第7話
真緒はいつも貼り付けたような笑みを浮かべている。
だがその実、心の中には誰にも言えない感情をこっそりと抱えて、それをこっそりと相手に向けている。
一つは双子の弟、碧木実翔。
二つ目は、弟と同じ委員会に入っていた空閑明衣。
一卵性の双子である実翔と真緒は、親でも見分けが難しくなる時がある程、顔が似ていた。
声や他人に見せる表情も似ているため、幼い頃の両親は大層苦労した。好みも同じだったために、見分けのためにと物を買おうとしたが、役に立つことは大してなかった。
幼い頃の兄弟は、最初はそれこそ面白がって他者を揶揄いもして遊んだが、成長をして思春期と呼ばれる時期になると、互いの存在が疎ましく感じた。
個としての己を見てほしい、自分とは何者か。
年相応の悩みであるそれは、二人にはどうも重く圧し掛かったのだ。
顔が平均よりも整っていた双子は、恋心に目覚めた女子から格好の的となり、異性と関わることが増えた。
だが――……
「あ、実翔くん話が、」
「実翔なら、図書室に行ったよ」
皆で同じ制服を身に纏い始めると、今まで以上に他者から互いを間違えられることが増えた。
二人は互いに関して何も口にすることは無かったが、不満を抱えていたのは確実だろう。その結果、兄である真緒は自身の髪色を変えた。
坊主にでもすれば良い、とも言われるかもしれないが、見目も気にする年頃でもある。
それに今の時代、教師が髪を刈れなど言ってしまえば、簡単にパワハラなどと言われて問題視されてしまう。
つまりそれ程、教師陣も双子を間違え、自尊心を傷つけていたのは事実だったのである。
そうした時代を乗り越え、反抗心を最初に抜けたのは、弟の実翔だった。
兄が自ら姿を変えたことで、自身に害がなかったことに、感謝すらしたほどだった。
髪色という分かりやすい変化により、双子の間違いは極端に減った。
それは、荒れた二人の心を落ち着かせるには十分な成果だった。昔のように兄弟共に過ごす時間も戻り、二人が並ぶ姿を他者が見かけることも増えた。
だが、兄としては、まだもやもやとした感情を残したままだった。
双子とは言え性格の違いはあり、得意な物への実力差もあり、好みも少しずつ変化があり、個が出来たのに。
女子達はあくまで『顔の良い双子の片方』として己を扱っているのだと、他人の感情に敏感な兄はすぐに気付いた。
恋をするのは勝手だろう。個人の自由だ。自身は他人にとやかく言える立場でもない、同じ人間という身なのだから。
分かってはいたが、自分という個人に好意を向けられたい、と思っていた。それは贅沢な思いなのだろうか。
悩んで悩んで苦しんだ先に、彼は自分自身を見てくれる相手がいると気付いた。
その相手こそ、片割れである弟の実翔と、その弟と同じ委員会に所属する空閑明衣だった。
――ことの起こりは進級したばかりの、気温の安定しない時期だった。
その日、真緒はどうも調子が悪かった。
昨晩の夜更かしによる睡眠不足がたたったのか、と痛む頭と揺らぐ視野の中、一日を無難にやり過ごそうと思った。
取り繕うのは得意だった。周りの生徒は案の定気が付かず誤魔化されてくれたが、実翔はそう甘くなかった。
昼休み、廊下ですれ違った際に兄が声をかければ、弟は即座に真緒の手首をつかみ、彼の周囲に居たクラスメイトに一声かけて、保健室に放り込んだ。
「今日の担当は、少し席外しているのか。代わりに先生呼んでくるから」
保健室の椅子に座らされて、手際よく体温計を探し出しそれを手渡される。
素直に受け取ったのを確認した実翔は「先生を呼んでくるから勝手に出て行くなよ」と最後に念を押してから、教室を後にした。
「仕方がない……」
実翔は一度決めたら貫き通したがる、悪く言ってしまえば頑固な一面がある。
小さくため息を吐いて、脇に体温計を挟んでいると、扉が開いた。
そこに居たのは保険医ではなく、空閑明衣だった。
確か同学年、それも弟と共に委員会の集まりに並んでいたことから、弟のクラスメイトだったことも思い出した。
彼女は少しだけ驚いたように目を開いてから、慌てて早足でこちらに向かってくる。
「ご、ごめんなさい! 今日の当番は私だったのに!」
