タテノとサクラ

東吾

タテノとサクラとコトリバコ

 あなたですよね、これを置いたのは。

 そう言いながら差し出された箱を見た瞬間、彼女は嗚咽をもらしながらその場へ膝を付き、絞り出すような声で懇願した。

「ごめんなさい……助けてください、お願いです、後生ですから……」

 その姿を、彼は静かに見つめる。

 一体何が彼女をここまで追い詰めてしまったのだろう。日々安寧に過ごすために、知らぬうちに周囲へ無関心になっていたのだろうか。暫くの沈黙の後、彼はゆっくりと手を差し出した。

「最初からそのつもりだよ。さぁ、行こうか。こちらはもう全ての準備が出来ているから、もう大丈夫だって」

 少女は目を丸くし、しばらくその手を見つめている。そして、ようやく緊張の糸が切れたかのように安堵の表情を浮かべ、その目からは大粒の涙が零れていた。


 ※※※


 すっかり作業は煮詰まってだし汁すら枯渇した脳みそに潤いを求めるよう、櫻井達乃(さくらい たての)は街へと繰り出した。 なんてかっこ良く言ってはみたが、タテノは親の仕送りで生活する貧乏暮らしの大学生だ。使える金が限られているのだから街へ繰り出したところでご大層な遊戯に興じる場所へ迎えるようなご身分ではない。徒歩圏内で行ける場所といえば、チェーン店の牛丼屋やハンバーガー屋とコンビニくらい。ダーツを楽しめる洒落たバーがあるのは知っているが、気軽に行ける金額でもない。かといってまだ日も高い時間帯だ。スーパーマーケット付近ではご婦人達が井戸端会議に花を咲かせる時間であり、着回したパーカーを愛用した学生がフラフラ行ける雰囲気ではない。そもそもまだ値引きになった弁当が買える時間でもないから、行くだけ損である。かといって呆けて立ち止まっていたら不審者情報として「昼間から佇むボサボサの頭大学生」なんて怪異じみた煽り文句で書かれてしまったらたまったものではない。

 今のタテノに出来ることは、ただ漫然と歩いて気を紛らわすか、近所の公園に行きベンチに座ってスマホを弄るか、小腹を満たすため腹を膨らませるためにファストフード店にでも入るか、くらいだ。

 だが今は特に小腹も空いてないし、気分としてはゆったりくつろげる場所でのんびり座ってリラックスできる時間を過ごしたい気分であった。そうなると公園に行くのが適切にも思えたが、今日は風がやや強いからあまり外にはいたくない。それに、近所の子供たちは元気がありあまっており学校が終わるとすぐさま公園でボール遊びなどをしては、ベンチでくつろぐタテノにも容赦なくパスを飛ばしてくるわんぱくっぷりだ。ちびっ子の相手をしながらくつろぐのは難しい。

 静かな時間を過ごすという意味では図書館も候補にあがるだろうが、図書館はタテノにとってはあまりに静かすぎるのだ。みな集中して本を読んだり直近のテストや受験対策などで勉強をしているから、些細な物音をたてても冷たい視線に晒されることが多い。先日など、うっかり館内でスマートフォンの着信音を鳴らしてしまったがばかりに見ず知らずのご婦人から「スマホは消音モードにしていただかないと困りますゥ」なんて、20分くらいネチネチと粘着されてしまった。それに、タテノはあまり静かすぎる場所は苦手だった。

 そもそも自宅で一人、レポートを前に唸っていたのだからもう静かな部屋は充分堪能した。それより適度な話し声がある方が気分転換になるだろう。当然、座って休める場所が理想だ。そう考えると行き先は一つしかないだろう。タテノの足は自然と駅近くにあるコーヒーショップ「ストレイシープ」へ向かっていた。

 ストレイシープは雑居ビルの一階にあるコーヒーショップだ。駅前の華やかな大通りから一本引っ込んだ路地にあり決して広い店ではないが落ち着いた内装と外の雑踏から隔絶されたような静かな空間を、タテノはいたく気に入っていた。

 しかもコーヒー一杯が格安なのだ。他の店で同程度のコーヒーを頼んだら間違いなくその倍はするだろう。味の善し悪しはともかくとして、値段が安いというのは貧乏学生のタテノにはありがたいことだったし、人の良いマスターは「大学生ならしょうがない」と多少長居をしても文句一つ言わないので、気分を変えたい時や今日のようにレポートで煮詰まった時の逃げ場として助かっている。

 正直なところコーヒー一杯でレポートなどを書き始める自分のような客は迷惑なんじゃないかと思うのだが、マスター曰く「普段からあんまり客が入る訳でもないし賑やかしで人がいるほうが寂しくないから」と言ってくれるのでよほど混んでいる時でなければ好意に甘えてゆっくり過ごさせてもらっていた。

 見慣れたストレイシープの看板を横目にしつつドアを開ければ軽やかなベルの音とともにマスターの視線がこちらへ向く。

「あ、いらっしゃいタテノくん」

 カウンターごしに俺の名前を呼ぶのは二十代半ばかあるいは後半に入るかくらいのまだ年若いマスターだ。 白いシャツに黒のベスト、ギャルソンエプロンといった出で立ちはいかにもバリスタといった格好だが今日も客がいないのか椅子に腰掛け新聞を読んでいた。何度も通っているから俺の名前を覚えてくれているのは大学に通うため一人で田舎からやってきた俺にとっては少し嬉しいことだ。

「おじゃまします、マスター。席、開いてますか?」

「いつも開いてるよ。ウチは暇だからね。ま、入って入って」

 マスターに促され店に入ればカウンター席に座る女が大げさなくらいに手を振った。

「あ、タテノが来たよー。やっほー、タテノー。ほらここ、ここ、サクラさんの隣が開いてるよー、どーぞ座ってー」

 満面に笑みを浮かべてそう言うのは、同じ大学に通う館野サクラだ。同じ大学に通っているだけでなく、俺と同じ講義を取り、俺と同じ最寄り駅に住んでいて、一人暮らしをするアパートまで徒歩圏内という関係から自然とよく連むようになっていた、同じ学校の女子大生だ。

 なんて言えば色恋沙汰の一つや二つはありそうな関係にも思えるだろうが、タテノとサクラの関係性は一言で表すのなら男友達のおふざけ、その延長だ。二人が話すきっかけになったのは入学してまだ間もない頃、タテノがスマホで遊んでいたアプリゲームを見てすぐ「アタシもそれ遊んでるゲーム! 良かったらフレンドになってくれないかなー」なんて喜びながら話しかけられた事がきっかけで、それからお互い過去に遊んだゲームに花を咲かせているうちにすっかり意気投合したという完全に小学生のホビー男子のような絆の深め方をしていた。

  それから色々雑談しているうち、タテノの名前が「桜井達乃(さくらいたての)」でサクラの名前は「館野(たての)サクラ」と、お互いの名前と名字をひっくり返したような名前であった事から妙に親近感がわいたかと思えばお互い田舎からやってきて現在は一人暮らし。住んでる街も同じな上、趣味はホラー映画を見る事やゲームで遊ぶ事とやけに共通点が多かったということもサクラに懐かれてしまった最大の理由だろう。

 今では互いの家に遊びにいって泊まりがけでくだらないホラー映画を見たり対戦格闘ゲームやFPSを一晩中遊び倒したりするという仲だ。

 なんて周囲の連中に説明すれば、見知った奴らは男女が泊まりで遊ぶのだから恋人同士なのだろうと疑ったりもするのだが、タテノにとってサクラは恋人というより悪友という感覚がどうにも抜けないでいる。もっと言うならゲーム好きな男友達と一緒にいるような気軽さが先立ち、どうにも恋愛感情に結びつかないのだった。

 別にサクラが可愛くないという訳ではない。一般的に見れば彼女は可愛い方だとは思うし、実際に大学では彼女を狙っている男どもも少なくはないのだが、それでもタテノに響いてこないのはあまりに自分とタイプが似ているからだろう。

