第3話『恋人はじめました』

 昼休みまでの四時限目までを過ごしてみて、一つ分かったことがある。

 僕の儚い願いもむなしく、かなり面倒くさそうなことになっているみたいだった。

 確認できる範囲では、僕のいるクラスのとどまらず、二学年のほとんどがこの話を知っているみたいだった。


「……流石は、クラスのお友達の全員に知られてる有名人なだけはあるなぁ……」


 しかし、たった一人の人間が語る真偽不明の”噂話”だというのにも関わらず、広まり方が異常な気がしなくもない。

 如月陽斗というのは、にいる人間なのだろう。

 ますます関わりたくない。


「とりあえず、どこまで広まってんのか確認してみるか……」


 僕はスマホを取り出すと、メッセージアプリを開く。

 そこで、椛木乃からメッセージが届いていることに気が付いた。


<椛木乃:先輩、昼休みに私のいる教室に来てください>


 椛木乃にしては珍しい敬語の文章。

 文面だけで微かな緊張感が伝わってきた。

 それと同時に、僕の中に一抹の不安と嫌な予感が生まれた。


「まあ……ちょうどいいか」


 この教室にいたところで嫌な視線が集まってきて居心地が悪いだけだ。

 僕は教室から出ると、そのまま階段を下って一年生の教室が集まる三階まで移動する。

 そして、椛木乃が在籍している一年二組まで行く。

 二組の教室を覗くと、ちょうど入り口付近で女子生徒二人と話している椛木乃の姿を見付けた。


「椛木乃、来たぞ~」


 躊躇う理由など何もないので、普通に声をかける。

 しかし、僕の声に反応したのは椛木乃ではなかった。


千景にぃ、何か用ですかぁ?」


 妙にゆったりとした、甘ったるくて可愛らしい声。

 長い髪をカールした若干のギャル味を帯びた小柄な女子生徒。

 おそらく、この三人の中で一番権力の強い立ち位置にいる人間なのだろう。

 今の一瞬で、なんとなくそんな雰囲気を感じ取ることが出来た。


「いや、僕が用があるっていうよりかは、椛木乃に呼び出されたんだよ」

「あ~!もしかして……この人、じゃない!!?」


 もう一人の――……スラっと背の高いボーイッシュな女子生徒が黄色い声を上げる。


 ……ちょっと待て。

 今、『例の彼氏さん』って言わなかったか?