「いや、気にしてないよ」
彼女は慌てて、少しだけ散らかっているテーブルの上を漁る。
テーブルの上には、暇つぶしをしていたのだろうか、端切れを使ったような小さい折り鶴などが置いてある。
器用なものだと感心していると、体温計が鳴り結果を知らせた。
彼女は音を聞くと、テーブルの上に置いてあったボードを手に取りながら真緒に近づいた。
「体温を計ってくれていたんだね、ありがとう」
彼女があいている椅子に腰かけた際にボードに目を向ければ、紙が挟んであり、そこには「保健室利用者」と書かれていた。
体温計を取り出すと、世間一般で言う微熱より少し高い数値が表示されていた。
「熱があるね」
「これくらい大丈夫だよ」
「ダメだよ! だからここに来たんじゃないの?!」
慌てている明衣を見て、小さく笑みをこぼしながら「弟に行けと言われたんだ」と口にする。
「あ、実翔くんに? そっか、よかった」
「え?」
「だって実翔くんが気付いてくれなきゃ、ここに来なかったんでしょ? 感謝だね」
小さく笑っている彼女に一瞬呆けたが、弟と言ってすぐに実翔と分かったことを、真緒は聞き逃さなかった。
「よく分かったね、弟が実翔って」
「え? あ、ごめんなさい」
別に謝ってほしかったわけではないのだが、彼女は少しだけ気まずそうに頬を掻く。
「実は勝手に真緒くん達の事は知っていまして……」
「ふぅん、双子だから?」
いつものパターンだろうか、と貼り付けた笑みをこぼせば、彼女は少しだけ顔を赤くして、手を忙しなく動かした。
「えっと! 確かに二人は有名だけど、それだけじゃなくて!」
「それだけじゃない?」
「う、その……一年の時から、真緒くんは知っていて」
顔を真っ赤にしたまま段々と目を逸らしていくのが面白い。それと同時に、彼女がどういう感情を抱えているのかも、安易に理解できた。
それなら、少し揶揄ってみようか、と口角を上げる。
「ああ、去年の球技大会で個人テニス勝ったからね」
「え? えっと、間違えていたらごめん。個人優勝したのは、実翔くんじゃなかった? 確か、決勝で真緒くんと当たって……って、思い出させて嫌だったらごめんなさい!」
パチリと瞬きを一つすれば、彼女も瞬きを一つ。首を傾げながら、心配そうな表情だ。
弟に負けたことを真緒が気にしていたかもしれない、と考えたのだろう。そんなことは決してないのだが。
彼女の言う通りに、学年別球技大会で優勝したのは弟の実翔、準優勝したのは兄の真緒。
何なら、真緒は途中で面倒くさくなって手を抜き、優勝を弟に譲ったくらいだ。その結果、家に帰って弟に怒られたのだが。
だが、この結果は双子で戦ったこともあり、大体の人は双子のどちらが優勝したのか、あやふやだったり、間違えたりもする。
「大会かっこよかったよね」
手を合わせながら、明衣は満面の笑みを浮かべて気持ちを述べる。
「実翔が?」
「え? まあ彼もだけど、真緒くんも当然だよ!」
椅子から立ち上がってまで熱弁する彼女に、真緒は思わず仰け反ってしまう。
「でも、ふふ……真緒くん。最初は少し怖い人かもって思ったけど、やっぱり私達と同じ高校生なんだね」
「そう、かな」
「わ、凄い語っちゃった! ごめんねキモかったよね!」
明衣は顔を真っ赤にさせて、慌てて椅子に座りなおして、紙にペンを走らせる。
怖い人かもしれない、と女子に思われたのは初めてかもしれない。それほどまでに、実翔は他者に向けては常に笑顔を浮かべていたと自負していた。
きっと、彼女も自身と同じく敏い人なのだろう。
「えっと、もう少しで先生戻ってくるから。そうしたら薬とか貰えるからちゃんと休んでね」
「あ、うん」
利用者の欄に名前を書くようにと、ボードを手渡される。
そこに己の名前を記入し委員である彼女に返せば、明衣は真緒の名前の枠の隣に己の名前を記入する。
利用者に名前を書いてもらい、それを保健委員が許可をしたという証明が必要だったわけだ。
明衣が名前を記入する際、真緒はその仕草をつい眺めていた。
――綺麗な字を書く子だな
女子特有の丸さは少し有りつつも、細身にまとめられた、綺麗で読みやすい字は、彼女自身を表している様だった。
