。あまりにも可愛かったから、ついつい見惚れてた」

「別に可愛くないし。バカなこと言ってないで早く寝よ」

「そうだな。じゃ、おやすみ」


 僕は椛木乃に背を向ける。


「おやすみ、先輩」


 僕は目を瞑る。

 すると椛木乃がゆっくりと大きく息を吐き出す。


「……ねえ、先輩」

「何だ?」

「先輩はさ、何でそんなに私に優しくしてくれるの?」

「そんなに優しくしてるか?」


 言われるほど優しくしているつもりはないし、優しく出来ている気もしない。


「先輩は優しいよ。というか、優しすぎるよ。だって、私のあんな変なお願いを聞いてくれてるんだよ?」

「変なお願いだって自覚があってくれて良かったよ」

「自覚あるし、お願いした時だって断られると思ってたよ。だからこそ、先輩だって変だよ」

「まあ、確かになぁ」


 『恋人のフリ』だなんてお願い、了承する方が稀だろう。


「椛木乃の聞いたのは、別に”優しさ”なんかじゃないよ」


 ただ……自分のエゴを押し付けているだけだ。


「じゃあ、どういうことなの?」

「聞きたいか?」


 僕は椛木乃の方へ向き直し、椛木乃と目が合う。


「先輩が良いんだったら……」

「僕は良いんだけど……重ためな話になるかもだけど、椛木乃は良いのか?」

「う、うん……」


 椛木乃が僕の言葉に少しだけ身構える。


「そっか」


 心の奥底に眠る、燻っていた嫌な記憶がふつふつと蘇ってくる。

 それらを噛み締めながら、僕はゆっくりと口を開く。


「……椛木乃はな、僕のと良く似ているんだ」

「私と?」

「ああ。周りを執拗に気にして、合わせすぎちゃうところとか、ちょっとウザいところとか、可愛いところとか」

「可愛いのは関係ないでしょ?」

「いや……可愛いんだよ。可愛かったんだよ、椛木乃もその人も」


 告白やナンパをされるくらいには。


「その人は告白されたんだ。クラスの陽キャに」


 クラスカーストの上位に居座り、とても強い影響力を持つ……如月陽斗のようなヤツに。


「椛木乃に昔、いろいろあったんだよな?」

「う、うん……何ともなかったけど……」

「それも一緒だったんだ。でも、あの人は断れなかった……逃げられなかったんだ」


 彼女は何度も何度も抵抗し続けていた。

 でも、抵抗なんて出来なかった。

 抵抗することさえも許されなかった。


「逃げられなかったって……」


 椛木乃は何かを察する。


「ああ……そうだ。僕も知らなかったし、詳しいことは今でも分かってない。ただ……逃げられなかったんだ」


 意外にも僕の心は乾いていた。


「その後な、いろいろと広まっていったんだ。写真とか動画とか、根も葉もない噂話とか……とにかく、いろいろと広まりまくったんだ」


 『クラス』を越えて『学年』を越えて『学校』に広まっていった。

 情報の錯綜というのはおそろしいもので、いつの間にか本来のものとは全く違ったものに変化して、膨らんで、飛び回る。

 そのうえ、止めることは出来ない。


 僕は今でも忘れやしない。

 画面越しの苦しんでいる彼女の姿を。

 異端な存在として腫れ物同然の扱いを受け、”社会”から外れ者にされた彼女の姿を。

 そして、ただただ怯えたまま何も出来なかった弱い僕の姿を。


「そのせいで壊れたんだ。いや……壊されたって方が正しいかもしれないけど……とにかく、それが原因で全てを諦めたんだ」

「そんな……」

「心ってさ、肉体なんかよりも遥かに脆いんだ。そのクセ、心が壊れたら肉体も道連れになるんだよ」


 肉体的な怪我は、創痕こそ残れど基本的にいずれ治るものがほとんどだ。

 だが、心の怪我は一生治ることなんてない。

 他人の手で治すことなんて出来ない。

 血は滲み続けるし、痛みに蝕まれ続ける。

 そんな状態に耐え続けられるほど、人間は丈夫に作られちゃいない。

 そうなれば、出来上がる道は自ずと一つになる。


「その人は、自らの手で自らをなかったことにしたんだ」


 これまでの椛木乃の境遇や出来事が、あまりにもその人と重なり過ぎて、最悪な考えが脳内に駆け巡ってしまったのだ。


「椛木乃のことを見てるとな……なんというか、その人のことを思い出すんだよ。嫌で嫌で仕方のない、苦しくて切ない感情が溢れて堪らなくなるんだよ」

「先輩……」


 椛木乃は何か言いたげに呟く。


「悪いな。重たい雰囲気にさせて。もう寝よう」

「……うん。そうだね」


 椛木乃は言葉を飲み込み、返事をする。

 決してチープな傷跡ではないが、言ってしまえばもう過去のことだ。

 割り切ることなんて僕には到底不可能だろうが、もう今は今だ。


「先輩……。私は……私はちゃんと分かってるから。先輩が優しくなれてること」


 僕の意識が薄れていく中で、椛木乃が独り言のようにつぶやく。


 優しく……か……。

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