 女性相手に恋愛感情もなく接する事が出来るなど自分でも不思議ではあったが、今はこの男友達のようなサクラとの関係が心地よいしそれを変える気もなかった。

 それはサクラも同じようでお互い決して「付き合って」とか「彼氏・彼女になろう」なんて甘い言葉が出る事はないまま男女の友情を楽しむよう、今に至っている。

「おぅ、サクラ。おまえも息抜きか」

 言われるがままタテノはサクラの隣に座る。サクラは椅子の上で足をぶらぶら揺らしていた。

「そうそう。課題に行き詰まっちゃってねー。もー、頭からケムリが出てきそうだったから一休みしにきたんだ。タテノも?」

「まぁな。考えすぎて脳みそ耳から出てきそうだったから気晴らしにコーヒーでもと思ったんだよ」

「あははー、お互い大変だよねー。もうあんまり時間ないから気晴らしのゲームも出来ないし」

 サクラの前にはコーヒーフロートが置かれている。まだあまり口をつけてないあたり今来た所なのだろう。

「全くだ、俺もスマホゲーはログインボーナスだけもらってほとんど触れてないしな」

 なんて愚痴を漏らしながらも、しばらくはサクラと遊んでるスマホゲームの最新イベントで加入するキャラクター性能についてや、最近サクラが遊んでいるゲームに出るボスのギミック攻略などを話しているとドアから軽やかなベルの音が鳴る。俺たちの他に新しい客が来たのだろうと思い何とはなしに目を向ければ、現れたのは見知った顔だった。

「おじゃまします、マスター。あ……タテノさんとサクラさんも来ていたんですね」

 現れたのは有瀬和次(ありせかずし)という男で、今日は平日だからか青を基調にした制服を着ている。このあたりで一等に頭のいい連中が集まる進学校に通っており、有瀬は駅前の予備校に行く前にはこの店でよく休憩をしたり予習や復習をしているのだ。

 タテノやサクラを知っているのは、彼らが店の迷惑なんて省みずモンスターハンター最新作をプレイしていた時「あの、それ、僕もご一緒していいですか」なんておずおずとゲーム機を差し出したのがきっかけだった。ソロプレイでは討伐が難しいモンスターがいて協力プレイ相手を探していたらしく、同じゲームが好きなもの同士それから顔をみると情報交換をしたり協力プレイをするようになっていたのだ。

 店のマスターも「すごく混んでる時は困るけど、たいして客がいない時なら別にいいよ。お客さんが誰もいなくなると寂しいからね。僕はさみしがり屋なんだよ」なんて笑いながら言ってくれるからその好意に甘えてゲームで遊んでいるうちに雑談を交わすくらいの関係になったのだ。

 なんだか過去を振り返ればタテノと縁のある出会いは全てゲームをプレイしている時に声をかけられる事が多いようだ。タテノがTPOに配慮せず暇さえあればゲームをする性分だというのもあるのだろうが、ゲームをして時間を持て余している人間のなかでは声をかけやすいオーラでも出ているのだろう。

 ちなみに、有瀬がタテノ、サクラと二人を名前で呼ぶの理由は、タテノとサクラがよくこの店で鉢合わせするということと、二人の名前が「桜井達乃」と「館野サクラ」でややこしいから混同しないようにそう呼んでいる。タテノたちにとってもその方が解りやすいので、この店の常連たちは殆どそう呼んでいるのだ。

「やっほー、カズシくーん」

「よぉ、有瀬。これから予備校か?」

 二人がほとんど同時に声をかければ有瀬はタテノから一つ席をあけた隣に腰掛けるといつものようにアイスカフェオレを注文し、すぐにこちらへ向き直った。

「ちょうどよかったです、是非お二人に見て欲しいものがあるんですけれども、お時間ありますか」

 そんな前置きをしてから、有瀬は鞄から一つの箱を取り出す。

 それは正六面体をした、手のひらにのる程度の大きさの箱だった。一見すると個のも入れか何かに見えるが、タテノは一目見てその箱に違和感を覚える。というのも、その箱にはどう見ても開け閉めできる口が無かったからだ。

 普通、箱というのは何かを出し入れするためにあるのだろう。大切なものをしまっておいたり、必用なものを同じ場所に集めたりするのが大体の箱の用途だ。だがその箱には開け口らしい部分が一切なく、全ての面が完全に密閉されているようだった。正六面体であるのも相まってまるでサイコロのような箱を、タテノは不思議そうに手に取ってみる。密閉されているが、中には何か入っているのだろうか。それを確かめるため箱を振って見れば、中からカサカサと渇いた音が聞こえた。やはり何かしらが入っているようだが、見る限り開けられそうな場所はない。中身を取り出すには箱を壊すしかないだろう。中に見られたくないものでも入れてあるのだろうかとも思ったがそれならこんな目立つ箱に入れておくのも妙に思えた。

「何だこりゃ。箱だけど全部の板がくっついてるな。組み木細工って訳でもなさそうだ」

 タテノはカウンターに箱を置くと今度はサクラが珍しそうに手にとっていた。磨かれた木目に指を当て押したり引いたり、どこか動く場所がないか探っているが何処も動きそうにない。やはり接着されて中身を取り出せないようにしているのだろう。  二人が面白半分で箱を弄っていると、有瀬は少し焦ったように告げた。

「あ、あんまり乱暴にしちゃダメですよ。それ、どうやらコトリバコのようなんです」

「コトリバコ? コトリバコだって?」

 その言葉を聞いたタテノはは随分と懐かしい気持ちになった。

 確かまだSNSが今ほど活発じゃない頃、現実よりインターネットに心地よさを覚えていた人間は誰かと交流を求め有象無象の情報が集まる巨大掲示板に入り浸っていたものだった。

 その巨大掲示板は料理のレシピから仕事の愚痴、裏社会のアングラな話題や哲学やオカルトといった様々な話が日々飛び交っていたのだが、「コトリバコ」の話が投函された時は日常に潜む非日常を感じさせる妙な生々しさなどもあり別段オカルトに興味のない人間の目にも入るほどの幅広い人の目に留まっていたのを記憶している。

 タテノが初めて見たのは、掲示板に不気味な話が書き込まれているといった噂を聞いた後興味本位で書き込みを読んだ時だったろう。他の生徒も何人かその書き込みを読んで、その後暫くは学校の中でも怖い噂としてしばらく広まっていたのをぼんやりとだが覚えていた。

「コトリバコってアレだよね、あれ。あの、死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみよーって所に誰かが書いたか、転載してきたかの話。たしか、呪いの箱だったっけ」

 サクラは自分のこめかみで指をぐるぐる回しながら記憶を探るような仕草を見せる。どうやらサクラも同じ話を過去に読んだ事か聞いたかしたことがあるようだ。

 詳しい話は忘れてしまったが、話の大筋はたしかこうだったはずだ。


 ※※※


 ある街で仲間と遊ぼうと集まった時、一人の女の子が組み木細工のような箱をもってきた。

 集まった仲間の一人がパズルやゲームが好きで、自宅の物置かどこかからパズルめいた箱が出てきたからパズルが好きなその人物なら開けられるのではと思い持ってきたのだそうだ。

 だがそれを見たメンバーのうち、実家が寺だか神社だかと関連している家系の人間が、ひどく狼狽え始める。どうやら彼女のもってきた箱は他者を呪うための道具、いわゆる呪具であり、それもかなり恐ろしい力をもっているとのことだった。

 彼は箱を見た瞬間、恐ろしさと拒絶から嘔吐をし泣きながらも親戚に連絡して「コトリバコ」と呼ばれる箱に残る呪いを祓う手順を踏み、無事に呪いは祓われたその場は事なきを得るのだった……。


 ※※※


 詳細は覚えていないが大筋はこのような話だったはずだ。

 実は箱をもってきた女性が特殊な土地の出身であったとか、そんな後日談もあった気がするが、有り体にいうと弾圧された一族が隠し持っていた秘技のような話だろう。

「でも、あの話ってちょっと不気味だなーと思うけど結局呪いとは何だったのか! とか、この呪いのせいで友人が翌日死にました! みたいな具体的な話はなかったよねー? 幽霊が出たとか呪われて悪夢を見たとかそういう話でもなかったし。あ、確かに不気味な話だし、なんか箱の正体もはっきりしないからそういう所は怖いなーって思ったけどさ」

