第4話『約束』

 人のいなくなった放課後の教室の中で一人、スマホを見ながら時間を潰していた。

 チラッと時計に目をやると、時刻は十五時三十分を少し過ぎたくらいだった。

 帰りのホームルームが終わってから、既に三十分ほど経過していた。


「さてと……そろそろ行くかな……」


 女性を待たせすぎるのは、紳士おとことしての箔が落ちる。

 もう手遅れかもしれないけど。


 僕は重い腰を上げて席から立つと、教室から出る。

 当然、廊下にも人の気配は一切ない。

 せいぜい、校庭で練習に勤しんでいる運動部の掛け声が小さく聞こえてくるくらいだった。

 昼休みと同じ道順で、椛木乃が待っているであろう一年二組の教室まで行く。


「椛木乃ー?いるかー?いないかー?」

「いるよぉ!先輩、遅すぎるよぉ!」


 教室内に声をかけると、かなりご立腹な様子の椛木乃の返事が飛んできた。


「悪い悪い。まあ……ちょっとな……」


 また面倒くさい椛木乃お友達に絡まれたくなかったから――……とかは、言わないでおくことにしよう。

 まあ、椛木乃の過去のトラウマの話を知っているのだとすれば、ただただ心優しい友人想いの子に見えないこともないが。


「ま、別にいいんだけどね。じゃ、帰ろ」

「ああ、そうだな」


 僕は椛木乃ととに一階まで降りると、昇降口で靴を履き替えてから校舎から出た。

 まだまだ空は真っ青で、めちゃくちゃ暑い。

 なんとなく『夏』という感じがして、なんだか少し良い気持ちになる。


「そういうえばさ、椛木乃に一個聞いときたいことがあるんだけど、いいか?」

「ん?何?」


 昼休みに椛木乃からされた『恋人のフリ』というかなり特殊なお願いを了承したのはいいのだが……。


「僕が椛木乃の恋人のフリをするのはいいんだけどさ、期間はどんくらいにすんのか決めてあんのか?」


 如月陽斗から椛木乃のことを守るという名目に則るとするのならば、如月陽斗が卒業するまでの、あと一年半くらいはこの関係を続けなくてはいけないことになる。

 だが、所詮”ウソ”は”ウソ”だ。

 続けていけば続けていくだけボロが出る可能性が高まっていく。

 そうなれば、当然バレてしまう確率だって上がってくるだろう。


「あ、あれぇ……?私、先輩にって言ってなかったっけ……?」

「何も聞いてないぞ」

「あれぇ……?伝えてなかったかぁ……」


 椛木乃はどこか気まずそうにしている。


「なんだよ?『あのこと』って……」

「実は……私ね、今年の夏休みが終わったら、ウチの高校からいなくなるの」

「……へ?」


 椛木乃の思わぬ発言に、僕の脳はそれを理解するのに時間がかかってしまった。


「おいおい、マジかよ……。マジで何も聞いてないぞ……」

「あ、もしかして先輩……寂しかったりしちゃってる?」


 椛木乃がニヤニヤとし出す。

 コイツは本当にふてぶてしい後輩だ。


「まあ……寂しくないって言ったらウソになるな」


 ただでさえ数少ない僕と関わりのある人間が一人減ってしまうんだ。

 そりゃ、寂しくないワケがないだろう。


「えぇ!?先輩が珍しく素直だ……!きっと明日は季節外れの大雪が降るよ……!夏の猛吹雪だよ……!」


 何かをぶつぶつと言っている椛木乃の頬を掴んで、ぐにぐにとしてやる。


「ちょ、ちょっと先輩!ソレやめてよぉ!」

「ま、引っ越しは仕方ないことだからな。別んとこ行っても頑張ってな」

「……先輩?やっぱり何かおかしいけど、本当に大丈夫?」

「別に大丈夫だから心配すんな。……ただ、そんな大事なことも伝えてもらえないくらいの間柄だったんだなぁ……って、ちょっと悲しい気持ちになっただけだよ」

「それは本当にゴメンってばぁ!わざとじゃなくて、忘れてただけなのぉ!」



◆◇◆◇◆



 いい具合に下校ラッシュからも外れていたおかげか、電車の中は空いていて、僕も椛木乃も難なく座ることが出来た。


「そういや椛木乃も僕に何か話したいこと……っていうか、相談したいことがあったんじゃなかったっけ?」

「あ、そうだった。忘れるところだった。先輩、今週の土曜日か日曜日のどっちか、空いてない?」

「日曜はバイトだけど、土曜は空いてるな」

「じゃ、じゃあさ……先輩……私と……で、デートシテッ!」


 一番大事なところで椛木乃の声が裏返ってしまい、椛木乃の顔が真っ赤に染まる。


「……ほしいんですけど……」

「とりあえず、一旦理由だけ聞いていいか?」

美優みゆうちゃんにね……あ、美憂ちゃんっていうのは、昼休みに一緒にいた髪の長い背の小さい方の子のことなんだけど……」


 先程のちっちゃい女子生徒は『美憂ちゃん』というらしい。


「で、その美憂ちゃんに『デートしないの?』って聞かれちゃって……それで、私も思わず『するよ』って言っちゃって……」

「なるほどな。つまり、見栄を張ったってワケか」

「うぐ……まあ、そうなんだけど」

「お前さ……」


 椛木乃の両頬を掴んで制裁でもくわえてやろうかと思って手を伸ばしたのだが、先回りでガードされてしまった。


「でも、そんなん適当言って繕っときゃ良くないか?」

「大変言いづらいんですけどぉ……美憂ちゃんたちに『写真見せて』って言われちゃいまして……」

「あー……そういうことね」


 現代技術の進化の賜物であり、文明の利器であるスマートフォン。

 今や生活必需品になりつつあるスマートフォン。

 それには、知っての通りカメラ機能なるものが搭載されており、いつでもどこでも写真を簡単に撮ることができる。

 友人の”デート”という浮ついた話となれば、写真の一つや二つくらい見たくなるのは当然のことだろう。


「だ、ダメかなぁ……?」

「いや、別にいいぞ。デートくらいだったらしてやるよ」

「え!?先輩、本当!?」

「ああ、本当だよ。一応、僕は椛木乃の恋人だからな。……まあ、フリではあるけど」

「先輩……!ありがと……!」

「どういたしまして」


 そんなこんなで、今週の土曜日は椛木乃と『デート』をするという予定が立ったのだった。



◆◇◆◇◆



「ふう……」


 温かなお湯に全身を包み込みながら、僕は一息つく。

 僕は夏であっても湯船に浸かるタイプの人間なのだ。

 ぬるま湯だけど。


「はあ……」


 ため息を一つこぼしながら、のことを考えていた。

 ここ最近、よく見る謎の女の人が出てくるあの夢。

 僕に『好き』と伝えてきた彼女は、一体誰なんだろうか。

 何故か彼女と話していると、懐かしさと苦しさで胸がいっぱいになる。


「なんなんだろうなぁ……」


 あっちは僕のことを知っているみたいだが、僕は何も思い出すことが出来ない。

 夢は夢だと分かっているし、夢であるという自覚もあるのだが……。

 何故か夢だとは思えない。


「まあ、考えても仕方ないか……」


 結局のところ、いくら思考したところで出てくる答えはそんなようなものしかないのだが。

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