第6話
同級生が亡くなって寂しい、友人が居なくなって辛い、人の死は想像以上に苦しい。
だがそこから分かった事実も悲しい。その変化に、人々は慣れていく。慣れていかなければならない。日々はどんどんとすぎていくのだから。
明衣が亡くなってから数日が経ったが、実翔は宣言通りに机の上の花瓶係をこなした。
この位置につくために、まずは担任の先生に相談し、花瓶の花の入れ替えは自分が行いたいと述べれば、担任は涙ながらに了承した。
明衣は成績が飛びぬけて良いという訳ではなかったが、とにかく人柄がよかった。悪目立ちするようなことはせず、反抗的な態度もせず、遅刻や授業放棄などもすることのない良い子だった。
任されたことは責任もって行うし、同性で新人である担任とはたまに他愛のない話もしていたようだった。
派手でもなく、目立ちたがりでもなく、声が大きかったりクラスの中心人物だったわけではないが、クラスを穏やかにまとめている、欠かせない人物ではあったのだ。
だからこそ、担任にとっても明衣の死は大きいものであった。
自分が担当しているクラスの生徒が犠牲になった、という時点で苦しいものはあったが、もう少しで初めての担当が終わるこの時期まで積極的に接してくれた彼女は、どうしても可愛く思えてしまうのだ。
「花瓶の花、毎日買うのは大変でしょう。それに、毎日変えたらその花も悲しいと思うわ」
「そう、ですかね」
花は兄弟で買うとは話していたが、花の気持ちは考えていなかった。言われてみれば、と実翔は亡くなった彼女を思い浮かべる。
生花はその字のごとく生きているのだから、枯れる前に捨てられたら嫌かもしれない。自分で例えてみると、もう必要ないですよと言われて、切り捨てられるようなものなのだろうか。
自分は、担任や明衣のような想像力が足りない。
そう思っていると、担任は眉を下げながらも笑みを浮かべて、人差し指をたてた。
「だから、一週間にしましょう。金曜日の放課後に私が花を家に持ち帰るわ」
「分かりました」
「お花も私が買って、」
「いえ、花は自分の意志で買いたいんです」
担任の目が開く。彼女の知っている実翔は、ここまで何かに信念を通すタイプではなかった。
周りに人がいても、いつも一歩後ろで周りを見渡す、少し大人びた性格の男子だった。
双子の兄と間違いないように、と散々言われて区別はして接していたが、互いに一歩後ろから周りを見ている姿はよく似ていた。双子なだけある、と心の中で思っていたものだ。
そんな生徒が自主的に願い事をしてきているのだ。これが良いことなのか悪いことなのか、大人が勝手に判断するのは違うだろうと苦笑いをこぼす。
「それじゃあ、買ったら必ずレシートを私に渡すこと。その金額を私が返します。あくまで内密に、周りの先生……特に校長先生にはバレないように」
これが守れるなら許可します。実翔は少しだけ目を開いて、すぐに頭を下げて礼を述べた。
「大切な人が亡くなるって、日常が一つ消えるってことね」
担任の言葉に、少しだけ視線を遠くに向ける。
「けれど、碧木さん達が空閑さんのことをここまで気にしてくれるとは思わなかった。そんなに仲が良かったの?」
「……どうでしょう。俺は友人と思っていたけれど、兄はよく分からないです」
「そっか」
深く追求はされなかったことが、実翔は気持ちが楽になるようだった。
最後に約束事を再確認してから、職員室から出る。
部屋から出れば、扉の横に兄が壁に体を預けて立っていた。
「どうだった?」
「許してくれた。ていうか、お金も出してくれるって言ってくれたし」
「まあそうだろうね。教師として、生徒にそこまでさせるわけにはいかない」
壁から離れ、兄は鞄を背負いなおす。
弟から預かっていたコートとマフラーにリュックを当人に返せば、実翔は礼を述べてコートから受け取り廊下で羽織った。
暖房器具のない廊下は寒かった。息が白くなる中、兄を廊下に待たせたことを謝罪しながら次に受け取ったマフラーを巻いて、最後に鞄を肩にかけた。
「週一になるなら、日曜に買った方が良いか」
「ああ、そうだな。それだったら」
「自分だけで行く、って?」