 サクラはそう言いながら足をまたブラブラさせる。やはりタテノとサクラの知ってる話は大筋で同じようだ。 タテノはサクラの話に頷きながらマスターが差し出したブレンドコーヒーを受け取る横で、有瀬はそんな小さく息を吐いた。

「お二人とも、コトリバコの話はそこまでしかご存じないんですか?」

「そこまでしか、ってまだあの話続きがあるのか」

 コーヒーにたっぷりとミルクを入れてかき混ぜるタテノを見て、有瀬は目を閉じ話し始めた。

「えぇっと、インターネットという場所は些末なきっかけを与えると膨大な知識や経験が引き出される事があるんです。それは真偽など分かった物ではないんですし、いいネタを見つけたと言わんばかりの作り話も多いでしょう。コトリバコの話も多くの人々から興味関心を受けたようで、自分も似たような箱を知っているといった情報が沢山現れたんです。それと、各地よりうちにも似たような箱がある、とか、その伝承を知っている、その箱の作り方も知っている、という書き込みが次々と現れ、今は1860年代に作られた品である事や、中には間引きされた子供の一部が入れられている事。代々神社や寺などで管理され呪いにより一族を根絶やしにするなどといった設定が……いえ、情報が追加されているそうですよ」

 有瀬は設定を情報と言い直しはしたが、実際それは数多の人間が考え最もらしく面白いものが採用されていった新たな設定と呼ぶのが近かっただろう。面白い噂話が出たから、それに面白そうで悍ましい話をどんどん飾っていっただけであり、所詮は実態はない噂話なのだ。

 1860年と言えばおおよそ160年前だが本当にその時代で呪いの品を作っていたのならそれを指し示すような文献などがあっても不思議ではないはずだ。扱いを間違えると危険な呪いの類いならなおさら絵や記録を残して間違いのないよう伝えられていた可能性は少なくない。

 例えそれを知られたくないものがいて詳しい情報を書き記すのを禁じていたとしても、人間ってのは秘密というのを話したくなるような生き物だ。また個々の思惑というのがある限り共通の秘密を持っていても一枚岩で協力できるって訳でもない。 秘密を握りたい者や子供の間引きに罪悪感をもつ者など何かしらの理由で噂や文献というのは漏れていくものであり、そのような文献が発見されていないというのならインターネット上でそれを見た人間が面白半分で盛り上がり恐ろしい話を継ぎ足していった結果が現在伝わっているコトリバコの話だと考えるのが妥当だろう。

 タテノは内心そう考え、独り合点した。

 このような考えに至る癖があるため、タテノはオカルトに否定的な現実主義者だと思われることが多いのだが、実は怖い話には目がなくオカルトにUMA、UFOに怪異といった話を聴けばすぐ飛びつくし、ホラー関連なら映画も漫画もゲームもアニメもあらかた楽しめるオールラウンダーのオカルト好きだ。当然、テレビでやる夏の心霊特集なんかは大好きだし何ならUFOの調査やUMAを探すために世界各地へ向かう番組なんかを見るとテンションがぶち上がり、どんなチープな映像を見せられてもシンバルを叩く猿のオモチャのように喜んで見せるのだ。そういう性格だからこそ情報源が誰かの噂でしかない、友達の友達から聞いた話みたいなものは拡散されるだけで実態のない噂なのはよく知っていた。

 とはいえ、目の前にあるコトリバコの全てを否定するほどタテノも狭量ではない。むしろ友達の友達から聞いたといった要領でインターネットでこんな話があったと拡散され存在を強めてくる噂話はかなり好きだから、コトリバコがそのように恐ろしい呪いとして伝わっているのも面白いと思っている。

「なるほど随分とご大層な事になってるんだな。で、コトリバコにはどんな呪いがあるんだ?」

 俺の問いかけに有瀬は視線を宙に向け顎に手を触れ考える仕草をした。

「僕が聞いた時はコトリバコの話では、それを家に置いているだけで内蔵がちぎれて死ぬといった物語になってましたよ。見た目が綺麗な箱ですから、間違えて子供が持ち帰りその一家が全滅した事から管理が厳重になされるようになったそうです。何でも女性や子供に対しては特に効果があるらしいです」

「えぇー、女の子に対して強い効果があるの? アタシ女の子だけど思いっきり触っちゃったよ。じゃ、アタシ明日にでも内蔵ぶちまけて死んじゃう? うわー、やだなー。死ぬ前に焼肉をおなかいっぱい食べたーい。厚切りのタン塩とかカルビとか。あー、死ぬ前に食べたい! タテノー、焼肉おごってー」

 有瀬の話を聞いてサクラはコトリバコから手を話すと俺の方をみて笑う。これは絶対に焼肉の事を考えている顔だ。

「いやだよ。自分で喰え、自分の金で喰う焼肉が一番うまいぞ」

「人のお金で食う寿司と焼肉がいちばんうまいよー」

「それはわかるが、俺じゃなく石油王とかに言え」

 だがサクラは有瀬の話を聞いてもあっけらかんとしている。呪いなんて信じていないのかそれとも自分は大丈夫だと思っているのか。聞いた時にはすでに触ってしまったからもう仕方ないと思ったのかもしれない。だが何を思っていたとしても絶対に焼肉は奢る理由にはならない。だから絶対に奢らんぞ。 サクラは細い身体のわりに滅茶苦茶飯を食うのだ。下手に餌付けしたら破産する。

 隣で「食べ放題じゃなくて高い焼肉がいい」「叙々苑がいい」などと言い出すサクラを無視しながらタテノは有瀬の方を見た。

「呪いだけじゃなく、作り方とか管理も伝わってんのか。この、コトリバコってやつは」

「はっ、はい、そうみたいですね。もともとコトリバコは差別により貧困にあえぐ集落の者が逃げてきたよそ者をかくまう対価として伝えられた呪術のようです。箱の中に間引きで殺した子供の血や指などを入れて迫害した相手の家に置くと、その家は次々と不幸に見舞われ一族が根絶やしになると……その呪いが強すぎる故に複数人で管理していたそうですよ。そのように管理を強めたのは先ほどにも伝えた通り、意図せず子供が持ち帰り自分たちの集落に住む者が死んでしまったのが原因らしいですが」

「まってまってカズシくん。間引きって、子供殺しちゃうってことだよね? 子供、殺しちゃうとかいいの? ほら、子供だって働き手だから安易に殺しちゃったら働き手とか困るんじゃないかな」

「そこは貧困にあえぐ土地の考えることですから、切羽詰まっていたんだと思います。この年を越えられないほど食事に困るようだったら働き手にならない幼子や病になった子供たちが呪術に扱われたのではないでしょうか」

 そこでマスターは有瀬の前にアイスカフェオレを置いた。

 いやはや、インターネット上では様々な想像を働かせる人間がいるがコトリバコの周りには随分とおぞましい話が付加されたものだ。

「なるほど、コトリバコがどれだけヤバい品なのかってのはわかったよ。で、有瀬はこのコトリバコを何処からもってきたんだ。まさかお前の家に蔵があってそこに安置されてたとかじゃ無いよな」

 コトリバコが大層な呪いをもつ品なのはわかった。だがそれが何故ここにあるのかという理由は全くわかっていない。タテノが当然の疑問を有瀬にぶつければ、有瀬はアイスカフェオレを一口飲んでからこたえた。

「もちろん僕の家から見つかった訳ではないですよ。話せば長くなっちゃうんですけど」

「長いのはやだー、短く話してー」

 サクラはカウンターに突っ伏すようにしてコトリバコを眺めている。何て自由なやつだ、こういう時は長い話をきちんと聞いて世界観設定などを把握するのがスジだろう。こいつ、RPGで置いてある本や絵を全部調べないしダンジョンにある宝箱も面倒なら開けずに進めてしまうタイプだな。とは思ったがタテノもあんまり長い語りは好みではない。長すぎる台詞などは平気でスキップし、後でバックログを確認するタイプの人間だ。おまけに有瀬は話し下手だから、長々と話をさせるといつ脱線するかわからない。

