第2話 なら仏像館

 昨日のお水取りニコ生、実にひどいものであった。準備がではない。撮影班がでもない。現地の観客である。宗教行事であるのにも関わらず何かの祭りや見世物だと勘違いしている人が実に多い上に、現地の誘導に素直に従わない人が多かった。おかげで練行衆の足音は警察の対応でかき消され、やり場のない怒りがわいていた。

 そのような思いを抱きながらも本日は奈良国立博物館に行ってきた。特別陳列は毎年恒例のお水取りで、スロープ前にはお松明のレプリカが設置されていた。

 752年、実忠という僧が兜率天とそつてんでみた儀礼をうつして観音悔過を行ったのが始まりである。展示作品の中には本尊・十一面観音を描いた絵巻物や曼荼羅が陳列されている。無論、この観音像は練行衆を含めて誰もみたことがない像で光背や天衣てんねの残欠からその姿を想像するしかない。だが、きっと今も奈良時代の観音像は奥で静かに人々の願いを聞いておられるのだろう。

 特別陳列の話はここくらいにしておき、なら仏像館の仏像の話をする。今回の特別展示は大神神社おおみわじんじゃ内にあった平等寺に伝来した、長谷寺普門院はせでらふもんいん・不動明王像である。この像はなかなか癖が強い。平安初期彫刻は実に個性派ぞろいである、神護寺薬師如来像や獅子窟寺薬師如来像、室生寺釈迦如来坐像……とにかくボリューム感がありオーバーな波表現が施される。殊に小波と大波をつくる翻波式ほんばしきは平安初期彫刻の共通点であるが、これが今回の像はくっきりと表れている。そして体躯は例にもれず贅沢な肉つき、腹部は大いに前に出ており、疑うことなく平安初期彫刻、おまけに近年に発見された室生寺の門の屋根裏から出てきた二天王像と横顔がそっくりなのである。疑わずしてこの時代の彫刻としていえる。

 ただ、一点だけひっかかったことである。それは右・左側を見たとき、その衣文がいわゆる翻波式の表現のようにみてとれなかったことである。確かに正面からみれば疑う必要はなかった。だが左右を見た瞬間、この衣文表現の是非について悩んでしまった。もちろん陳列位置の都合上、完全な側面からみることができてないが(右・左斜側というのが正確であるような気がするが)、衣文の彫りが薄かったような見え方をしてしまった。何度も確認してみてが、現状そのような見え方してるので安易に平安初期彫刻と断定してはいけないのかもしれない。だが、違和感はであった。ゆえに変にひねくれる必要はないのかもしれない。

 四月に大学院に入学予定だが、入学すれば早速平安初期彫刻の側面について基礎資料集成で確認しなおすので、改めてそこで検証していこうと考えている。

 

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