第3話
その噂話を持ってきたのは、四月に入社したばかりの新人だった。
お嬢様大学を卒業し、父親のコネで入社してきた女子社員であり、事務仕事でもさせていればいいだろうという社長の判断で、この編集部へとやってきたのだ。
「おい、この原稿の書いたのだれだ」
編集長である若林がA4サイズのプリントされた紙を机に叩きつけながら、機嫌の悪そうな声で言う。
その瞬間、張り詰めた空気が編集部を支配し、しんと静まり返る。
「わたしです」
そう言って手を挙げたのは、福原あやねだった。例の新入社員である。
「福原か……」
若林編集長は半ばあきらめたような口調で呟き、振り上げた拳をどこへ降ろせばいいのかわからないといった顔をしてみせた。
「すいません、自分が書かせました」
責任は自分にあると言わんばかりに、磯村さとしが編集長席へと飛んで来た。
磯村は今年で三十五歳になる編集部のエースだ。
「若者たちのあいだで、いま噂になっている話を何回かに渡って連載形式で掲載しようかと思っています。その第一回目を福原さんに書いてもらおうかと思いまして」
「ほう。ただの都市伝説ってわけじゃないのか」
「はい、そうです。この話はただの噂話ではなく、実際に起きた事件とリンクしているという、奇妙な話だったりします。第一回目は、その噂話を福原さんに書いてもらって、二回目以降は私と福原さんでその噂話の真相を取材したものを書きたいと考えています」
「なるほど……面白そうじゃないか。それで、この『ミミック』っていうのは何なんだ?」
若林編集長が原稿のゲラを指さしながら言う。
「えー、ミミック知らないんですか、編集長」
福原あやねが本当に驚いた感じで言う。
その言葉に編集長はちょっとムッとした表情になったが、それを察した磯村がフォローをするかのように言葉を繋いだ。
「いま、SNSで噂になっているんですよ。『ミミック』というのは、英語では
「『人喰い箱』か。なかなかセンスがあるじゃないか。でも、実際に起きた事件なんだろ」
「そうですね。現実に起きているのは、三年前に発生した失踪事件です。ある日、忽然と妻とアパートの隣人が姿を消してしまった佐藤さんという方がいます。警察からは、奥さんと隣人を殺してどこかに埋めたんじゃないかって疑われていたらしいんですけれど、本人は潔白を主張し、証拠もないことから、逮捕はされていません」
「その話と『ミミック』っていう都市伝説がどこでリンクするんだ?」
編集長が磯村に問う。
「段ボール箱が届いたらしいんですよ」
「段ボール箱?」
訝しげな表情で編集長は言うと、どういうことだ説明しろといった表情を磯村に向けた。
「隣の部屋の荷物だったらしいんですけれど」
「なんで、隣の部屋の荷物を?」
「隣の部屋も佐藤だったらしいです」
「なんだか、ややこしい話だな」
「いや、それほどややこしい話ではないです」
磯村はそう言うと近くにあった椅子を引っ張ってきて、そこに腰をおろした。
「佐藤さんとその奥さんは、
「まあ、自分の家に来た荷物なら開けるわな」
「そこでインターホンが鳴って、隣の佐藤が訪ねてきたそうです」
「うちの荷物がそっちに届いてないかって?」
「そうです。それで佐藤さんが振り返ると、そこにいたはずの奥さんは居なくなっていた」
「はあ?」
なに言ってんだと言わんばかりの口調で編集長が言う。
「時間にして、一〇秒も経っていなかったということです」
「それっきり奥さんは姿を消しちまったっていうのか?」
「ええ。しかも、話はそれだけでは終わらず、その荷物を受け取った、隣の部屋の佐藤もその数日後に姿を消してしまったそうです」
磯村がそう言い終えると、編集長は口をへの字口にして黙っていた。このへの字口は編集長が何かを考えている時の癖だった。それを知っている磯村は、口を挟まずに若林編集長が口を開くのを待った。
「その奥さんと隣の部屋の佐藤が不倫していて、駆け落ちしちまったとかそういうオチじゃねえのか?」
「警察もその線で考えていた時期もあったみたいで、最初は佐藤さんの話をまともに聞こうとはしなかったようです。でも、佐藤さんの妻も、隣の部屋の佐藤も、スマホも財布も、何もかも置きっぱなしで姿を消しているんですよ。まったくの痕跡を残さずに」
「で、それと『ミミック』の何が繋がるんだ?」
そう編集長が言った時、もう我慢できないといった感じで福原あやねが口を挟んできた。
「だからー、ミミックは人喰い箱なんです。どうしてわからないんですか。宅配便で届いた箱にふたりとも食べられちゃったんですよ」
「じゃあ、その箱はどこに消えた?」
「それがわからないから、いま話題になっているんじゃないですか。差出人不明の荷物が、突然家の前に置き配されていたとか」
「何だそりゃ?」
素っ頓狂な声を上げた編集長に、福原あやねは驚いた顔をしてみせた。
「編集長は、ショート動画とか見ないんですか? そこら中にあがっていますよ」
「ごめん、わからない……」
その編集長の言葉に、福原あやねは大きくため息をついた。
これだから、おじさんは……。そう言葉が聞こえてきそうなため息だった。
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