「ではサクラさんのリクエストにお応えして、なるべく短く話しますね。解らない部分があったら質問してください。えぇと、うちの学校に新聞部がありまして、そこは未来のジャーナリストを目指す血気盛んな部員が多く所属しているんですよ。生徒からのスクープなども募っていて面白い噂話などを投函できる箱なんかも設置しているんですが、ほとんどの生徒はそれをゴミ箱だと思っていて中にはキャンディの包み紙とか噛み終わって味のしないガムとかが入っている事が多いようなんですけどね。この箱は新聞部が設置した、よくゴミ箱と間違えられている情報提供用の箱に入れられていたそうですよ。血のように赤いインクで『コトリバコ』と書かれたメモだけが貼り付けられていたそうです」

 手短に話せといったのにやはり有瀬の話は長い。だが脱線もしなかったし要領もつかめたから、及第点といえるだろう。

 しかし聞く限り新聞部にコトリバコが届いた理由は定かではない。コトリバコは確かに面白い噂だと思うが校内新聞で取り扱うのは部活動の成績善し悪しや教師の有り難い言葉、集団感染に気をつけようといった折り目正しい内容が殆どなはずだ。コトリバコなんてオカルトを好んで取り扱うとは思えない。新聞部に呪い殺したい相手がいるのだとしたら、もっと人目に付かない所にこっそりと置くのが普通だろう。これでは見つけてください、話題にしてくださいと言っているようなものだ。

「何で新聞部に置いたんだろうねー。コトリバコって置いておくだけで効果がある呪いなんでしょ? それだったらわざわざコトリバコって書いておく必用なんてないし。新聞部で除霊とかするの? 新聞部にオカルト専属霊媒師とかいるのかな」

 サクラも同じ疑問をもったようだった。コトリバコを置いた犯人は何の目的で新聞部を選んだのだろうか、当然そこは気になる所だ。

「もちろん、除霊なんてことを新聞部ではしませんよ。そもそもウチの学校に霊媒師みたいな人はいないと思いますから。あっ、お寺の息子さんや親戚が宮司という生徒はいますけど、寺や神社の縁者だからって呪いがとけるとは限りませんもんね。だから新聞部に持ち込まれた理由は、部員たちにも分からないようです。呪われる心当たりも皆さんには無いそうですが、人間は時に身勝手な理由で他人を恨むでしょう。僕たち学生はまだ子供なのですぐカッとなり、突拍子もないことを仕出かすこともありますから、呪いなんて馬鹿馬鹿しいことを試す生徒がいないとは言い切れないですけど、やっぱり新聞部に行くのはおかしいですよね」

 と、そこで有瀬はアイスカフェオレを一口飲むと長く息を吐いた。

「教師に報告してもつまらない悪戯で片付けられてしまうでしょうし、新聞部としてもせっかく持ち込まれたのだから誰が何のためにこれを新聞部に預けたのか。果たして本当のコトリバコなのかといった調査はしたいと思っているようです。ですが、呪いの品を手元においておくのはやはり嫌だったんでしょうね。取材はしてみたいがどうしたものかと部員たちが悩んでおりまして……僕は新聞部の部長とたまたま顔見知りで、これの正体がわかるまでは預かっておけ、と無理矢理渡されちゃったんです」

 どうやら有瀬もコトリバコに対する被害者のようだった。これが本当に呪いの箱だったらと思えば、内心泣きそうに違いない。有瀬は気が弱く何かと強く出られたら二つ返事でOKしてしまうタイプなので、今回も無理矢理押しつけられたに違いない。 

 根はいい奴なのだが、貧乏クジをひきやすいタイプなのだ。何とか呪いなどないと確認して、有瀬の気を楽にさせてやりたいものだがさて、どうしたものか。

「コトリバコは女性や子供に対しての効果が高いみたいですよね。僕はまだ子供ですが男ですし、僕の家は両親が海外出張でいないので今は家に女性もいませんから呪いの効果があったとしても緩やかだと思うんですよ。少しでも被害がないから、その点は安心ですよね」

 いや、これは一刻も早く呪いを突き詰めないと、有瀬がストレスで潰れてしまいかねない。そこまで責任を感じているのはあまりにも気の毒だ。こんなにいい奴を犠牲にして成り立つ社会に反逆するのがロック魂というものだろう。

「有瀬ェ、お人好しなのはいいがちゃんと断ることも覚えろよ。さもないとろくな死に方しねぇぞ」

「うう……長生きしたいから、頑張りますね、タテノさん」

 タテノの言葉に、有瀬はしょんぼりと俯いている。まったく、こんなお人好しを無碍に使う奴はいまに罰が当たるに違いない。

「ふーん。よくわかんないけど、とりあえずこのコトリバコっぽいもの、何か入ってるのは確かだよね」

 サクラはコトリバコを手に取ると自分の耳元で箱を振る。サクラの奴はコトリバコの内容を聞いてもさして怖れる様子はないがやはり呪いなんて信じてないか、この箱が最初っから偽物だとでも思っているのだろう。箱からはタテノや有瀬にも聞こえるほどの大きさでカサカサと何かが揺れる音がした。

 女だと無惨に内蔵がちぎれて死ぬ、なんて言われたばかりなのに臆さないところを見るとサクラは変わり者だ。なんて思いながらタテノはサクラからその箱を取り上げ改めて観察した。

 やはり接着されておりどこからも開きそうにない。箱はひどく安っぽい木材で作られており160年も前に作られたような印象は何処にもなかった。最も作り方がインターネットに載っているのならここ10年くらいで作った奴がいるかもしれないが、もし本当に子供の身体が使われていたのだとしたらそれはもう大事件だ。

「えらく新しい箱だよな。木が古い感じもしないし、噂にあるコトリバコはパズルみたいな箱だったよな。組み木細工みたいに開けられる感じじゃない。これたぶん、木工用ボンドか何かで無理矢理箱にしたやつだな。随分と邪悪なDIYがあったもんだ」

 タテノの言葉に有瀬も頷いて見せる。そしてスマホを操作し画面をこちらに向けた。

「タテノさんの言う通りですよ。この木材はたぶんワンコインショップで購入したものです。ほら、同じような木材がオンラインショップでも販売してのを見つけたので」

 そう言いながら有瀬が差し出すスマホの画面にはタテノが手にしている箱とよく似た木材が乗せられている。なるほど、この木材をいくつか買って箱状にし木工用ボンドで無理矢理貼り付けたらこの形にはなるか。 箱にはニスが塗ってあるらしくライトの下でてらてら光っており呪いのコトリバコを名乗るにはやはりやや新しすぎる気がした。これではすぐに突貫工事の偽物だというのはバレてしまうだろうが、本物っぽくするつもりなど最初からなかったのだろうか。

「うん、やっぱり中に何か入っているな。有瀬、コトリバコって普通は何が入っているものなんだ? さっきは指だか血だか言ってたが」

 タテノは箱をカウンターに置きながら問いかける。あいにくコトリバコについては初期の噂しか知らないから作り方や忌々しい呪いなどといった情報は知らなかったから、有瀬に確認することにしたのだ。

「えぇと、コトリバコは最初に箱の中を畜生の血で満たすそうです」

「畜生……ってのは動物の事か。ま、犬や猫あたりかね」

「そうですね、僕もそうだと思います。箱の中をいっぱい動物の血で満たした後一週間ほど放置して血が乾ききらないうちに間引いた子供の血と、身体の一部を入れるそうですよ。子供は人差し指で、生後間もない子供だったらへその緒だそうです。はらわたの血なども入れるみたいですね」

「生き血ねぇ……」

 箱を振った時は乾いたカサカサという音しかしなかった。生き血に満たされていたらチャプチャプといった水っぽい音がするだろうから少なくとも生き血は入っていないか入っていてもカラカラに乾いているだろう。 どちらにしてもあまり衛生的な環境とは言いがたいが。