自身が続けて言おうとした言葉を先に出され、思わず実翔は口ごもってしまう。そんな弟の姿を見て、兄は小さく笑った。
「気にしなくて良いって言っただろう。それに、日曜日に予定はあまり入れない」
言われてみればそうだ、と思い返す。
兄は休日に予定をあまり入れない。友人は多くいるはずなのに、遊ぶことは滅多に無い。
それは実翔もなのだが、兄がそうだから自分もそういうものなのかと、勝手に認識していた。
だが、今は互いに高校生である。勉強よりも遊びたい、と思う学生も多い時期だろう。兄は友人によく囲まれているし、遊びにも誘われているだろうに。
「まあ、真緒が嫌じゃないなら、好きにすれば」
「言うようになったな」
軽く肩を小突いてくるが、兄は笑みのままだ。
最近はその笑みが苦手だと、実翔は思い始めてしまった。
結果として、日曜日は二人と明衣で花屋に行くこととなった。
生まれてからこれまで、男だけで花屋に通ったことは双子共々初めてだったので、弟の方は最初、場違いな気分でそわそわと心が忙しなかったが、周囲を見れば大人の男性だっている。
色々な客が、色々な理由をもって花を買いに来るのだ。
そう考えが行きつけば、気まずさも薄れた。
明衣が好きな花を指さしていき、それを実翔が手に取る。兄は弟の選んだ花を見て、色合いを考えた花を選ぶ。そうしてできた数本の花束を買い上げた。
店員に、世間話として誰に渡すのかなどを聞かれたが、少し悩んで友人にと答えた。
日曜日に買った花は実翔の自室で保管しておいて、月曜日は今までより朝早くに起き、支度を終えた。
最初は母親も急な朝早くの行動に驚いていたが、学校でやることがあるのだと説明すれば、母親はそれ以上深く追求しなかった。家を出るのが一番遅くなったのは、母親になった。
花束の花びらが冬風で飛んでしまわない様にと、双子でそれぞれ風から花を守るように歩き、誰も居ない学校内に、体についた雪を叩き落としてから踏み入れる。
外の風が無い分、入った瞬間は温かく感じるが、すぐに学校内の静かで寂しい寒さに包まれてしまう。
寒さから逃れるように、双子は実翔と明衣の教室へと駆け足で向かった。
担任は約束通りに花を回収していたようで、そこに置いてあるのは空の花瓶。
花瓶を真緒が持って、花は実翔が抱えたまま手洗い場に向かい、花瓶を綺麗に洗ってから水を入れ、花を丁寧にさしていく。
横目で明衣の姿を見れば、彼女は嬉しそうな、けれど少し寂しそうな、複雑な笑みをこぼしていた。
これが正解なのか、自分の取った手段は間違っていなかったのか、実翔には分からない。
明衣に問うても、どうせはぐらかされる。それでも、彼女が寂しがっていたのは事実であり、その寂しさをなくすためにこうして行動をしているのだと、自分に言い聞かせた。
亡くなった彼女の机の上に花瓶を置いたら、双子はそれぞれ己のやりたいことをやる。
実翔は自分が花瓶担当だとバレないために、誰も居ない空き教室で予習などをすることにした。真緒は何食わぬ顔をして教室で本を読んだり、勉強をした。
花が入れ替わると当然クラスメイトはざわめく。何食わぬ顔でいつもの時間帯で教室に入れば、クラスメイトがちらちらと花瓶に目を向けていた。
「あ、実翔。花瓶の花変わったよな」
「ああ、そうだな。先生か誰かが変えたんじゃないか?」
さらりと言葉を返せば、友人は納得したようだ。
明衣に目を向ければ、彼女は眉を少しだけ下げながらも笑みを浮かべていた。
「言った通りだろ? 花が変われば、皆は忘れない」
「そうだね」
花を入れ替えた日からずっと、双子は毎朝早くに学校へ向かった。当然明衣もついてくる。
学校に早くついて、花瓶を手に取って水の入れ替えをする。花瓶についた少しのぬめりを冷たい水で洗って流し、綺麗な水を入れて花を戻す。寒く冷えている学校内で冷水をあびて、手は真っ赤になるし少しだけ震える。
明衣に無理しないで良いんだと言われても。担任に心配されても。それでも止めなかった。
例え、それが自己満足なのだとしても。
「少し良いかな?」
一週間の終わりが目前となる金曜日の夜。自室の扉の向こうから声をかけられ、実翔は勉強のために伏せていた顔を上げた。
彼が許可を出しても、相手は入ってこない。
