上を向いてチョコ菓子を

やまよん

第1話

 上司と大立ち回りをして辞表を叩きつけ、長距離バスに揺られ実家に帰省した自分を待っていたのは、埃にまみれた缶だった。

 この缶はとある景品でもらったもので、かつてはおもちゃやハンコ、シールなどのキャラクターグッズが所狭しと詰め込まれていた。中のおもちゃは、もう全部失くしてしまったが、今は代わりに別のものが入っている。


 缶には鳥らしきキャラクターが大きく描かれている。

 そのキャラクターは、チョコレート色の楕円の体をしていて、そこから生えている

ハシビロコウのような大きく黄色いクチバシと鳥足2本が、辛うじて鳥らしさを保っていた。クチバシの上には大きな目が二つついていて、両方ともなぜか上を向いているので、すこしとぼけたような表情をしているようにも見える。

 名前はクエ太郎。このキャラの出ているCMでずっと「クエクエ」と鳴き声を上げていたので、この名前がついたのだという。


 そして、僕の小学校生活はこのクエ太郎とともにあったといってよかった。



 チョコ球というお菓子を知っているだろうか。クリスピーなナッツが甘いチョコレートで球状にコーティングされた一口サイズのお菓子だ。もちろんとても美味しいのだが、このチョコ球を大人気商品たらしめていたの大きな要因は、中にあるマークを集めると特製のおもちゃ缶と交換してもらえるという、「当たり付き」だったことだ。

 当たりのマークは、パッケージの箱にあった。蓋となった側面の差込口の裏側に天使のイラストがプリントされているのだ。6枚羽の天使のなら1枚、2枚羽の天使なら3枚を切り取り窓口に送ることで、特製おもちゃ缶と交換してもらえる。

 もちろん、当たり付きであること自体は、特別なことではない。しかし、このチョコ球が他のお菓子と更に一線を画していたのは、当たり付きにも関わらず「当たりが出ない」ことだった。小さい頃、近所の友達や上級生、両親や先生に手あたり次第聞いて回ったが、いくら尋ねても天使が出たという話や、知り合いがという話さえ聞くことができなかった。6枚羽はおろか2枚羽すらである。


 小学生の僕は、このよく練られた商品戦略にまんまと乗せられた。

 チョコ球にドはまりしてしまったのである。


 毎日のように両親にチョコ球をねだり、箱を空けては落胆するを繰り返した。もちろん、いつでもチョコ球を買ってもらえる訳でもなく、我慢しなければならない日もある。

 おねだり・買う・確かめる・食べるこのルーティーンでは、満足できない体になるのに時間はかからなかった。


 やがて僕は自分でチョコ球の箱を作り始めたのだった。

 まだ見ぬ天使のマークでもなく、おもちゃ缶でもなく、箱だった。

 それがなぜだか、僕にも分からない。ただ、チョコ球の象徴たるクエ太郎がパッケージに鎮座していたことも大きかったのではないかと、いまの僕は思う。


 とにかく、僕は小学生のもつ表現技術をすべて詰め込んで、チョコ球の箱を作り始めた。はじめは折り紙を貼り付けたもの。次に画用紙、段ボールと素材も変化していった。途中からはもはや箱の再現などではなく、チョコ球を使った自己表現となっていった。

 学校の図工のモチーフは全てクエ太郎になった。絵画にはいつもクエ太郎が真ん中に描かれていて、工作ではいつも動くクエ太郎や立体のクエ太郎ができていた。

担任先生は「学校の授業ではキャラクターは使わないんですよ」と優しく謎ルールを押し付けてきてくれたが、僕は聞く耳をもたなかった。

 

 夏休みの自由課題で一度、チョコ球の箱型の可動式貯金箱を作ったことがある。クエ太郎のくちばしにお金を入れるとチョコ色の翼が動き、金額によって動きの大きさが変わるという力作だった。教室でも大好評で、クラスどころか学校でも一番だと自負していた。僕は意気揚々と先生に頼んで全日本貯金箱コンテストに応募した。

 ところが入選したのは、同じクラスの友達が作ったそこそこの出来のカブト虫の貯金箱だった。「カブト虫が大好きな気持ちがよく伝わります」選評にはそう描いてあった。別にあいつが虫好きでもなんでもないことを僕は知っていた。