「とにかくさー、中見てみたいよね。開けられないかなこれ?」

 タテノと有瀬が話している横でサクラは箱を手に取り力任せに箱を開けようとする。それを見てタテノは慌てた。サクラの奴は力の加減ってのを知らないのかよくモノを壊すからだ。

「お、おい、まてサクラ! お前がそんな事したら……」

 慌てて止めようとしたが時すでに遅しだ。サクラが「えいっ」と力をこめれば箱はバキッと鈍い音がして亀裂が入りそのままぽろぽろ崩れてしまったの。 やはりワンコインショップの木材ではサクラの腕力に絶えきれなかったか。タテノはどこか諦めの境地に達し、バラバラに砕けた箱を見ていた。

 しかしサクラ、どうしてお前はそんなにモノを破壊するのが得意なんだ。破壊神の生まれ代わりなのか? だが破壊神というのは破壊した後に再生をも司るもんじゃないのか? おまえは破壊してしっぱなしじゃないか。現代兵器か何かか?  カボチャの煮付けを作るためカボチャを切ろうとし、タテノの家にある包丁とまな板をぶっ壊した挙げ句にカボチャは無傷だったのが昨日のように思い出される。 タテノの家にあったコントローラーのアナログスティックをすでに2本も折っているから今はサクラにはコントローラーを持ち込みさせているし、この前シャンパンを開けようとしてシャンパンの瓶を割っていた。女にしてはやや力のある方だろうが、それにしたってデストロイヤーがすぎる。 せめてそれに気付いて優しく、フェザータッチで触れるということを常に頭に置いてほしいのだがそれが出来るのならこんな有様にはなっていないだろう。

「あーあ、壊れちゃったよタテノ。責任とりなさい」

「お前が壊したんだろうが! どうするんだコレ……」

 しかもタテノのせいにするのは止めて欲しい。タテノはサクラと違って画面がバッキバキに割れたスマホなんて使ってないのだから。

 タテノは慌てて壊れた木くずなどを拾い集めた。店の中だってのに遠慮がないんだよな、サクラの破壊者っぷりは……なんて思っているタテノを前に、マスターは肩をふるわせて笑っていた。

「あぁ、すいませんマスター。なんか汚しちゃって……」

「ははッ、いいさいいさ。帰るまでに掃除しておいてくれればな。それにしてもサクラちゃん大胆だねぇ、呪いの品かもしれないってのにそれをぶっ壊しちゃうなんて」

 どうやらマスターは皆のやりとりを聞いていたらしい。それを聞いた上で躊躇いなく箱を壊したサクラがよほど面白かったのだろう。目に涙まで浮かべて笑っている。

「マスター、やだなー。アタシ呪われて死んじゃうかもしれないんだよー」

「その時は幽霊になってもコーヒー飲みにおいで。幽霊にはタダにしてあげるから」

 笑いをこらえ言うマスターを見る限り怒っていないようで安心した。ここのマスターはタテノのような学生が多少のバカをやっても寛容だからありがたい。 最も寛容だからといって掃除もせず黙っているのはスジじゃないからちゃんと片付けはしていくつもりではあるのだが。等と思って中身を集める俺を、有瀬は興味津々といった様子でのぞき込んできた。

「それで、中には何が入っていたんですか。タテノさん、サクラさん」

 どうやら有瀬も呪い云々は怖いことは怖いが、箱の中身は気になっていたようだ。呪われたコトリバコの話を始めたのも開け方がわからないからどうしたらいいのか相談がしたかったというのが本音だったのだろう。 その本題を切り出す前にサクラが箱を壊してしまった訳だが。

「ちょっと待ってろよ、えーっとな」

 タテノはポケットからハンカチを取り出すとその上に壊れた箱と中身を並べた。

 割れた木片の隙間から出たのは黒髪が一房。それに、爪のようなもの、とは乾燥し干物のようになったナニカだ。 爪は切られた白い部分だけがバラバラと出てきたが、一枚だけやや大きいものがあった。 本当に人間の指が出てきたらどうしようかと思っていたが、爪だけならまだ安心だ。だが一枚だけやや大きめの爪が入っているのは少しばかり気になる。

 それにこの干物のように乾いた物体は何だろうか。へその緒だったら洒落にならないがへその緒にしては大きすぎるが。

「これだけだ。主には髪の毛と、爪と、変な干物みたいなのだ」

「あと、木片」

「おい、木片はサクラがぶっ壊した木の破片だろうが。別に中に入ってた訳じゃない」

 並べられた中身を見て、有瀬は首を傾げる。

「髪の毛や爪というのはコトリバコの中身とは違いますね」

 その表情にわずかに安心したようだが、謎多い箱の中身には困惑しているようだった。

 言い伝えにある血や指が入っていたらすぐさま通報しなければならないが、実際に入っていたのは髪の毛に爪といった人間の想像範囲内にあるものばかりだ。髪の毛なんてものが入っているのは見ればギョッとはするが正体がわかってしまえばさして怖いものではない。 ただ一つ、正体不明の渇いた物体があるのは気味が悪いが。

「ね、ね、タテノ。このカラッカラに乾いたミイラ、カエルの死体じゃないかな」

「はぁ、カエルだって?」

「うん、アタシの実家って結構田舎なんだけど梅雨が開けるとアスファルトの上にね、行き場のなくなったアマガエルの死骸がこうやってカラッカラに乾いて真っ黒になって転がってるんだよね」

 サクラはそう言いながら正体不明の乾いたナニカをつまみ上げる。

 こいつ、それがカエルの死体かもしれないと知っていてそれをつまめるなんて何て強ェ女なんだ。きっと子供の頃は田んぼに入ってカエルの卵を持ち上げたりカマキリの卵を家に持ち帰り羽化した大量のカマキリで家の中を滅茶苦茶にしたことがあるに違いない。

 そういえば以前、タテノの部屋にゴキブ……黒くてテラテラした口に出すのもおぞましい不快害虫が出た時躊躇いなくタテノのスリッパでぶっ叩いて倒していた。虫や蛙といった一部の人間が嫌悪感を示すような生き物のことをサクラはあまり不快に思わないのだろう。 ちなみにタテノはサクラが黒い不快害虫を倒したスリッパを泣く泣く捨てたのだが、それはまた別の話だ。

 タテノがそんな悲しい思い出に浸っているのなど一切気にせず、サクラはカエルのミイラらしい物体を俺や有瀬へと向けた。

「ほら、こっちがカエルのおなかで四肢がキュッとたたんであるよねー。死体って筋肉が力を入れない状態に戻っていくんだけど、カエルの場合この香箱座りみたいにきゅっと小さくなる姿のまま死んでる事がよくあるんだよー。あ、こっちが頭で三角に尖ってるのが口。口のあたりがまぁるくなってるでしょ、これは目の部分。ガリガリに痩せて背骨が浮き出てるし、これカエルさんだよ間違いなーい。カエルじゃなくても背骨あるんだから脊椎動物だよ。普通の生き物の死体だから怖くないよー」

 タテノはそれを普通に触って解説しているサクラに少し引いていた。有瀬に関してはカエルの干物に近づきたくないと露骨に距離をとっている。

 自慢じゃないがタテノだって田舎育ちだ。小学校の頃は野山を駆けまわるそこそこの山猿として育っていたし夏休みともなれば蝉やらカブトムシを捕まえるため走り回った事もある。だが何も怖れるものなどなかった子供の頃にあった純粋な精神などもう失われた今は虫を触るのは避けたい。カエルが特別嫌いだという訳ではないがその死体を平然と触れるほど無頓着でもないのだ。 都会育ちに有瀬はなおさらだろう。

「わ、わかりましたサクラさん。それがカエルだというのは。だから、そっちへ置いて置いてくださいね。それですと、ますます何故この箱に入っているのか解りませんね。コトリバコには動物の血が必用とはありますが、カエルの血では少々量が足りない気がしますし、そもそもカエルがミイラになって死体ごと入れるなんて話は聞いた事がありませんよ」

