第15話『穏やかかつ、ささやかな不安』
椛木乃の家に泊まったあの日――……そして、あの不愉快で気持ちの悪い夢を見てから二週間ほどが経過しようとしていた。
学校は既に学期末考査の答案が返ってくるような時期になっており、学校内にはすっかり夏休みと同様な浮かれたような空気が流れていた。
そのせいか生徒のみならず教師側にも、やる気の『や』の字も見受けることが出来なかった。
なんやかんやで、夏休みまであと三日というところまで差し掛かっている。
この学校にいるほとんどの人間が、『今週を乗り切ることが出来れば……』という逃げの姿勢になっているのだろう。
そんな浮ついた雰囲気の中で僕はソワソワとした落ち着かない気持ちに苛まれていた。
僕はあの日を境にして、一度も夢を見ていない。
リンさんの夢でさえも見ていない。
ただ一つだけ、『トラウマ再臨ゲーム』と称されたアレだけが僕の心の中に不快なモヤモヤとして残されているだけだった。
「へんふぁい……?へんふぁーい?ふぁんふぁふぉーっとふぃふぇるへふぉ、らいじょーぶ?」
椛木乃が昼食を頬張りながら僕に話しかけてくる。
だが、リスのようにふくらんでいる頬が邪魔をしているせいで、何一つとして分からない。
「何て言ってるのかマジで分かんないから、とりあえず口の中の物を飲み込んでから喋ってくれ」
「ふぁんふぁ……ふぁわりふふぉいふぃーふぁふぁふぁね」
「なんて……?」
またも不明な言葉を残しながら、椛木乃はたっぷり咀嚼をしてから飲み込む。
「『先輩、何かぼーっとしてるけど大丈夫?』って聞きたかったの」
「あー……別に大丈夫だぞ」
「じゃあさ、私が今、何の話してたかちゃんと聞いてた?」
「えーっと……」
非常に申し訳ないのだが、全く聞いていなかった。
「……おっぱい派か、お尻派か……みたいな話だったっけか……?」
「違うよ!そんな話してないし、そもそもするワケないでしょ!」
「違ったか。ちなみに僕はまだおっぱい派だな」
「聞いてないし!というか、”まだ”って何!?」
「男っていうのは年齢を重ねていくと、どんどんとお尻派に移り変わっていくらしいんだ」
確か、どっかでそんなような話を聞いた覚えがある。
「だけど、僕はまだしっかりとおっぱい派だ」
再度、僕は確固たる意思表示をしておく。
正直、どっちでもいいが。
「そんなこと知らないよぉ!」
椛木乃は自身の胸の辺りを抱きしめる。
「……で、何の話をしてたんだっけ?」
「テストの結果の話だよ!」
「その話か。どうだったんだ」
僕が聞くと、椛木乃が『よくぞ聞いてくれました!』みたいな顔をする。
「めっっっっちゃ良かったよ!」
「本当かな~?」
「本当だよ!先輩に自慢したくて全部持ってきたから、見てよ!」
椛木乃がどや顔をしながら答案用紙の束を僕に渡してくる。
それを受け取り、点数を見て僕は目を疑う。
苦手と言っていた理系科目と英語と古典文法的なヤツを含めて、テストの範囲である十一教科全てで七十点以上を取っていた。
なんだったら、勉強会中に一番頭を悩ませていた数学に関しては、九八点という快挙的な点数を獲得している。
「どう!?スゴいでしょ!?」
「まあ……僕が先生をしてやったおかげだな」
「そんな偉大な先生は、どうだったんですか~?」
なんだろう……。
なんだかとても腹立たしい。
「ちょっと……忘れちゃったかもしれない」
「でも、今日何個か返ってきたんでしょ?それ、見せてよ」
「何でそのこと知ってんだよ」
「美憂ちゃんが言ってたの」
一体、美憂の情報網はどうなっているのだろうか。
「……そんな嫌な話よりも、もっと楽しい話でもしないか?」
「私ね……今、すっごく楽しいんだ」
「くっそ……」
今日の椛木乃は珍しく一歩たりとも引かないつもりでいるらしい。
