第8話『難』

 椛木乃とデート的なものをした翌日の日曜日の午後、僕はバイトに勤しむために、高校の近くの駅の前にあるファミリーレストランの中に入る。


「お疲れ様です」


 ちょうど入り口付近で作業をしていた五十代半ばくらいの店長に挨拶をする。


「あ、お疲れ様。今日もよろしくね~」

「はい。よろしくお願いします」


 一つあくびをしながら、『STAFF ONRY』と書かれている扉の先にある男子更衣室に行く。

 そこで、ウェイターの制服に着替える。

 時間を確認すると、まだシフトの時間まで余裕があったので、休憩スペースに顔を出しておく。

 おそらく響谷がいるハズだ。


「うーっす、お疲れさん」


 いた。

 休憩スペースの響谷は、机にうなだれながらスマホを見ていた。


「お疲れ、響谷。何見てんだ?」


 スマホを見ている響谷の瞳のハイライトは消えかかっている。


「んー……夏休みのバスケ部の練習予定日表だよ」

「あー……そっか。夏休みでも活動はあんのか。大変そうだな」

「ああ、あるぞぉ……、週五であるぞぉ……、なんだったら、試合までたくさんあるぞぉ……」


 響谷は恨めしそうな顔でスマホを睨みつける。


「そんなにイヤなら、もう部活やめようぜ」

「いや……別にイヤってワケじゃないんだけどな。ただ、ちょっと面倒くさいってだけだよ」

「ちょっと……?」

「悪い。ウソついたわ。本当はクッッッソ面倒くせぇ」


 それはもうイヤなのでは……?