「そうだよねー、つまりこれってコトリバコじゃないってことじゃないかなー」

 サクラはカエルのミイラを元の場所(つまり、タテノのハンカチの上だ。帰ったらハンカチを消毒しよう)に置くとおしぼりで指先を拭いて首を傾げた。

「えぇ、そうなりますね。コトリバコを模造し周囲が騒ぐのをほくそ笑むような愉快犯の仕業でしょうか……何にしても、これ以上の情報はなさそうですね。箱を開ければ何かわかると思ったんですが」

 有瀬は口元に指先を当て思案する。

 これ以上は何の情報もないと有瀬は言ったが、果たしてそうだろうか。

 新聞部に置かれたコトリバコ。

 コトリバコの話はタテノも知っている。有名かどうかは解らないが有瀬も知っているのなら今でも廃れた噂ではないだろう。 仮に知らない生徒がいたとしても新聞部の人間が意味深に置かれた木箱を捨て置くなんて事をするだろうか。有瀬の話だと新聞部は未来のジャーナリストを目指す志の高い集団のようだ。面白いネタがあれば食いつくに違いない。コトリバコを知らないという人間も今は誰だってスマホをもっている時代だ。手にあるスマホで調べれば有瀬の語る噂話にすぐに行き着く事だろう。

 それに、箱の中身も妙だ。

 入っているのは髪の毛、これは一房はありそうだ。肩ほどある髪を結い上げた時、その結い上げた髪全てを切ったらこうなるだろう。 切り口は非道く歪で、地味な色のヘアゴムで一つにまとめられている事からもこれがごく最近に作られたものだというのがわかる。

 爪は基本的には短く切られた爪だ。爪切りで切ったものを集めたのだろう。数も少ないから日頃から爪を集める趣味がある人間がそのコレクションの一部を入れてみたという訳ではないだろう。 最も、日頃から爪を集める趣味がある人間なんてあまり居て欲しくないものだ。植物のように静かに暮らしたいと言いつつ人を爆破させて殺すのに躊躇がない相手だったら困る。

 だがこの細々とした爪のなかで一枚だけやや大きな爪があるのは気になる所だ。

 このカエルのミイラは何の意味もないものなのだろうか。 普通はこんな不気味なものを好んで拾う奴はいないだろう。サクラは平気で触っていたがそれも箱から出てきた事による好奇心によるものだ。 そのへんで乾いて死んでるカエルを見つけたとしてそれを嬉々として拾ってくる訳ではないだろう……たぶん。

 いや、サクラだったらひょっとしたら集めている可能性はあるがそれはどちらかというと一般的な趣味ではない、サクラ独特の個性といえよう。

 それらを考えた上で、タテノは一つの可能性に思い立っていた。

「俺はこれである程度、この『コトリバコ』を置いた人間の正体は絞れると思うけどな……」

 タテノの言葉にサクラと有瀬は目を丸くしてこちらを見る。それは半信半疑どころか「信じられない」「疑う余地しかない」といった視線であった。

 おいお前たち失礼だぞ、とは思うがタテノは別に名探偵でもなければ過去、数々の事件を解決したこともない極めて普通の大学生だ。旅行先で殺人事件に巻き込まれそれを解決していたとか、未解決事件をこっそり警察から持ち込まれているとかそういった影の姿がある訳ではなければ、そもそもミステリ小説を読み込むような趣味も持ち合わせていないのだから疑問の視線は甘んじて受け入れよう。

 だがその時は偶然なんかピーンと来てしまったのだ。

「本当ですかタテノさん。それってこの箱を置いた人間の正体がわかるって事でしょうか。それとも目的が解ったんですか」

「そんなかじり付くような勢いで迫らないでくれよ有瀬……いや、これは想像でしかないから推理ではなくあくまで俺の妄想だと思って話半分で聞いてくれればいいんだが……」

 と、タテノはそこで壊れた箱を手に取った。

「まず、このコトリバコを置いた人物についてだ。これは有瀬の通う学校の生徒で間違いはないだろうな。部外者が学校に侵入し異物を置いていくなんて普通は考えられないだろ」

「そうですね、うちの学校はフェンスも高いですし校門も基本的には閉ざされています。生徒通用門など他の場所から第三者が入る事も考えられますが、教師でもなく制服も着てない人物が入ってきたら事件になりかねませんよ」

「そうだよねー、アタシも高校の頃に一回だけ不審者が授業中に廊下をうろうろしていた事があってさ。すぐに警察が呼ばれて先生がサスマタもって追いかけてたもん。大事件だったよー」

 いま、さらっとサクラがなかなかヤバい体験を話した気がするが気にしないでおこう。 このサクラを育てた環境なんだから試練の多い土地でも不思議ではない。

「さて、箱を置いたのが生徒だとするとそれが『何故コトリバコだったのか』そして『どうして新聞部に置かれていたのか』という部分が謎だよな。これは同じような意図になるんだが……新聞部の活動ってのはかなり盛んなんだよな、有瀬」

「はい。校内新聞は隔週ペースで更新されて目立つ場所に掲示されてる他、持ち帰れるようにまとめられていたりもします。新聞のコンクールなどにも出場して好成績を受賞しているそうですよ。webでも見られるようになってますから」

「新聞の内容はどういう傾向なんだ?」

「そうですね……各部活動のエースの話題や美術や書道の入賞者インタビューといった生徒によりそったものが多いですが、学生を取り巻く社会情勢や人気のスポーツの話題、郷土史に関わるコラムと結構色々な話題が取り上げられてますね」

「オカルト系の話題を取り上げられた事はないのか? ほら、あるだろう学校には。呪われたモアイ像とか……」

 そこまで言って、サクラは急に吹き出した。何だよ、何か変な事言っただろうか。

「まってまって! タテノの学校、呪われたモアイ像あったの!?」

「あったぞ? えっ、まてサクラの学校にはなかったのか……? 俺の学校にはモアイ像を作った彫刻家が作品を仕上げて間もなく自殺した呪いのモアイ像があったんだが……いや、そのモアイ像はな。彫刻家が自殺したなんて縁起が悪いから撤去しようってなった時、ことごとく悪い事が起こるからとうとう手つかずになったという噂があってだな……」

「モアイ像に?」

「あぁ、モアイ像に。いや、正確にいうとモアイ像じゃなく何かもっとエキゾチックな顔立ちをしていたが、みんながモアイ像と勝手に呼んでたんだよな……」

「あははは、何それー、変なのっ。普通の学校にはそんな怪談ないよー」

 サクラは腹を抱えて笑うが、タテノはかなりの衝撃を感じていた。普通の学校に、モアイ像はない……?  あれはタテノの学校特有の代物だったのだろうか? タテノは小学校の頃から学校に卒業生で彫刻家になった人物がデザインしたライオンの石膏像やら誰かは知らない人間の像なんかが飾ってあったからどこにでもそのような地元出身美術家の石像的なものが飾ってあるのだと思っていたのだが、これが地域色というやつか……。

「普通学校の怪談といったらトイレの花子さんとか、音楽室で勝手に鳴るピアノとか、目の光るベートーベンの肖像画とか。あとは動く人体模型とかそういうのだよー」

「そういうのもあったぞ。ただそれよりもあのモアイ像が不気味で……」

「あの、モアイ像が呪われている話はいいですから先の話をしてもらってもいいですか?」

 しまった、モアイ像で盛り上がっていたら有瀬に怒られてしまった。だが確かに母校にあったモアイ像は本題ではないから当然だ。閑話休題といこう。

「とにかく、その手の怪談話みたいなのは取り上げてないのか? 娯楽の多いゴシップ記事みたいなのだ」

「そうですね……たしか去年の夏頃に出た新聞には学校内に伝わる怪談の特集が組まれていたと思いますよ。体育館に出る幽霊の噂についてその真偽を探る内容で、噂にある自殺した生徒が存在しないという事などかなり詳細に調べられた記事でした。この手の噂を検証するような記事が得意な生徒がいるようですね」

