第16話『魔の手』

 なんやかんやで夏休みまであと一日にまで迫っている。

 既に教室内は浮かれたような空気に包まれており、クラスメイト達はこれからの予定を楽しそうに立てていた。

 そんな楽し気な雰囲気に溢れている中で、僕は頭を悩ませたままだった。

 やはり、あの日から夢を一度も見ていない。

 『トラウマ再臨ゲーム』のついても、何一つとして進展がなかった。

 ここまで来ると、もう”ただの夢”として気にしないことにしてもいいと思ったのだが、がモヤモヤとした違和感が残ったまま、胸の辺りに引っかかり続けている。

 椛木乃絡みであるということもあって、軽く見ることなんて僕には出来なかった。


 朝のホームルームが終わると、終業式を行うために全校生徒が体育館に集められた。

 だが、残念なことに、この学校の体育館に冷房設備なんてものは備わっていない。

 人間の密度的な熱と、純粋な気温の高さのせいで、校長のありがたいお話も教務の先生の注意事項も、全く頭に入ってこなかった。


 終業式を終えて教室に戻ると、今学期最後のホームルームが行われた。

 そこで担任から一人一人に成績表が渡された。

 結果は、特段良くもなく悪くもない、まあまあなものだった。

 ひとしきり生徒たちが一喜一憂の声を上げた後、担任から浮かれすぎてハメを外すな的な話をされて、ホームルームが終わった。

 学級委員長が終わりの挨拶をすると、ほぼ発狂レベルの歓喜の叫び声や、これからハードになっていく部活への呪詛やらで、教室内が一気に騒がしくなった。

 それらの声を背中で聞きながら廊下に出ると、なんとはなしにスマホを確認する。

 スマホのロックを解除すると、メッセージアプリから通知が来ていることに気が付いた。

 椛木乃からかと思ったのだが、違った。

 『ウザかわメンド女』からだった。


「そういや、交換してたんだったな……」


 何か茶化しのメッセージでも送ってきやがったのだろうか。

 僕は通知をタップしてメッセージアプリを開く。


<ウザかわメンド女:千景がどっかいっちゃったっぽい。ヤバいかもしれない>


 美憂からのメッセージは予想だにしない緊迫した様子のものだった。

 僕はスマホをポケットにしまうと、急いで階段を下って三階に降りる。

 騒がしくたむろしている一年生たちを押しのけて、一年二組の教室の前まで行く。


「あ」


 教室内を覗くと、美憂の姿を見付けることは出来たのだが……。

 美憂は何人かの女子生徒たちに囲まれており、身動きが取れずにいるようだ。

 その集団の中には、おそらく一年生ではない、僕でも見たことのある女子生徒もいた。


 これがあの夢の人物が言っていた”ゲーム”なのだろうか……。


「だったら……」


 これがあのゲームなのだとしたら……。

 僕はを思い出した。


 僕は一年二組の教室を通り過ぎて、そのまま二階に降りる。

 そして、先程まで終業式が行われていた体育館にまで行く。

 体育館に椛木乃の姿はなかったが……その代わりに、一人の人物がポツンと立っていた。

 僕はその人物に声をかける。


「よ、


 僕の声に反応して、響谷の身体がビクッと小さく震える。


「あ……よ、よう……」


 響谷にいつものような元気はなく、取り繕ったような、どこか怯えているような表情を張り付けていた。


「こんなところに来て……どうしたんだ……?」

「なんかな、僕の彼女が消えたんだよ」


 出来るだけ普段の調子で答える。


「そうなの……か……」

「そうなんだよ。だから、ちょっと探しててな。一応見に来たんだけど……響谷、何か知らないか?」

「知らない……」

「そっか。まあ、そうだよな。んで、響谷の方こそ、こんなところに一人で……何してたんだ?」

「それは……」


 響谷が言い淀む。


「何かエロいことでもしてたのか?」

「違う……。そういう……やつじゃない……」

「じゃあ……一人じゃなかったりするのか?」


 そろそろ本題に入ろう。

 ここで無意味なやり取りを続けていたら、椛木乃の身に何か取り返しのつかないことが起きてしまう。


「もしかしなくても……はあそこが関係してたりするのか?」


 僕は体育倉庫の方を指さす。

 響谷は少しだけ首を動かして、僕が指さしている方向を見る。

 だが、何も言わない。


「答えられない理由でもあるのか?」


 それにも、響谷は答えない。

 何となくではあるが、見えてきた。


「なあ……響谷」


 僕は響谷の横を通り過ぎ、背中合わせのような形になる。


「響谷が何も言えない理由も分かった。でも、何もかもを言いたいって思ってることも分かってる。言いたくて言えないってもどかしいし、怖いよな」


