性癖オールマイトと倒錯者

よく勃起を隠す仕草として「前屈みになり股間を押さえる」という描写が採用されるが、確かに、いっちゃんはその通りの姿勢になっていた。エロサイトはかくも偉大なり。


「すげぇ……」


私の自尊心はその一言で一瞬満たされ、すぐに渇いた。もっと敬われたい。


かくして、私はエロの伝道師となるべく日夜エロサイト巡りに没頭した。熱で学校を休んだときはチャンスとばかりにパソコンへと齧りつき、頭の中には次第にエロ用語のボキャブラリーが増えていった。

しかし、教師なき馬鹿は誤った知識に踊らされる。私は「素人」を「そじん」と読んでいた。そじん、そじん、そじん。それでも検索さえできれば正しい読み方など二の次だった。


こうした自習を経て、中学に上がる頃、私は「エロいやつ」として名を馳せていた。


「カンタってヤツいるかー?」


わざわざ面識のない先輩が私を探し出し「こういう性癖なんだけど、いいサイトある?」と聞きに来るほどに。


しかし、私はその頃悩んでいた。知りすぎてしまったのである。「未知のエロスはないのか?」「他人が興奮できることに興奮する。それで満足していていいのか?」「全知ではなく、偏った性癖に陥っている可能性は?」、こんなことを実に真剣に悩んだのである。


私は覚悟を決めて、あらやるジャンルで射精を試みることにした。年齢・性別・国籍問わず、プレイも問わず、二次元と三次元の壁も気にしない。音声のみ、文字だけ、果ては初心に戻って妄想に浸ることもあった。結果、私はそのどれもに興奮し、昂り、吐精した。


「全部いけるじゃないか!」


馬の長いペニスを見て射精しながら、私は歓喜した。人類の壁も越えることができたのだから。



私は手のひらで生温かさを受け止めながらトイレに向かった。

トイレには祖母の趣味である世界の絶景カレンダーが掛けられており、その時の写真は“滝”。


「え、滝もエロくね?」


私は射精した。ついに生物の壁すら超えたのである。


以降、私は自分の性癖を「ゆりかごから墓場まで」あるいは「性癖オールマイト」と自称し始めた。どんな欲であれ、理解を示せる自信がついたのだ。


中学時代に性癖オールマイトとして自我を確立させた私は、ある種のおせっかいとして、世の性的倒錯者に寄り添うことを使命と感じていた。


「こういうところに、エロさがあるよね」


私がズバリと核心を突くと、皆、目を輝かせた。自分の性癖は孤独でなかったのだと。持っていても恥じることではないのだと。私は人間だったのだと。

さすがにここまで思ってくれていたかは定かでないが「キミィ、わかってるねぇ」とは認められていたはずである。


性癖オールマイトとして過ごしていた私は、次第に自分のことを救世主か何かだと勘違いし始めた。人は己の性癖を理解されたがっている、という妄信的が私を猪突猛進の馬鹿にしていたのだ。

かくして、隙あらば人の性癖を聞き出し導こうそとする「最悪のセクハラ男が誕生した」と締めたいところなのだが、残念なことにそうはならなかった。


理解の及ばない男が現れたのである。忘れもしない、大学2年の秋。いや、冬だったかもしれない。


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