「なるほど。確か新聞部ではコトリバコについて『捨ててしまえ』というより『正体を突き止めたい』といった声が多かったんだよな」

「はい。真偽を確かめたいという様子でした」

 それならタテノの想像は当たらずとも遠からずといった所に落ち着きそうだ。 自信満々に言えるような内容ではないが話してみてもいいだろう。

「間違いない。というのはいささか早合点だろうが、それを考えるとこのコトリバコは恐らく新聞部に調査をしてほしいがために置かれたんだろうな」

「調査のため……何でそんなことを?」

「新聞部に、というよりは……誰でもいいから気付いて欲しい。訴えたい事があったんだよ。この箱を作った人物にはな。だからこそ箱の作りは粗雑で壊しやすいようになってたんだろう」

 タテノは箱の中に入っていたモノたち。爪や髪の毛、そしてカエルのミイラなどを改めて眺める。推測はいいセンを行ってるとは思うがもし本当にこの推測通りなら、箱を置いた人物は決して余裕のある状態ではないだろう。

「コトリバコについては噂話として知ってる奴も多いんだろう? 実際俺やサクラも知っていた訳だし、知らなかったとしてもスマホで調べればすぐわかる時代だ。新聞部として『コトリバコです』と置かれたモノがあったら当然それについてスマホで調べたりすると思うんだが」

「そうだと思います。実際、この箱と手紙が置かれていた時に『コトリバコ』について検索して知った部員も多かったそうですよ」

「コトリバコは調べるとおぞましい呪いの品だってのがすぐわかる。そんなものが新聞部に置かれたら連中は当然、それをネタに記事を書こうとする訳だ。その時にコトリバコの噂も調べるだろうし真偽を確かめるはず。そして中を開ける奴もいるかもしれない……ま、実際は俺たちがこうして開けてしまった訳だが」

 そこでサクラは舌を出して「てへ」と口にする。可愛いふりしてもすでにお前が徒手にてこの箱を破壊した事実は覆らないのだ。今さら可愛いふりをするな。

「つまり、タテノさんはこの箱が置かれたのは新聞部に取材をされるために置いたということですか」

「そうだ。もし呪うためだったら目立って置かないもんだろ? こいつは呪いたい相手のところにこっそり置くのが普通のようだしそれでも充分効果があるみたいだからな。それに中身は噂にあるコトリバコに入ってるものと全然違う。コトリバコ、というセンセーショナルな言葉を用いて興味を引いたが実際は無関係の代物を置いたということはこの箱の正体を。そして箱を置いた人物についてを突き止めて欲しいというのが相手の目的だろうよ」

 こちらの言葉を推し量るよう有瀬は顎に手をあてて考える。 これは全てタテノの推理と言うのも烏滸がましい妄想にすぎないが、否定する材料もあまりないといった様子がうかがえた。

「もし、コイツがオカルト研究会とか……いや、そんなもんあるか知らないが。そういったオカルト好きの手に渡っていればすぐさま偽物と見抜かれて捨て置かれるだろうが新聞部ならどうしてそこにあるのか、正体は何なのか、呪いは本当にあるのかそんなアプローチもするんじゃないのか。犯人……という言葉が適切かはわからんが、そいつの目的はそこだったって訳さ」

「新聞部に置かれたのは調査のため、というのはわかりましたが……何でそんな事をしているんですか。その生徒は」

「それは箱の中身を見れば何となくわかる。そして、その生徒が新聞部に直接話を伝えることが出来なかった理由もな」

 俺は箱に入っていた髪の毛を指さした。 ヘアゴムでまとめられ歪に切断された一房の髪の毛だ。

「見てくれこの髪の毛。ちょうど肩くらいの長さがある髪を縛るとこんな感じにならないか?」

「あ、そうだねー。アタシも薄幸の美少女だったころ髪が長かったけど、縛るとこんな感じにまとまってたよー」

 お前に薄幸の時代なんてあったのか、サクラ。いや、サクラに関わると話が進まない。ここはスルーだ。

「しかもこの髪の毛、ゴムでまとめられてる。コトリバコってのは呪術につかう道具なんだからヘアゴムで止めた髪を一房入れるなんて明らかにおかしいだろう。赤ん坊が初めて髪の毛を切った時、記念にって髪をとっておくにしてもこんな風にはならないぞ。しかもこの髪、ひどく雑に切られてるじゃないか。美容師がやるような切り方じゃないよな」

「うん、美容師さんはすっごい丁寧だからねー。いくらベリーショートにしてくださいって注文でも縛った髪の毛を一房ばばーんと切り落とすなんて雑なことはしないよ」

「サクラの言う通りだ。だとするとこの髪は、自分で切ったか素人が雑に切ったかになるが……自分で切った可能性はひとまずおいて、素人が雑に髪を切るような状況ってのはどういう状況だと思う? 有瀬」

「まさか……」

 有瀬は俺の顔を見て、口元に手をあて改めて箱の中身を見る。有瀬は鈍感なほうだがここまで言われたらその可能性に気付いたのだろう。

「そうだよな、普通はない。そんな事するのは……陰湿なイジメだよ。他人の長い髪を勝手に切っちまうような危険で残酷なイジメだ」

 タテノの言葉に、サクラは目を丸くする。そして俺と髪の毛、爪、カエルの干物といったアイテムを交互に見た。

「えっ、えっ、じゃ、まって。この髪の毛、イジメられてる生徒が切られた髪を入れたってことー? わわー、この長さだったら女子生徒かなー。女の子のイジメって精神的にこたえるやつがすっごいんだって言うけど、これ相当タチの悪いいじめっ子だねー」

 イジメが陰湿でタチが悪いのに男女差なんて無いとは思うが他人の髪を切るのが相当に非道いというのはタテノも同意見だった。 そうして驚くサクラを前に有瀬は呻くような声を漏らしていた。

「はぁ……タテノさんそんな事もわかるんですね。見た目と違って観察力があるんですね……」

「見た目と違って、は褒め言葉じゃねぇぞ有瀬。ま、いいけどな。だが、この箱を作った人物がイジメられてるとしたらここにある爪の意味合いも少しばかり変わってくるぞ」

 タテノは無数にある爪の破片に混じった、やや大きな爪を指さした。

「見てくれ、他の爪は爪切りで切ったくらいのサイズなのにこの爪だけ大きいだろう? ……イジメられて髪の毛を切られるくらいの事されてんだ。この爪の大きさが何を意味しているのか……想像に難くない、ってやつだよなァ」

 その言葉に、有瀬は息をのむ。察しの悪いサクラも剣呑な雰囲気を感じたのだろう。 やや気の毒そうな目で、その爪を見た。

「ねぇ、それってさぁタテノ……この虐められてる子、イジメてる相手に爪を……」

「おそらく、な。剥がされてる……だろう。コイツだけ明らかにデカい爪なのはそういうことだ」

「あ、じゃあこのカエルのミイラもさ。虐められている子がカバンに入れられたりってそういう嫌がらせに使われてたやつ……ってこと?」

「可能性は高いな。カエルが嫌いな生徒だったんじゃないか。そうじゃなければカエルのミイラなんて好んで拾ってこないだろう。カエルのミイラはコトリバコを作るのに関係ないものだしな」

 死んだカエルを押しつけられ髪の毛を切られた上、爪まで剥がされる壮絶なイジメだ。 それをされていた生徒はどれだけ辛かっただろうと考えるだけで胸が押しつぶされそうになるし、そんな所業をやってのけた人間がいると思うと反吐が出る。

 有瀬もそう思ったのだろう。しかも自分の学校にそんな所業を容易くやってのける生徒がいるなんて想像してなかったに違いない。有瀬の学校は品のいい進学校だからイジメをするようなヤバい奴も賢く立ち回っていたのだろう。あるいは他人を平気で傷つけるような人間が普通の生徒の顔をして何ごともなく学園生活を送っている事実がおぞましかったのかもしれないが。