 とは思ったが、埒が明かなそうだったので突っ込まないでおく。


「ま、”モテる”ってところをモチベーションにして頑張れよ」

「聞いてほしいんだけどさ。俺、中一の頃からずーっとバスケ部でやってきてるのよ」

「……おう」


 何となく会話の結末の予想が付いた。


「だけどな、彼女いない歴=年齢なんだよ。どうなってるんだろうな」

「それは……ご愁傷様。響谷にはきっといい人が見付かるよ。そんなことより、響谷に聞きたいことがあるんだけど、いいか?」

「何だよぉ……そんなことよりってぇ……。リア充がよぉ……。ま、いいや」


 響谷が身体を起こす。


「聞きたいことって何だ?」

「お前と同じ部活にさ、『如月陽斗』ってヤツいたよな?あの……僕の”彼女”のことをお前に話したヤツ」


 あまり言い慣れていないせいで、『彼女』という部分がちょっとぎこちなくなってしまった。

 幸いなことに、響谷には気付かれていないようだったので良かった。


「あー、はるちゃん?が、どうしたんだ?」


 どうやら響谷は如月陽斗のことを『はるちゃん』と呼ぶくらいには親睦を深めてるようだ。


「いや、どうしたってワケじゃないんだけどさ。どんな人なのかなぁ……っていう単純な興味」

「どんな人……ねぇ……」


 僕の言葉を聞いて、響谷が少し考える。


「まあ、とりあえずバスケがクッソ上手ぇな。おそらく、ウチの高校……どころか、この辺の地域規模で見てもトップになれるくらいには上手ぇ」

「確か……バスケ部のエースなんだったっけ?」


 椛木乃がそんなようなことを言っていたような気がしなくもない。


「そうだな。んで、そのおかげかめっちゃモテやがる」

「まあ、そうだろうな」


 どんなに年齢が上がろうとも、運動が出来るヤツはカッコよく見えるものなのだ。

 特に、バスケとサッカー。


「それだけか?そういうんじゃなくて、もっとこう……なんていうか……クズエピソード的なやつはないのか?」

「あるんだよなぁ……」


 響谷が即答する。


「おっ、マジか」

「お前、何か嬉しそうだな。性格ワリー」

「ああ、めちゃくちゃ嬉しい。というか、そういう響谷も楽しそうだけど?」

「ああ、めっちゃくちゃ楽しい」

「お前も良い性格してんな。じゃあ、聞かせてくれ」

「いっぱいあるけど?」

「一番いいのを頼む」

「じゃあ……彼女がいた時に五股した話とか?」


 おっと……。

 『一番いいの』とは言ったが、想像していたよりもかなりレベルが違った。


「他は?」

「未遂に終わったけど、後輩の女子を襲おうとした挙句、脅してなかったことにした話とか?」

「マジかよ……」


 思わず絶句してしまった。


「大丈夫か?」

「……大丈夫だ、問題ない」


 とりあえず、性格……特に女性関係に難ありといったところか……。

 いや、『難あり』どころのレベルじゃねぇが。


「気になったんだけどさ……響谷がその話を周りにバラして、如月の地位をどん底まで突き落とす……ってことは出来ないのか?」

「出来るわけないだろ。つーか、出来るんだったらとっくにやってるよ」

か……」

「ああ。アイツの権力っていうのはな、なんだよ。俺がいくら話したところで、誰も信じちゃくれねぇよ」

「そうか……響谷でも無理なのか……」


 『学校』という社会は結局、”権力”や”人脈”によって力関係が決まっていく。

 下の者が上の者に逆らうのは不可能なのだ。


「ありがとな、響谷」

「おう、いいってことよ。そろそろ時間だし、行こうぜ」

「そうだな」


 僕は響谷とともにフロアへと向かった。



◆◇◆◇◆



 この場所にを知っている人間は響谷しかいない。

 レストラン特有のクラシック調のBGMも相まって、ここは浮き者の僕の唯一の心安らぐ場所だ。


 僕は穏やかな気持ちでお客さんのオーダーを取りに行く。

 そこで……


「あ」

「あ」


 僕とそのお客さんは、ほとんど同時に驚きの声を上げる。

 僕がオーダーを取りに行ったテーブルにいたのは、椛木乃のお友達の『美憂ちゃん』だったのだ。

 ――……いや、『美憂ちゃん』呼びは流石に気持ち悪いか。


「……ご注文、お伺いいたします」


 出来るだけ、よそ行きスマイルで。

 出来るだけ、爽やか声優ボイスで。


「ふ~ん……先輩ってぇ、ここでバイトしてるんですねぇ」

「ご注文、お伺いいたします」


 一旦、無視しておく。


「もぉ~、ちょっとせんぱぁい。無視しないでくださいよぉ」

「アー、キミハカバキノノオトモダチノミユウサンジャナイデスカー。ゼンゼンキヅカナカッタヨー」

「普通に怒りますけどぉ、いいですかぁ?」

「あ……すみませんでした」


 美憂の目がちょっとガチっぽかったので、素直に謝罪しておくことにしよう。


「じゃあ……注文は、先輩をお持ち帰りでお願いしまぁす」

「申し訳ありませんが、『センパイ』は店頭のみのお召し上がりとなっております」


 そう言いつつ、僕は制服の第一ボタンに手をかける。


「ちょっとせんぱぁい。それセクハラにですよぉ?先輩のえっち~」

「君の方こそ、それは略奪になっちゃうんじゃないか?」


 罪の大きさとしてはどっこいどっこいだ。

 多分。


「じゃあ……カルボナーラとドリンクバーセットをお願いしまぁす」

「カルボナーラとドリンクバーセットでよろしいでしょうか?」

「はぁい」


 注文を復唱して確認すると、美憂が軽く頷く。

 僕はオーダー用の端末に注文を打ち込む。


「あ、せんぱぁい」

「はい?追加注文ですか?」

「あ、違いますぅ。バイト、何時に終わるか聞きたかったんですよぉ」

「えーっと……今って何時だ?」


 美憂がスマホで現在の時刻を確認してくれる。


「十四時三十三分ですぅ」

「じゃあ、あと三十分くらいだな」


 僕のバイトの終了時刻は十五時だ。


「本当ですかぁ?じゃあ、ちょっと先輩に話したいことがあるので、バイト終わりに少しだけ時間を頂いてもいいですかぁ?」

「別に構わないけど」

「じゃあ、お店の前で待ってますぅ」

「かしこまりました。では、少々お待ちください」


 二つの意味でな。

 僕はお決まりのセリフを言ってから、美憂のいるテーブルから離れた。

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