 いや、きっと気のせいだ。

 気のせいということにしておこう。


「千景ぇ?そうなのぉ?」


 椛木乃は気まずそうに俯いたまま、いつもより一層小さくなっていた。


「ふぅん……」


 ちっちゃい方の女子生徒が僕の全身を何周も見回してくる。


「まあ、そういうことならいいんですけどぉ……。千景にちょっとでもヒドイことしたらぁ……許しませんからねぇ?」


 『私たちの』という部分をやけに強調して話してくる。

 別に椛木乃は僕の物ではないので、安心して独占しててほしい。


「じゃあ、いってらっしゃーい!」


 椛木乃は半ば押し出される形で無理やり廊下に追い出された挙句、そのまま扉を閉められてしまった。

 女子高生というのは、中々に強引なものだ。


「で、何で僕のことを呼んだんだ?」

「先輩……ちょっと付いてきて……」


 椛木乃は未だ俯いたまま、一人で歩き出してしまった。

 いろいろと聞きたいことはあったのだが、とりあえず今はおとなしく椛木乃の後に付いていくことにした。



◆◇◆◇◆



 やがて、僕と椛木乃は滅多に人の来ることがない体育館裏へとやってくる。

 傍から見れば、きっと『告白』という名の甘酸っぱい青春イベントが始まろうとしている瞬間に見えているのだろう。

 しかし、椛木乃の表情は暗く沈んだままで、『青春』とは程遠いような重ためな空気が漂っていた。

 到底、『告白』などという雰囲気ではない。


「あのさ……先輩」


 椛木乃がゆっくりと口を開く。


「その……先輩にお願いが……あるんですけどぉ……」


 椛木乃の声色からは緊張の色を感じ取れた。


「そのお願いって断ったりしたら椛木乃は困るのか?」

「困るよぉ……大困りだよぉ……」

「そうなのか……。じゃあ、丁重にお断りさせていただきます」


 先程の椛木乃のメッセージに合わせて、僕も敬語で断ってみる。


「ねえ!なんでよぉ!」

「ごめんごめん。分かったから。とりあえず、話だけは聞いてやるよ」


 一旦、話”だけは”な。


「先輩……その、私の……」


 椛木乃は一度、息を全て吐ききる。

 そして顔を上げると、僕の目を真っすぐと見てくる。

 その瞳は、不安と緊張の色を帯びながらも、しっかりと僕のことを捉えていた。


「私の……”恋人”になってほしいの……!」

「……は?」


 まさかの甘酸っぱい青春イベントの発生だ。


「……あっ!いや、その……恋人っていうか、恋人のっていうか……なんだけど……」


 椛木乃は何かに気付き、焦った様子で訂正する。

 だが……


「それこそ何でだよ」


 まだ告白の方がギリ理解は出来るが、恋人の”フリ”は意味が分からない。


「先輩はもう知ってると思うんだけど……。私たちが付き合ってる的な話が広まっちゃってるじゃん?」

「やっぱり、椛木乃の周りにも広まってるのか……」


 残念なことに、先程のおっきい方の女子生徒の『例の彼氏さん』発言は聞き間違いや気のせいなんかではなかったようだ。


「それね、実は私も関係しちゃってるっていうか……私のせいっていうか……」

「マジかよ」


 それは予想外だ。

 てっきり、如月陽斗がナンパに失敗した腹いせに適当に流したのかと思ったのだが。


「どういうことなんだ?」

「昨日ね、偶然また如月先輩に会っちゃって……。それでまた私に『遊ぼう』って言ってきて……」


 如月陽斗は予想以上にしつこいヤツだったようだ。

 どんだけ椛木乃と遊びたいんだよ……。


「もしかして……それで咄嗟の言い訳に、僕と付き合ってるって言ったってことか?」

「そんなにハッキリとは言ってないんだけど……まあ、そんな感じ……。ごめん……先輩」

「別に椛木乃が謝るようなことは何もないだろ」


 しつこくナンパしてくる如月陽斗が悪いことは明白だ。


「まあ、そういう経緯があったってことは何となく分かったんだけどさ。なんで『恋人のフリ』なんかする必要があるんだ?」

「昨日、如月先輩が去り際に『諦めない』みたいなことを言ってたような気がして……」

「それは……気色悪いな」


 最低最悪な捨て台詞だ。


「それでちょっと……トラウマみたいなものが蘇ってきちゃって……」

「トラウマ……」

「うん……。私が昔付き合ってたことある人も如月先輩と同じ感じの陽キャみたいな人だったんだけど……その……無理やりね……されそうになったことが……あって……」


 椛木乃の声が震え始め、だんだんと声が小さくなっていく。


「あー……なるほどな……。何となく分かったから、無理して言わなくていい。思い出させてごめんな」


 別にここでトラウマを思い出させる必要なんてない。


「……分かった」


 一つ深呼吸をしてから、ハッキリとそう口にする。


「椛木乃の恋人になっ――……」


 キーンコーンカーンコーン。

 ちょうど良いタイミングで、昼休みの終わりを告げるチャイムが僕の言葉を遮ってくる。


「先輩……?」


 おい。

 どうしてくれるんだよ、この空気。


「その……椛木乃の恋人のフリをしてやるよ」

「先輩……!ありがと……!」

「ただし、僕からのお願いも聞いてくれ」

「うぇ!?せ、先輩のえっち!」


 椛木乃が一人で勝手に頬を赤く染め上げ、自分の身体を抱きしめる。

 まだ何も言っていないというのに。

 その思考回路の方が、よっぽどえっちなんじゃないか……?


「違うぞ。別に椛木乃の身体なんかにゃ興味ない。そういう系のお願いは、もっとえっちなお姉さんに聞いてもらうから安心しろ」

「先輩……きっっっしょ」

「うるせぇ。いいから黙って話を聞け」

「ご、ごめん。で、そのお願いってどんなの?」

「まあ、その……無理なお願いかもしれないけどさ……、もうあんな顔しないでほしい。僕も出来るだけ頑張るからさ」


 過去のトラウマを話す、今にも泣き出してしまいそうな椛木乃の姿が、記憶の奥底にいる人と重なって見えて、心臓の辺りきゅっとなってしまった。


「先輩……。うん、分かった。出来るだけあのことは思い出さないようにする」


 僕のお願いを椛木乃は了承する。

 そんな椛木乃の脳天に軽くチョップを喰らわせる。


「えぇ!?先輩、なんでぇ!?」

「いや……なんとなくだけど……」

「ちょっと!なんとなくで後輩に暴力を振るうなぁ!」


 椛木乃は頭を押さえながら、抗議の眼差しをコチラへ向けてくる。


「……あ、そうだ先輩。今日って一緒に帰れたりする?」

「別にいいけど……なんでだ?」

「もう一個話したいことっていうか……先輩に相談したいことがあったんだけど、昼休み終わっちゃったからさ」

「おっけ。じゃあ、ホームルームが終わっても教室で待ってろ。迎えに行ってやるから」

「分かった、先輩ありがと。じゃあ、またあとでね」

「ああ、またな」


 そんなこんなで、僕と椛木乃の少しおかしな夏が始まろうとしているのだった……。

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