「それだったら、どうして素直に『虐められてるから助けてくれ』って言わないんでしょうか……」

 やるせない気持ちをぶつけるように有瀬は吐き出す。これはあくまでタテノの妄想で確定ではないのだが、可能性がゼロではない事を有瀬も理解したのだろう。

「虐められてる、なんてなかなか言えないもんじゃないか? イジメを伝えれば大事になりかねないし家族にも心配かけちまうし、イジメてくる連中がどこかで見ているとなると助けなんて求めにくい。ましてやイジメられるような状態だ。周囲から孤立して相談できる友達もいなかったら新聞部に顔見知りがいるとも思えないだろ。見知らぬ相手にイジメを訴えて助けてもらえるなんて思えないし、必死に声をあげて誰も見向きをしなかったらそれこそ絶望だ」

「それは……確かに、そうですね」

「ひょっとしたら、一度くらいは教師に助けを求めた事もあるかもしれないよな。だがじゃれ合い程度だと捨て置かれたり話し合って解決しようとイジメる相手と顔を合わせたりしたらもっと非道いイジメをされたかもしれないか……だから、託したんだろう。自分の壊れそうな心を引きずって、気付いて欲しいという思いをこめて作られた魂の叫び……それがこのコトリバコの正体さ」

 あぁ、しまった。うっかり「正体さ」だなんて断言してしまった。これで違ってたらすごく恥ずかしい。後で有瀬から「全然違いましたよ」なんて報告を受けたら家に帰った時枕に顔を埋めてジタバタするしかない。

「というのは俺の妄想だけどな」

 タテノは羞恥心を打ち消すためとりあえず、そうを付け足しておいた。 彼は名探偵とかではないのだから自信満々にトリックはこうだとか、その証言は矛盾しています! なんて叫ぶ事は出来ない小市民なのだから。

「もしそうだとしても……その生徒が誰だかわからないじゃないですか。イジメられてても何もできないですよ……」

 有瀬はやるせない表情で視線を落とす。こいつは気が弱い男だがイジメられている生徒がいるなら助けたいというくらいの正義感は持ち合わせているようだ。

「そうでもないと思うぜ。この箱は今日置かれてたんだよな? 最近作られたのを見ると、髪を切られたのも爪を剥がされたのもそう前の話じゃないだろう。髪の色は見ての通り、染めたりしてない黒髪だ。ここ最近で肩ほどある髪を短くして、なおかつ小指の爪を怪我している生徒。この二つの条件に当てはまる人物なら限られてくるんじゃないか」

 タテノは剥がされたとおぼしき爪に自分の小指を向けた。

「ほら、この爪あんまり大きくないだろ? 俺の小指より小さい……こんなに小さい爪は小指の爪だと思うんだが」

 それを見て、サクラも真似るように爪に自分の小指を向ける。サクラの手は小さいがその爪は彼女の大きさと大差なく見えた。 やはり女子生徒の爪か。そうじゃなかったとしてもサクラと同程度の体格とみて間違いないだろう。サクラくらいの体格ならやや小柄と考えても良さそうだ。 勿論、すごく爪の小さい巨漢という可能性もあるだろうから過信は禁物だが。

「髪が急に短くなって小指を怪我した恐らくは女子生徒、あるいは小柄な男子生徒に絞れば探せなくはないんじゃないか。イジメられてる可能性があるのなら尚更だな……ま、これは俺の妄想だから何をするかってのはお前に任せるがな」

「そうですね……」

 有瀬は長く息を吐く。カフェオレの氷が溶けてグラスにあたりカランと冷たい音がした。

「新聞部の部長には話をしておきますよ。一つの推測として……えぇと、髪を切るとか爪を剥がすのはイジメというよりももう暴力ですよね」

「そうだよー。えっと、確か髪の毛を切る、みたいなのは暴行罪になると思う。暴行っていうと殴る蹴るとかそんなDV的なものを想像するけど、身体に傷を負わせなくても適用されるんだー。で、爪を剥ぐのは傷害罪になるかな? 傷害罪はねー、怪我して生活に支障が出るような状態になるから。本当にイジメでそんなことされたら、犯罪なんだよねー犯罪。わー、怖いよ刑事罰だもん」

「サクラ、おまえ思ったより法律関係のはなし詳しいな」

「当たり前だよ! アタシ、逆転裁判とか大好きだし二時間サスペンスも大好きだもん!」

 架空の法廷が舞台の逆転裁判や二時間サスペンスが情報ソースというのはいささか心許ないがここまで来ればイジメではなく犯罪だろうというのはタテノも同意見だった。

 有瀬はしばし思案するように口元に手を当てるとやがてゆっくりと顔を上げる。 そこには気弱な彼からは想像できないほど、決意と覚悟に満ちた表情が浮かんでいた。

「だったら、僕はこの生徒を探してみます。そうですね、新聞部の先輩にはも協力してもらって、イジメの真実を暴いてみせますよ。イジめてる相手が二度とイジメなんかやりたくない、こんなの割に合わないって後悔するくらいやってやりますって。正義という大義名分で思う存分叩いてやるのなんて最高のショーですからね」

 最後に皮肉を込めて言ったのは、自分自身を自制するためだろう。

 たとえ正論でも、それが正義であっても暴走し人を追い詰めてしまえば暴力と大差ない。有瀬はそれをよく心得ていた。少し頼りなく気は弱いし判断が遅い所こそあるが、有瀬は頭がかなり回るタイプだし、人脈も多い。きっと友人たちの伝手などをつかい虐めた相手に包囲網を敷き、助けを求めていた誰かに手を差し伸べるに違いない。かつ陰湿に相手を追い詰めるに違いない。

 有瀬はマスターからビニール袋をもらうとその中にコトリバコであったものを入れて鞄へと戻した。

「イジメられてる子、可愛い子だったらいいねー。そしたらさ、カズシくん恋が芽生えるかもよー」

「そ、そんな、弱った心につけ込むような卑怯者じゃないですよ僕は。それに、可愛い子がいいだなんて、ルッキズムに支配されるような考えは古いんじゃないですか。相手がどのような容姿だろうと性別だろうと虐められていて助けを求めているのなら手を差し伸べるのが普通だと思いますよ」

「うわ、現代っ子だねー」

 サクラは暢気な口調のままコーヒーフロートを飲む。アイスはすっかり溶けてほとんどクリームコーヒーが出来上がっていた。

「それなら、どうせならイジメている相手が美形の方が良くないか。卑怯にも他者を貶め暴力と恐怖で支配するようなロクデナシが美形であり、美形が顔を歪めて窮地に陥る姿を見る方が断然楽しいと思うぜ。それが男でも女でも、負けて悔しがる顔を見るのは美形の方が断然に気分が高まるってもんじゃないのか」

 サクラの言葉にのったつもりで、タテノはそう口走る。すると、サクラも有瀬もドン引きした、という露骨な顔でこちらを見た。

「うわ、タテノってすっごい歪んだ感情抱いてる……これがルッキズムに支配された古くて哀れな人間ってやつだね。こんな人になっちゃいけないよ、カズシくん」

「はい、気をつけます……」

 有瀬とサクラが厳しい目を向ける。どうやらタテノはとんでもない欲望をむき出しにしてしまったようだ。だが所詮、タテノは綺麗な顔の相手を屈服させて分からせてやりたいという欲望をもつ、ルッキズムに支配された古くさい人間なのだから仕方ないだろう。

 それからタテノとサクラ、有瀬の三人は暫く他愛もない話をし、予備校が始まる時間になると有瀬はいつものように店から出ていった。

「イジメられてる子がさ、本当にいたなら……助けてあげられるといいねぇ」

 有瀬が店を出た後、サクラはぽつりと告げる。

 有瀬は何に対しても一生懸命に立ち振る舞えるいい奴だ。よっぽど下手に立ち回らなければ事態を打開するくらい造作もないだろう。

「あぁ、だが一番いいのは俺の妄想が全て見当外れでイジメられてる生徒なんてどこにもいなかった、なんてオチなんだけどな」

 タテノはそんな事を言いながらカップに残るコーヒーを飲む。

 すっかり冷めたコーヒーはミルクがたっぷりと入れてあるにもかかわらず普段より苦い味がした。

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タテノとサクラ 東吾 @105_k5

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