仕方なく椅子から立ち上がって扉を開けば、真緒が両手それぞれにマグカップをもって、そこに立っていた。両手がふさがっていたから、部屋に入れなかったらしい。
それならもう一声かけろよ、と思いながらも、珍しいなという考えも浮かび首を傾げる。真緒は弟の動作に小さく苦笑いをこぼす。
「何かあったのか?」
「いや、少しだけ話相手になってほしいだけだよ」
そんなことを言われてしまえば、断ることなど出来まい。
兄は昔から、悩みなど色々な感情を自身の中に押し込む悪癖があった。
その度に、弟は自然と察しては、兄の部屋に訪れたりしていたのだが。
ここ数日、自分の事、空閑さんのことなどで頭がいっぱいで、周りに目を配れなかったな。
己の行動を思い出し、すぐに部屋の中に居る明衣の方へ意識を一瞬だけ向けるが、彼女の許可を取る意味も無いだろう。なんせ自室なのだから。
真緒を部屋に招けば、彼はまたいつもの笑みを張り付けながら礼を述べ、折り紙が積まれているローテーブルのところまで歩く。
テーブルの上に互いのカップを置くと同時に、兄弟そろって床に座った。
「いつの間にか増えているな」
「まあ、ね。どれかあげようか」
横目で明衣の方を見れば、彼女は実翔のベッドの隅で正座をし兄弟を眺めていた。
体を強張らせている辺り、緊張でもしているのだろう。背筋も、いつもより伸びているように見えた。
「良いよ。折角の大作だ。大切にしておけばいい」
「……そうか」
本当は受け取ってほしかったのだが。
そんな思いを勝手に押し付けるのは、真緒にも明衣にも失礼だろう。
大作が増えた折り紙の山から一つを丁寧に手に取りながら、それをテーブル端に移動させていく。
「それで、どうした」
「いや、最近疲れていないかと思って」
兄の言葉を聞いて、マグカップを手に取りながら思わず瞬く。
兄から見た自身は、疲れているように見えるだろうか。
カップに注がれているホットミルクの波紋を眺めながら、ここ数日を振り返る。
確かに、他者から見れば、亡くなった同級生の為に奮闘しているように見えるだろう。
人によっては、無茶をするなとも言われるかもしれない。
同級生、それも友人を亡くしたのだ。そもそもストレスを抱えているかもしれない、と考えるのは当然だっただろう。
「最近も、無理はしていないか」
「何でそう思う?」
「何か抱え込んでいる顔だと、見ればわかるさ」
そんなにわかりやすかっただろうか、と己の頬に手を添えれば、兄はニヤリと笑う。
「かかったな」
「……悪質だ」
眉間に皺を寄せ、相手を睨みつけるような顔つきのまま、わざと行儀悪く音を立てて飲み物を啜った。
「人の死は、他人であろうと精神的に来るものだ。実翔のクラスメイト、友人だった子はカウンセリングも行っているそうだよ」
「……俺も受けろってことか?」
「それはお前の自由だよ。ただ、彼女が亡くなる前と今では、様子が違うように見えてならない。無理をしているようにも思える」
ここ数日の、花瓶係の事も含めていっているのだろう。真緒はマグカップから手を離し、テーブルの隅に置いてある、明衣の作品に手を触れる。
「これだってそうだろう? お前にはこうした趣味は無かったはずだ。集中できる趣味に手を出せば、いやでも気になる」
目ざとい、と実翔は内心舌打ちをしそうになるが、兄の言葉は人間としてほぼ正しいとも言えた。
実翔が真緒に気を配るのと同じように、兄も弟の振る舞いは嫌でも気になるのだ。
だから、友人を亡くした弟の様子に目をつけている。見張っている、という言葉が一番しっくりくるだろう。
「……クラスの子も、彼女の死を受け入れようと、人によっては必死に今日を頑張っている。どんなことも、何でも、彼女の大事な一部なんだ」
口にすることは出来ないが、ここにある折り紙は、彼女がまだこの世に留まっている証拠でもあり、生前の彼女が変わらずに居てくれることを、教えてくれていることでもあった。
兄は弟の様子を見て、ゆっくりと視線を動かす。
「……そうか。俺もそう思いたい。だけどな、実翔。人間は思ったより、そう上手く出来ていないものだよ」
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