第一章最終話 『くん活』の始まりはここから

 目の前にいるラルディーリーさんは今となっては無表情だ。無表情のまま片方の瞳から伝わる滴。私の身体から仄かに薫るラルディーリーさんの本心の匂いが彼女に伝わったのだろう。


 『だろう』ばかりでもいい。

 不確かな私達だっていい。


 私やファナちゃんを助けててくれた、ヘカティアちゃんやローガンさんがいるように、


 お姉ちゃんを心配するファナちゃんがいるように、


 心を喪った貴女を、

 独りで何でも抱え込んじゃうラルディーリーさんを、


 そんな彼女を助ける私がこの世界にいたっていいじゃない。


「お姉ちゃんを……救って……」

「うぬっファナ君、気がついたのか?! 良かった」


「ヘカティア……シ、シイナに……」

「大丈夫だよ、僕が念で伝えなくても大丈夫さ。君が無事であることは匂いでわかっているだろう」


 身体に風を集める。神獣に纏わりついた影を取り除いたときのように。


 大神官ヘルメス・レターソンだけが使用できた全てを清める聖なる風。


「あら……本当に厄介ね。私の能力を引き出させた張本人の技を使用するだなんて……」


 私は言葉を発することなく、眼を閉じ集中した。


「神獣に纏わりついた影兵を除去した聖なる風……追い詰めた私を殺すのに使用するとは……思っていたわ」


 ラルディーリーさんは春疾風の動作を見た瞬間、影の中に溶け地面を高速で移動した。忍び寄る影が、無防備な身体の前に現れる。


「いかんっ、シイナ君!」

「シ、シイナっ!」


「ファナに影を潜ませて正解だったわ。初見ならあの風に飲み込まれて殺されていたかもしれないわ。でも……」


【ファナとの戦いで使用した貴女の負けよ】


 不適な笑みと、優雅な眼差しが私を見下す。隠れていた月灯りが射し込み、彼女を照らしている。万物全てがラルディーリーさんを祝福しているかのような錯覚さえ感じる。


 優雅な身のこなしに合わせ、彼女を纏う黒いドレスがヒラリと舞う。


 差し詰め、彼女は月に愛された『かぐや姫』だ。だが艶やかな印象とは対照的に、ラルディーリーさんは黒一色のロングドレスを着ている。刺繍が凝っており、ラルディーリーさんの品を更に高めていた。