「先に言っておくが、二年の内容は一年の内容よりも難しいからな」
「分かってるよ。というか、別に先輩の点数が悪くても悪くても何か言うつもりはないよ~?」
僕が答案用紙をカバンから出して差し出すと、椛木乃はニコニコとした顔のまま受け取る。
そして、僕の点数に目を通す。
「……よし、もう返してくれ」
なんとなくバカにしてそうな雰囲気を感じ取ったので、椛木乃の手から答案用紙を奪い取る。
「ちょっと!まだちゃんと見てない!」
「他人のテストの点数を”ちゃんと”見ようとするな」
「だってぇ~」
「だってじゃない。それに、これ以上見てたら僕から手が出るぞ?」
「あ、そういえばそうだった。先輩って後輩に普通に暴力振るうような人だった」
とても心外なことを言われた気がするが、折れてくれたのでよしとしよう。
まあ……あながち間違っちゃいないし。
「でさ……先輩。何かご褒美が欲しいなぁ~とか思っちゃったりしちゃってるんだけどぉ……」
「生憎だが、僕はエロいことしか出来ないぞ」
「先輩、童貞なのに?」
「おい?マジで一発いくぞ?」
僕は力いっぱい拳を握る。
コイツは……触れちゃいけねぇところに……触れた……ッ!
……という冗談は置いておいて、僕は握った拳を下げる。
「で、具体的に何してほしいんだ?」
「ジュースでも奢ってよ」
「何か高校生みたいだな」
「高校生だよ!?」
「あ、そうだったわ。じゃあ、季節限定のフラペチーノでも奢ってやるよ」
今の季節だと、メロンだった気がする。
「やった!……あ、そういえば……」
喜びの表情もつかの間、椛木乃が何かを思い出す。
「フラペチーノ思い出したんだけどさ、夏休みのデートの予定の話もしたくてさ」
「思い出しの引き金どうなってるんだよ」
フラペチーノの話から夏休みデートの予定の話を思い出す動線がよく分からない。
「この前、美憂ちゃんたちと一緒にカフェに行ったときに、その話されたからさ」
「なるほどな。ってことは、また美憂さんたちに『写真見せて』とか言われたってことか」
「うん。にやにやしながら三回くらい念押しされたよ。特に、美憂ちゃんがすんごいにやついてたよ」
やはり、美憂は『ウザメンド女』だ。
僕と椛木乃の関係が偽りであることは既に知っているのにも関わらずそういうことをしてくるのは、この状況を楽しんでいるとしか思えない。
可愛げが微塵も感じられないので、もはや『ウザメンド女』なのかもしれない。
「デート場所……どこがいいかなぁ……?出来れば、夏っぽいところが良いよねぇ……」
椛木乃は楽しそうにスマホを操作していた。
「まあ……無難に海とかでいいんじゃないか?」
「海かぁ……いいねぇ!じゃあさ、お祭りとかも行こうよ!」
「祭りなんてどっかこの辺でやってたっけ?」
「確か、学校の近くの公園でやってたハズだよ」
「そうなのか……全然知らなかった」
「じゃあ、お祭りも決定ね~」
椛木乃は無邪気な笑顔で予定を立てていた。
そんな姿をじっと見ていると、椛木乃と目が合う。
「先輩……?やっぱり何かぼんやりしてる気がするけど、本当に大丈夫?」
「僕がぼんやりしてるのは割と普段通りだろ」
「それはそうかもなんだけど……何か……そういうのじゃなくて……」
「大丈夫だよ。ただ、もうすっかり僕の彼女になったなぁ……って」
「うわぁ……先輩、きもぉ……」
そんなこんなしているうちに、昼休みは終わった。
夏休みまでの予定まで立ったワケだが。
生殺し状態のまま放置されているのは、流石にちょっと不安ではある。
「まあ……所詮、夢だしな……」
ただ嫌な夢を見た……と割り切っておくことしか今の僕には出来なかった。
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