 とても大きな圧力に逆らえない悔しさや苦しさも、『逆らってしまったら……』という恐怖も、僕は知っている。

 全てを見ていたことがある。


「でも……大丈夫だ。僕が何とかしてやるよ。もしかしたら……何ともならないかもしれないけど」

「なんとかって……どうするつもりなんだよ……?どうすることも出来ないだろ……?」

「まあ、ようはさえあれないいんだろ?」


 僕は背を向けたまま、響谷にスマホを見せる。


「僕がやってやるから。響谷は何も考えないで、もう帰って大丈夫だぞ」

「でも……俺はお前を裏切ったんだぞ……?」

「さっきも言ったろ?響谷の悔しさも苦しさもしっかり分かってるから。だから、気にすんな」


 もちろん、響谷は裏切った。

 だが、裏切らざるを得ないような状況に陥れているヤツがいる。

 後々、協力者――……もとい、共犯にしてやるってことで許してやろう。


「ごめん……ごめん……」

「いいってことよ。んじゃ、また夏休み明けにな」

「ああ……また……」


 響谷が体育館から出ていくのを確認してから、僕は体育倉庫の前に飛びつく。

 ありがたいことに、体育倉庫の鍵は外付けなので、鍵はかかっていない。


「やっぱり……か……」


 体育倉庫の中には、制服のはだけた椛木乃を押さえつけるズボンを脱いだ如月陽斗の姿があった。

 あの響谷がこんなことをするハズがない。

 如月陽斗が関係していると思ったよ。


 椛木乃は……ギリセーフといったところか……?

 僕は素早くカメラを構えると、カメラを起動してその姿をしっかりと収める。


「てめぇ!」


 如月陽斗の怒号が飛んでくる。

 いや、怒号を飛ばしたいのはこっちの方なのだが……?


「なんですか?」

「ふざけてんじゃねぇぞ!」


 如月陽斗はズボンを脱ぎ捨てたまま距離を詰めてきて、僕の胸倉を掴んでくる。

 至近距離の如月陽斗は、威圧感がすごかった。


「ふざけてるのはおそらくソッチの方だと思いますけどね。こんな気弱そうな女子に、こんなヒドいことしようとして……恥ずかしいとは思わ――……」


 突然視界が揺れ、鈍い音が頭の中に響く。


「せ、先輩!」


 椛木乃の悲鳴混じりの声が聞こえてくる。

 どうやら僕は殴られたらしい。

 一瞬の出来事すぎて理解が追いつかなかった。

 目の前がチカチカとして、後ろの方へよろけてしまう。

 左頬がだんだんと熱を帯び、身体が少しずつ痛みを理解し始める。


「いってぇな……」


 バスケ部の鍛え上げられた屈強な身体から放たれる強烈な一撃が痛くないワケがなかった。


「ちょっと!如月先輩!やめて!」


 椛木乃が如月陽斗のことを後ろから抑える。

 それによって、一瞬のスキが生まれる。

 逆切れ甚だしい如月陽斗の態度と、頬の痛みで苛立ちが生まれ始める。

 少しやり返してやることにしよう。

 ちょっとぐらいだったら許されるハズだろう。


「椛木乃、離れろ!」


 僕は未だ固まったままの如月陽斗の腹部へめがけて突っ込む。


「おらっ!」


 どれだけ体格が良かろうと、不意さえ突ければ逆転することは簡単だ。

 体勢を崩した如月陽斗の顔面を、僕は思いきり踏んでやる。


「ぶはっ!」


 如月陽斗の身体は難なく倒れた。


「椛木乃、大丈夫か?何ともないか?」


 僕は椛木乃の制服のボタンを閉めながら、椛木乃に声をかける。


「う、うん……大丈夫……」

「とりあえず大丈夫なら良かった。よし、じゃあ行くぞ」


 僕は椛木乃の手を引いて体育館から出る。


「おい!待て!」


 如月陽斗はここまでしてもなお、僕たちのことをしつこく追いかけてきた。

 とても早い。

 どんどんと足音が迫ってくる。

 このままじゃ捕まってしまう。


「なあ、椛木乃。一人で大丈夫そうか?」

「え……?う、うん!」

「じゃあ、走れ!あとで合流しよう!」


 僕は椛木乃の手を離すと、足を止めて振り返る。

 そのまま拳を握りしめて振りかぶる。

 如月陽斗はそれに気付いたようで、急いで足にブレーキをかける。

 だが、急には止まれない。

 僕の拳は、勢い付いたままの如月陽斗の腹部にクリーンヒットした。


「いぎっ!」


 如月陽斗は変な声を上げながら、腹を押さえてその場にうずくまる。

 もう少し何かしてやりたい気持ちはあったが、やり過ぎてコチラが咎められたらたまったものじゃないので、この辺でやめておくことにする。


 僕は如月陽斗をそのままに、昇降口に向かうのだった。

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