「僕のチョコ球に対する思いの方が強いのに」

 僕は悔しくて悔しくて幾晩も涙で枕を濡らした。そんな僕の様子を見かねた親が募集要項をもう一度見せてくれた。そこにはこう書いてあった。

「既存のキャラクター等をモチーフとしたものは審査対象外となります」

 親も先生もみんな知っていたのだ。もしかしたら、応募する前に教えてくれていたのかもしれない。でも僕は、そんなことにも気づかないくらいまっすぐで、気づけないくらい視野が狭まっていた。


 だから、僕は僕の価値観を認めない世の中を恨んだ。

 その頃にはクエ太郎は天使を従えるイコンと化しており、チョコ球の箱はまさしく聖なるおもちゃ缶に連なる聖櫃であった。


 高学年になると同級生は世の中との折り合いをつけて、自己表現を学んでいく。

 ぼくはその波に完全に乗り遅れた。

 かつては「おもしれー」と僕と僕の表現を認めてくれていた友人たちも、成長のない僕に愛想をつかして離れていった。

 心無い言葉も浴びせられることも出てきた。

 それに言い返したりやり返したりするが、多勢に無勢。

 僕は下を向いて過ごすことが多くなり、気がつくと学校に居場所はなくなっていった。


 6年生の初め、僕はいわゆる不登校になった。

 両親も最初は学校に行くように促していたが、僕の気持ちを慮って次第に何も言わなくなっていった。

 僕の部屋には変わらずチョコ球の箱が積みあがっていた。

 未だに出ることのない天使のイラストを確かめることをやめられなかった。

 惰性だったのかもしれないし信念だったのかもしれない。いずれにせよ、壁にならんだ箱とそこに一緒にならぶパッケージイラストのクエ太郎たちは僕の不安な心を多少落ち着かせてくれていた。

 

 僕にとって幸運だったのは、6年の担任兼ヶ崎かねがさき先生だった。

 兼ヶ崎先生は、それまで腫物のように遠巻きに僕を見ていた先生たちと違って、グイグイ話しかけてくるタイプの先生だった。

 チョコ球の箱で溢れた僕の部屋を見た時も先生は「なんだこれ、おもしれー」と笑ってくれた。それは昔友達から受けていた称賛を思い出させるもので、不覚にも目頭が熱くなってしまった。ただ、先生はうつむいて目頭を押さえる僕の姿に、何か傷つけてしまったと勘違いしたようで、小声で「ヤベっ」とつぶやくと、営業スマイル全開の表情と声色で「すてきな部屋だね」と語りかけてきた。

 嘘っぱちで粗野で抜けたところも多かったが、僕は憎めない先生だなと思った。

 後で両親から聞いた話だと兼ヶ崎先生は僕のような不登校の子や支援が必要な子を受け持つことが多いらしい。あの抜けた態度ももしかしたら僕らの心を開くための意図的なものだったのかもしれないと、いまは思う。


 何せ結果的に僕は先生のおかげで、少しだけ学校に通えるようになった。

「チョコ球もクエ太郎も封印しなくていいぞ」

 僕はいっそ決別しようかと迷った。しかし、それがなくなると途端にどうしてよいか分からなくなるのだった。この生きにくさをチョコ球とクエ太郎のせいにするのは簡単に思えたが、思った以上に僕という自我に根差したスティグマのようなものとなっていた。

 僕は先生の言葉に甘え、変わらずチョコ球とクエ太郎とともに僕は学校生活を過ごした。6年生の体に対して小さくなったランドセルには、必ずチョコ球の空き箱がお守り代わりに入っていた。先生が「そういうものだ」という態度をとるとクラスメイトも「そういうものか」と受容の姿勢が出てくる。僕もなるべく周りに合わせようとするし、つらくなった時にはチョコ球の箱を抱いて気持ちを落ち着かせた。


 それでも小学校の卒業式は皆と一緒に参加はしなかった。この日ばかりは兼ヶ崎先生も「出てほしい」と思いをもっていたようだが、衆目に晒される中で証書を受け取るという行為を、まだ僕の体と心は許してくれなかった。

 卒業式当日の午後、皆が返った後、僕は両親と小学校の体育館に赴き、たった一人の卒業証書授与式を行った。兼ヶ崎先生や校長先生だけではなく、関わりのあった先生方も参列してくれた。形ばかりだと思っていた証書授与は厳かな雰囲気で執り行われ、大勢が見守る中、僕は小学校を卒業することができた。両親はずっと泣いていた。


