第10話『ヒント』
独特な香りに鼻先をくすぐられて、僕は目を覚ました。
この香りの正体を僕は知っていた。
「ん……?海……?」
確認するために身体を起こすと、目の前には空とはまた少し違った青色がどこまでも広がっていた。
やはり海だった。
おそらくこれは夢なのだろうが、今回はいつもの場所とは違うみたいだった。
果たしてあの人は来るのだろうか……。
「おはようございます、○○くん」
来た。
これが夢である証拠。
顔も名前も知らない彼女だ。
「あ……おはようございます。ここってどこか知ってますか?」
「ここは夢です」
「あ、いや、そういうことを聞いてるんじゃないんですけど……」
「じゃあ、どういうことを聞いてるんでしょうか?」
彼女は大きく首をかしげる。
ちょっと腹立つ。
「えーっと……ちょっとどう説明すればいいか分かんないんですけど……ここがどこかって聞いてるんです」
「私もどう説明すればいいか分からないんですけど……ここは夢です」
僕の文言をマネして彼女は答える。
「……なるほど、ありがとうございます」
寝起きにダル絡みはしんどかったので、早々に会話を切り上げることにする。
「あれ?もうお話はおしまいですか?」
「じゃあ、この際だから聞いておきたかったんですけど……お名前って……」
「それ、セクハラなんですけど?」
「えぇ……」
昨今は女性に名前を聞くことさえも許されない時代になってしまったのだろうか……。
「いや……別にスリーサイズを聞いたワケじゃないんですけど……」
「スリーサイズくらいだったら教えてあげてもいいですよ」
「基準どうなってるんですか?かなりガバガバですね」
「ガードは固い方ですよ?」
「そういうくだらない下ネタ、言うんですね」
そんなタイプの人だとは思わなかった。
「下ネタは苦手ですか?」
「逆に聞きますけど……男子高校生が下ネタ苦手だと思いますか?」
「その言い方だと……大好きなんですね。えっち~」
彼女は自身の身体を抱きしめる。
「別に貴女に興味はないので安心してください」
「それ、女性としてはちょっとダメージなんですけどぉ?」
「えっちな目で見られたいっていう変な性癖ですか?」
「現役の男子高校生に『エロい女』として見られるのは、私的には光栄なことだと思っているので」
「そうなんですか……変態ですね」
僕はもう一度、砂浜に寝転がる。
アニメとかドラマとかでよく見るような構図だが、中々に寝づらい。
夢なのだから、もうちょっと融通を利かせてほしいものだが。
「寝ちゃうんですか?」
「まあ……もうやることもありませんし」
「私の名前は聞かなくていいんですか?」
「だって、セクハラになっちゃうらしいので」
「多少のセクハラだったら、許容しないこともありませんよ?」
「じゃあ、おっぱいを揉ませてください」
「いいですよ」
「え?」
思わず勢いよく身体を起こす。
適当に言っただけなのに、まさかの了承をされてしまった。
彼女は僕の隣に正座すると、胸を張る。
「さあ、どうぞ」
「いや……僕のこういうのは大体が冗談なので、あんまり本気にしないでください」
「『据え膳食わぬは男の恥』ですよ?」
彼女は僕の腕を掴むと、無理やり胸元へ持っていかれる。
「”膳”なんて高尚なモノじゃないでしょう」
「あーあ……そういうこと言っちゃうんだ~」
彼女は僕の腕を離すと、ぷいっとそっぽを向いて立ち上がる。
そのまま僕の背後に回ってくる。
え?何?
僕、殺されるの?
「えっと……あの……」
「前、向いててください」
「え?あ、はい」
僕は言われた通りに前を向く。
キラキラと輝く水平線が目いっぱいに広がっていた。
「よいしょっと……」
突然、僕の背中に重みがのしかかってくる。
「えーっと……何をしてるんですか?」
「後ろから抱き着いてます」
「あ、ああ……なるほど……」
「どうですか?”膳”くらいはあるでしょう?」
僕の全神経が背中に集中する。
「まあ……まあ……うん……そうですね……」
「しっかり堪能してるじゃないですか~。変態は一体どっちなんでしょうねぇ……?」
「えっと……その……すみません……」
童貞みたいな反応をしてしまう。
まあ、童貞なんだけどさ。
「どうですか?最近は元気にやってますか?」
僕にくっついたまま、彼女は話を始める。
正直、放してほしい気持ちよりも心地よさが僕の中で勝っていたので、特にツッコまないでおくことにする。
「まあ……ぼちぼちです」
「千景ちゃんはどうですか?」
「あ、椛木乃のこと知ってるんですね」
「まあ、一応。見てますから」
ということは、美憂や如月陽斗のことも知っているのだろうか。
「椛木乃は……椛木乃なりに頑張ってるんじゃないですかね」
「○○くんは千景ちゃんのこと、どう思ってるんですか?」
「いい後輩だと思ってますよ」
僕は即答する。
「そういう話じゃないんだけどなぁ~」
彼女は不満げな声を上げる。
「○○くんだったら、この質問の意図くらい分かってると思うんだけどな~」
「まあ、なんとなくは。それを理解したうえで、椛木乃のことはいい後輩だと思ってますよ」
実際、その答えは紛れもない本心だ。
「何か……○○くんらしいですね」
「そうですかね」
「そうですよ、先輩!」
突然の出来事に、僕の心臓がドキリと跳ね上がる。
彼女の声が、椛木乃の声にしか聞こえなかったのだ。
「んふふ、面白い反応しますね」
「何のつもりですか……?」
「んー?ちょっとからかおうと思っただけです」
彼女は悪戯っぽく笑いながら、僕の元から離れる。
「かなり心臓に悪いのでやめてください」
「善処はしま~す」
この人の目的は一体何なのだろうか……。
本当によく分からない。
「さーて……そろそろ目覚めちゃいますか?」
「まあ……僕の目的は果たせてないんですけど……いいですよ」
「名前のことですか?」
「そうですね」
「じゃあ……”リン”とだけ名乗っておきましょう」
「リンさん……ですか」
『名乗っておく』ということは、おそらく本当の名前ではないのだろう。
「あ、一応言っておきますと、『リン』というのはかなりのヒントになってますからね」
「ヒント……?僕とリンさんの関係についてのヒントですか?」
「まあ……そうですね」
何だか煮え切らない返事で誤魔化された気がしなくもない。
「私の名前、忘れないようにしてくださいね」
「分かってますよ。『リン』さんですよね。忘れません」
「ありがとうございます。では、また会いましょう」
「はい。また」
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