それからホンの数刻。保険医が戻ってきたので明衣が説明すれば、保険医の許可である判子が押された。
それを確認した明衣は促されたのもあり、教室に戻ろうとする。
「あ、真緒くん」
教室から去る前に、最後に一声かける。彼女の頬は少しだけ色づいていた。
「おだいじにね」
それだけ言って去った彼女の背を見送った。
それだけだ。
彼女と行ったちゃんとした会話も、顔を合わせたことも。
出会いは偶然で一瞬だった。だが、彼からすれば充分すぎる時間だったのだ。
それ以降、周りにはバレない程度に、彼女を目で追うようになった。
弟のクラスへわざわざ理由をつけて向かうのも、彼女と話せる可能性に賭けたからだ。実翔は、真緒と明衣が関わっていたことを知らなかったが。
結果として、彼女から話しかけられることも無ければ、彼から話しかけることも無かった。
今までの女子とは違って積極的ではないが、真緒がクラスに来れば、実翔の近くの席に居た彼女の耳が赤くなっているのが、こっそりと見えた。
こそりとこちらを覗き見る目には、確かな熱があった。
それがひどく、恋しいとすら思った。
そんなある日、己の下駄箱に小さな手紙が入っていた。
取り出してみると、小さなハートを留め具とした手紙の形に折られている、可愛らしい色合いな折り紙の手紙だった。
見た目からしても、気持ちは伝わってくる。
ゆっくりと手紙をほぐしていくと、そこに書いてあったのは『好きです』の一言だけ。
相手の名前も、真緒の名前も無かったが、字体と保健室で見た彼女の趣味を思い出して、明衣からだとすぐに気付いた。
「……手紙を、真っ直ぐな好意をもらうのは、はじめてだな」
名を書かないということは、自身とどうこうなりたい、という目的ではないのだろう。思いを告げたかっただけ、かもしれない。
だから、相手に聞くのは野暮かもしれない。
君は俺が好きなのか。手紙をくれたのは君だろうか、と。
相手を困らせてしまうかもしれない。
そこまで相手の事を考えたのも、真緒にとっては初めての経験だった。
だから、これからは今までよりは声をかけたり、挨拶をするのは許されるだろうか。
そう、こうした手紙や気持ちを抱いたのは初めてだったので、真緒は珍しく浮かれていた。
――だが、それはその場面を目にするまでの話だ。
体育祭で、大切な二人のいる救護用テントに顔を見せようと向かっていた時、明衣が実翔に、自身と貰ったのと同じ形の手紙を笑顔で手渡しているのを見た。
真緒と実翔はよく似ている。
そんなのは生まれて十数年で充分理解していた。当事者である身からは理解しがたいが、『双子だから同じだろう』ということで、兄弟のどちらかと付き合えたらそれでいい、どちらかと仲良く出来たらそれでいい、という感情を持つものは多かった。
だから、つまり、そういうことなのだろう。
わざわざ宛名無しの手紙を渡したのは。こちらに好意を向けるのも。
――そりゃあ、どちらでも良いのだろう。何と言ったって、俺はあいつとそっくりな兄だ。クラスメイトで同じ委員として仲良くしてくれた弟とそっくりな兄に、代わりの想いを預けようとでもしたのか。その程度の……。
その程度の事で、今までと同じことが起こっただけなのに、何がこんなに腹立たしいのか、苦しいのか、真緒はちっとも分らない。
憎いのなら憎いと、ハッキリと納得して拒絶してしまえばいいのに。どうしても二人に対して向けることは出来なかった。
向けてしまえば苦しむだけだとも理解して、頭が狂いそうになる。
感情を押し込むのは慣れていたはずなのに、こんなに苦しませて、更に憎らしいと思うのに。
やっぱり彼女は、死んだ後も自分ではなく弟の実翔の隣を選んだのだ。
それがたまらなく苦しく、本当に狂いそうになった。
二人が並んでいるのが見える度に、二人への思いが重なっていく。
昨日も憎かった。今日も憎い。きっと明日も憎いと思うのだろう。
結果として、真緒は実翔と明衣に対して、一言では言い表せない感情を抱え、向けている。
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