 卒業式の後、両親は書類の説明や中学校への引継ぎについての打ち合わせのため校長室へ出かけて行った。

 僕は体育館に残り、兼ヶ崎先生と最後の時間を過ごしていた。

 今日はランドセルを持ってきていないので、チョコ球もなかった。

 しかし、兼ヶ崎先生は僕に向けて餞別せんべつにとチョコ球を差し出してきた。「校長先生には言うなよ」と言って、悪い笑顔を作ると先生は続けた。

「チョコ球と一緒に過ごしてきて身に着けてきたこと取り組んできたことを自信にして欲しい。そして君に小学校生活最後の宿題を出します」

 兼ヶ崎先生は畏まった態度で僕をまっすぐ見た。いままでとは違う、卒業生を送り出す担任の先生の姿だった。

「チョコ球ともう一つでよいです。自分が好きなものやがんばりたいことを見つけてください。これまでの経験が生きて、自分でも驚くくらいすごいことができると思いますよ。宿題の期間は、そうですね……チョコ球の天使が出るまでにしましょう」

「先生、それじゃ一生かかるかもしれませんよ」

「人生は長いです一生かけて見つけてください」

 なんだそりゃ、と思った。でもそれでいいんだ、とも思った。

 気持ちがすうと軽くなった気がした。

 チョコ球は否定されるべき過去じゃない、これからの長い人生で誇っていい経験なのだ。初めてそう思えた。

「クエ太郎を見てください。上を向いているでしょう。クエ太郎と一緒に顔を上げて上を向きましょう」

 箱に目を落とす。これまで誰よりも見てきたクエ太郎の顔。とぼけた愛らしい顔がいまは希望の象徴のように見えた。いつの頃からか下ばかり見ていた気がする。

 僕も上を向いてみた。不意に涙がこぼれた。

「先生……いま食べてもいいですか」

 ありがとうと言うのが恥ずかしくて、目を擦りながら僕は思わず言ってしまった。

 先生も目に涙を溜めて優しくうなずいた。

 包装のビニールを破き、箱を空け、天使のイラストの有無を確認する。完全にルーティーンと化した一連の所作は、もはや流れるように行われた。


 ……ん?

 チョコ球を取り出そうとした瞬間。何かいつもと違うものが見えた気がした。

 僕の涙が消えた。

「……先生、これ見てください」

「どれどれ」

 先生の涙も消えた。

「宿題の期間、終わりましたね」

「……うん、早かったね。なんか見つかった?」

「いや、まだ……です」

「そうだよねー」

 箱の裏には6枚羽の天使が描かれていた。文句なしの当たりだった。

 同時に、さっきの感動の宿題は唐突に終わりを告げた。

 先生もどうしてよいか分からず、斜め上を向きながら口を尖らせて思案していた。

 まるでクエ太郎みたいな顔だなと思った。とぼけた顔に見えたり希望の象徴に見えたり困り顔に見えたり忙しい顔だ。

 とはいえ、僕もどうしてよいか分からず持て余した箱を眺めた。

「えっと、あの、上を向いて食べますね」

「おお、そうだそうだ、な」

 お互い軽く混乱しながら、さっきの続きを行うことにした。

 上を見上げて、チョコ球を口にいれる。チョコ球は勢いよく口の中を転がっていき……喉を突いた。

 そして、そのまま喉の奥に引っかかった。

「カ、ッハ」

 息ができない。僕の顔がみるみる青くなる。先生の顔も真っ青になった。

 僕は体を前に傾け喉に力を入れ、先生も背中を叩いてくれた。すぐに、のどの奥から異物がとれる感覚があり、僕は呼吸ができるようになった。

 二人で肩で息をする。

「えっと、上を向くのと、食べるのは別々にやろう」

「あ、はい。そうですね」

 こうして僕の小学校生活はグダグダに終わった。

 


 僕はその後、箱から天使のイラストを切り取り、無事おもちゃ缶を手に入れることができた。

 なんだかんだで嬉しくてしばらくは大切にとっておいたが、いつの間にか中身はなくなっていた。

 いまは缶だけが残っていて、中には天使のイラストが切り取られたチョコ球の空き箱が入っている。

 この箱はその後の人生で度々僕を助けてくれた。


 中学も初めは休みがちだったが、この箱を見てがんばろうと思うことができた。受験や就職の時もそうだった。つらいことがある時に、これを見るともう顔を上げて一度がんばろうと思うことができるのだった。



 僕は埃まみれの缶を開け、中の空き箱を取り出す。

 おもちゃ缶を手に入れる手段だったはずの箱こそが、いまは僕の宝物だった。

 

 箱に描かれたクエ太郎は、相変わらず上を向いていた。

 その顔は少しとぼけているが、希望に満ちた顔をしていた。

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上を向いてチョコ菓子を やまよん @yamayon4

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