 彼女になら殺されても文句は言えない。あの長い睫から覗く魅惑の瞳の潤いが全てを許してしまいそうになる。


 ラルディーリーさんは、距離を詰めた後に『さようなら、不確かな希望さん』とだけ呟き、漆黒のダガーが腹部を貫いていた。


 春疾風の風の流れを全て読み解き、避けきった彼女は魔法をしようせず、物理攻撃で心臓を射貫いてきた。


 魔法であれば、私が対策をする可能性がある。だったら、物理攻撃による一撃の方が確実だと思ったのだろう。


「シイナァ……嘘よ……だめ、そんなの嫌ぁああ!! 死なないでっ!!」


 嘆きの声が響き渡る。


「シイナ君っ"!!」

「そんな終わり方では、シイナは僕の眷属けんぞくになっ……」


「……はい、そこまで。ヘカティアちゃんだけ気づいていたんだね」


 私は声を出した。足下から。


「ま、まさか……」


 ラルディーリーさんの声が少々震えているように聞こえた。それも仕方がない事だ。


 ラルディーリーさんが貫いていたのはライムちゃんが作ってくれた虚像。それは私本体ではない。


 【春疾風】はフェイク。発動したように見せかけただけで、そこにいる私は本物ではない。


 私本体はもっと下。そう、ラルディーリーさんの影に潜んでいた。


 私は一瞬の隙をついて、影から飛び出し詠唱した。いや、正式には発動した瞬間に決着はついていた。


 ラルディーリーさんは無数の白い光に襲われ爆発に巻き込まれている。


 漆黒を従えたラルディーリーさんは対照的な白い光の中へ。激しい音は爆発してから数秒後に遅れてやってきた。


「な……に……今の技は……」


 倒れたラルディーリーさんから吐息のような声が漏れた。


「あれはね、魔人さんから教えてもらった古代詠唱で発動したオメガドライブだよ」

「古代……詠唱。そう、私が知らないと言うことは、ファナと別行動している間に習得したようね……」


 ご明察、ラルディーリーさん。ファナちゃんの影から存在外を出現させた時に、春疾風は知られている可能性が高いと判断した。


 なら、春疾風を発動するフリをすれば、ラルディーリーさんは騙されるかもしれないと判断した私。


 考察が正しいのであれば、古代詠唱だけはまだ気づかれていない可能性がある。万が一私の影に存在外を忍ばせている可能性もあったが、賭けに出て正解だった。


「古代詠唱、知られていたとしても、対処は難しいから、私の一撃の方が勝るとは思っていたよ!!」

「そう……『不確かな』ではなく、あなたは私より『確かな』力を持っていたよう……ね……ゴッホ」


 ラルディーリーさんは酷く咳き込み吐血した。顔色は極端に悪くなっており、出会った時に比べ弱々しい声になっていた。


「大丈夫ですか?! ライムちゃん!!」

「回復系は無駄よ。私は『呪われ』の瘴気しょうきに長く触れすぎたわ。あれは、ただの状態異常ではないわ。ゴッホ」


「お姉ちゃん、しっかりして!!」

「私はもう長くないわ、ファナ。あなたは私より確かな力を持った仲間がいるわ。【シイナ】を大切にしなさい」


「だめよ、お姉ちゃんまで私を置いてかないで!!」


「そうだよ」


 私はラルディーリーさんの元に向かった。


「シイナ・カグヤマ……。私の願いを聞きなさい」

「ファナちゃんは大好きだけど、その要求には従いません」


 私はハッキリ言った「嫌です」と。


「ファナの傍にいて。命令よ……」


 流石、ラルディーリーさん。この期に及んで『命令』だなんて、お高い人だ。素直に「はい、仰せのとーりにー!」と叫びたい気持ちを抑え拒否をした。


「命令も何も、ラルディーリーさん、私との約束叶えてくれてないもん」

「約……束?」


「ほら、忘れてる。私言いましたよ『ラルディーリーさんを嗅ぎたい』って」


 そう言って彼女に近づき嗅いだ私。


「うん、やっぱりラルディーリーさん本来の匂いがわからない……存在外よりも、瘴気の匂いが原因かな……」


 瘴気の匂いは複雑な匂いがした。だが、古代詠唱と良く似ている部分があり、全く理解出来ないという事はなかった。


 知識をかき集め、香りを形成さしている組織の配列を知り、香りから醸し出される特有の情報を分析した。


「シイナっ!お姉ちゃんを……」

「大丈夫。私なら、複雑な術式も解読できる。存在外の中でラルディーリーさんの感情にも触れた私なら……」


 私の肩にライムちゃんが寄り添う。お互い見つめあった後、ラルディーリーさんへと伸ばした手に全集中した。


 徐々に血色が良くなって来ている。だが、彼女の身体を蝕む瘴気はまだ消えていない。何度も吐血をしていた。


「ありがとう……でも、もう止めなさい」

「いや、辞めないっ! 俯いても何も嗅げない。嗅ぐためには、いつだって前を向かなきゃ!」


 お願い、私!!

 助けたい人がいるのだから、頑張れ!!


 目映い光が辺りを包み、ラルディーリーさんから薄い黄色い丸い光の粒がゆっくりと空へ上昇していった。


 蛍のように優しい光。淡い光が何とも幻想的だった。


「ははは……僕は今夢を見ているのだろうか。この優しい光は、彼女の……セーナが僕を救ってくれた時と同じじゃないか……」

「何十年振りだ……まさしくこれは【万能ヒール】の光だ。セーナが、セーナだけが操れた、幻の回復魔法じゃ……ううっ」


 ヘカティアちゃんとローガンさんは私が発生させた光を見て涙していた。


 私は万能ヒールだなんて知らない、でも何故今使えたの……私には今はライムちゃんしか……


「ライムちゃん。もしかして、セーナさんに助けてもらった事があったの?」


 私の問いに「キュ」とだけ返事してくれた。


 そっか。ライムちゃんが回復系が使えるのは、過去にセーナさんに会っていたからなんだね……


「……素敵ね。不確かな力は、確かな力をも越えるのね……」

「お、お姉ちゃんっ!!!!」


 ゆっくりと上体を起こしたラルディーリーさんの様子を見て、たまらずファナちゃんは彼女の胸に飛び込んだ。


「気づかなくてごめんなさい……お姉ちゃん独りに負担ばかりかけてごめんなさい……」

「馬鹿ね……妹を想う姉がいるのは当然よ」


 私は声を掛けなかった。今は2人だけの、家族だけの時間が必要だ。互いを想うからこそ、想いが強ければ強いほど、人は時に極端な行動に出る事だってある。


「さて、最後の宿題が残されているね」


 私は、歩を進み玉座の前に止まった。


 近づいただけで濃い瘴気を感じる。ラルディーリーさんは自らを犠牲にし、この玉座と闘っていてくれたんだ。


 誰にも相談せず、独りで苦しみながら……


 ラルディーリーさんの瘴気を取り除けた私には実績がある。


 手をかざし、願う。


『瘴気よ消えなさい』と。


 玉座は目映い光を発生し、この場に居たものは眼を閉じていた。しばらくして、眼を開くと、色を取り戻した普通の玉座が戻ってきた。


「これで、全部完了っと~。ふぃ~疲れた」

「まだよ」


 ライムちゃんと一緒に伸びをしていたところ、ラルディーリーさんから呼び止められた。


「ほ?! 何かやり残した宿題って有ったっけ~」

「あら? 貴女ほどの人間でも欲望を忘れる事もあるのね」


 そういってラルディーリーさんは私をゆっくりと抱きしめてくれた。


「さぁ、いっぱい嗅ぐといいわ。お望みなのでしょ?」


 ……。


 あ、忘れてたぁ!!闘いの終盤までは憶えていたのに~!


「いい……んですよね?」

「今更遠慮なんかしないでくださる?」


 私はお言葉に甘えて、ラルディーリーさんに抱擁してもらった。


 肩も肘も、脚だって!!

 柔らかいの、細いの、すべすべなの!!


 流石、ファナちゃんのお姉ちゃんっ!!


 もう、私の気持ちは高揚しっぱなし。何もやり残した事はない。


 ラルディーリーさんも止めたし、呪いの玉座の浄化も完了した。


 後は私の鼻腔を駆使し、風を取り込みラルディーリーさんの香りを吸引するだけだ。


 正に辺りの空気を操る秘技、鼻式春疾風っ!!


【いただきます】


 ご馳走をこれからいただくのだ。食事の挨拶くらい嗜めてい……


 くんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんか。


 くんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんか。


 ふははは。


 誰も私を止める事はできぬ。ラルディーリーさんの高貴な香りを我が魂に刻むの……だ。


退かぬ、媚びぬ、嗅ぎ散らかすっ!!


 これから、私のへきが暴走する予定だったのだが、暴走していたのは私の心だった。


 ラルディーリーさんを嗅いだ後、私の頬を雫が流れる感覚があった。


 汗?!……いや違う。今は暑くもない。じゃあこれは一体……


 するとファナちゃんは言った。


「どうして、シイナは泣いているの?」と。


 私は自分の手をゆっくりと眼に近づけた。そこで初めて泣いていることに気がついた。


「本当だ……えへへ、なんで涙が出ちゃうんだろう……おかしいな……」


 無理やり笑顔を取り繕うとしたが、身体は私の意志とは真逆だった。


 どうして、泣いているのだろう。ラルディーリーさんも止められたし、玉座の件も片付いた。ファナちゃんもお姉ちゃんと解り合えたし、ヘカティアちゃんも旅の目的を果たした。ローガンさんだって神獣さんとの決着を終えた。


 嬉しいことばかりなのに……


 ラルディーリーさんの匂いを嗅いだ瞬間、涙が止まらなくなっちゃった。


「あっ……」


 私の思考は追いつく。ラルディーリーさんの匂いを嗅いだとき、ある感情が芽生えたからだ。


『懐かしい匂いだ』と。


 私が、匂いフェチになった要因とも言える大好きな匂い。今までで一番多く嗅いだ匂いとラルディーリーさんの匂いは一緒だったからだ。


「泣いている理由を教えてくれるかしら?」


 ラルディーリーさんは優しく私に問いかけてくれた。


「うん……ラルディーリーさんの匂い、一緒なの。この世界に来る前に住んでいた世界で飼っていたペットのらーちゃんと同じ匂いだったから、思い出しちゃって……」


「……そう。貴女にとって、私の匂いは特別だったのね。また、嗅ぎたくなったら私の元にいらっしゃい」

「えっ?! いいの?」


「えぇ、構わないわ。貴女はこの世界に来て日が浅いのでしょ。私の匂いが貴女が求めていた匂いと同じだったように、まだこの世界には未体験の香りがあると思うわ。ファナと一緒に世界を旅して捜すといいわ」


「お姉ちゃん……いいの? シイナと旅をしても?」

「えぇ、構わないわ。ファナには過保護になり過ぎたわ。彼女と一緒に世界を知ってきなさい。貴女が生きている意味を見つけなさい」


「はい……シイナっ」

「うん、ファナちゃん」


「私、あんたと一緒にいてもいいかしら?」

「うんっ勿論だよっ! ずっと嗅げる距離でいてね?」


「何言ってるの? 私はお姉ちゃんと違って優しくないわ。そう簡単に嗅がせないわよ? 私があんたの傍にいるのは、またポーションがぶ飲みしないか監視する為なんだからね?……ふふっ」

「はははははは」


 私達は笑った。そう、これからも私達は笑って過ごしたい。


 ラルディーリーさんの言った通り、この世界にはまだ私の知らない匂いで溢れている。


「キュッ?」


 ライムちゃんは私の頭の上へと移動してきた。そう、これからも私達の未知なる冒険は始まるんだ。


 匂いフェチの私が、この世界にいる全てのモンスターを片っ端から『くんかくんか』してやるんだからっ!!



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匂いフェチの私、転生先はモンスターだらけなので、片っ端から『くんかくんか』したいっ! 玖暮かろえ @karoe_k

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