隣家の紫陽花

入間しゅか

隣家の紫陽花

隣家の庭の紫陽花がフェンスから飛び出して咲いている。家が影になっているので、花のほとんどがフェンスの向こうを見ていた。

紫陽花の花言葉が好き。「和気あいあい」、「家族」、「団欒」、「変節」、「浮気」。小さな花がひしめき合う様子から「和気あいあい」、「家族」、「団欒」。土によって花の色が変化するから「変節」それが発展して「浮気」。何とも人間くさい。まあ、人間が付けた言葉だから人間くさくて当たり前か。

ここで意地悪なことを考えたくなる。実際人間がひしめき合うとどうだろうか?必ずにしも「和気あいあい」と呼べる状態とは限らないし、「家族」と言えど、内部崩壊している可能性だってある。「団欒」どころか「混乱」かもしれない。そんなことを考えてしまうのも、偏に私の家族が崩壊しているからだと思う。原因は父の「浮気」癖だった。


父にどんな「変節」があったのか知らないけど、最初の「浮気」は私が10歳のころ。あの時もお隣さんの紫陽花が咲いていた。学校から帰ると母に突然告げられた。「お父さんね、他の人といいことしてたの」と。リビングで宿題をしていた私は母の言葉の意味を汲みかねた。特に「いいこと」とは何が「いいこと」なのかわからなかった。母の口調から「いいこと」がいい意味ではないことは察しが着いた。でも、それっきり母は何も言わなかった。その夜、食卓を囲んで家族の会話はなかった。何も知らない弟だけが、ぺちゃくちゃと友達との武勇伝を話していたが、弟なりに何か察したらしく、しばらくすると口をつぐんだ。私は自分がこの場をなんとかしないといけない気がしたのに、何も言葉が出なかった。

二度目の浮気が発覚した時、私は高校生だった。その時にはあの「いいこと」の意味をわかっていた。部活終わり、家に帰ると母が荷造りをしていた。私がただいまを言う前に「出てくからあんたも準備しなさい」と母が怒鳴った。どこかで遊んできた弟も、帰ってくるなり同じ言葉で怒鳴られた。おずおずと言われるがままに、荷造りを始める弟がなんだか腹立たしかった。父は出会い系サイトで何人もの女性と関係を持っていたらしい。母がどうやって突き止めたのかは知らない。私は出ていく気なんてサラサラなかったし、なんで母の一時的な感情に付き合う必要があるのかわからず「勝手に出ていけば?」と言い残して自室に逃げた。どんどん!と戸を叩き、何かを喚く母の声を聞きたくなくて耳を塞いだら、自然と涙が出てきた。母と弟は出ていった。母の実家へ。弟は必然的に学校を休むことになり、学校へは父が連絡した。いつ帰ってくるかも、そもそも帰ってくるかもわからないのに「息子は風邪です」と言った。

父との二人暮しは悪くなかった。元々口数の少ない父は何も干渉してこなかった。朝早く仕事に行って夜遅く帰る。頼まれたわけではないけど、父の分の晩御飯を作るようになった。料理は楽しかった。友達に両親の事情を隠している変な後ろめたさを一瞬でも忘れられるから。休日の父はずっとテレビを見てたかと思うと、ふらっとどこかへ出かけて、ふらっと夜中に帰ってきた。私は何も詮索しなかった。

ふと離婚したら私はどっちにつくんだろうかと考えることがあり、その度に胸がムカムカした。そんな時に心の支えになったのが、インターネットだった。私の家より悲惨なエピソードがインターネットにはごろごろ転がっていた。下には下がいる。こんな安心の仕方間違ってると思いながらも、人の不幸話を求めずにはいられなかった。


それから一ヶ月が経った。母が出ていったことがクラスメイトに知られていた。弟が友達に家庭のことをLINEで話したらしく、その友達の兄が私のクラスメイトだった。そいつは自分で噂を広めておきながら、「大丈夫?」と訳知り顔で言ってきた。だから、間髪入れずに「うるせえ」と言った。自分でもびっくりするくらいどす黒くて低い声だった。それからというもの私は教室が嫌いになった。誰も面と向かっては言ってこないけど、何かしら良からぬ噂をたてられてることくらいは知っていた。噂は真偽を問わず広まるものだ。父がどこどこで女と会ってたとか。本当はもう離婚しているだとか。

だから、何かと理由をつけて保健室に入り浸るようになった。保健室の先生はたぶんいろいろ知ってたんだろうけど、何も訊いたりしなかった。保健室にはいつも別の組の女の子がいた。名前はトモカ。トモカのことは前から知っていた。私と違ってテストの点数が良かったから。学年の成績優秀者として名前がよく張り出されていた。保健室登校なのに、テストの点数がいい子として有名だった。いい意味でも悪い意味でも、いじめられているということも含めて有名だった。いじめのことは教員も知っていたはずだ、恐らく相談してこない限りは何もしないことにしていたんだろう。

トモカとはよく話すようになった。読書好きで、博識で、いじめられているとは思えない快活さだった。トモカと話すために保健室に行くようになっていた。父には保健室登校であることを隠していた。父だって隠し事をしてきたんだから。

トモカと話すようになっていじめの実態がわかった。最初はものを隠されるちょっとした意地悪から始まった。それが徐々に過激になり、隠されるならまだしも、壊され捨てられるようになり、授業中に掃除道具入れに閉じ込められる、トイレで水をかけられる、仕舞いには暴力をふるうようになり、ある日登校すると机がなくなっていて、仕方なく保健室に来た。

「たぶん、嫉妬してるんだと思う」とトモカは他人事のように呑気な口調で言った。

「どうして先生に言わないの?」

「保健室にいる分には何もされないし、いっかーって」そう言ってトモカは笑ったが、私には笑えなかった。今までインターネットで探してきた人の不幸話とはわけが違っていたからだ。トモカは私より断然酷い目にあっていた。人の不幸話を糧に自分を保ってきた私はどうがんばっても卑怯者だ。そんなことにも被害者を目の前にしないと気づけないなんて。今思うと、かなり大袈裟だけど、その時この子のために生きたいと思った。


母と弟が帰ってきたのは、それから更に一ヶ月後のこと。私はすっかり保健室に馴染んでいたし、トモカが唯一の友達になっていた。その日も、午前中保健室で過ごして、午後にはトモカと一緒に早退した。一緒に帰ると必ず彼女をいじめているヤマモトという女子を中心にした一団に嫌がらせをされた。長くなるのでここでは嫌がらせの詳細は言わないが、トモカがやり返さないから、私もやり返さずにされるがままだった。だから、制服が汚れることは日常茶飯事で、ドロドロに汚れた服で家に帰ると、母と弟が何事もなかったようにそこにいた。

「帰ってきたんだね」母と弟との再会が嬉しいのか、嬉しくないのか判断出来なかった。

「あんたその服……」と言ったきり母が黙ったので、私はトモカのことを話した。スラスラと言葉が出てきた。自分のことじゃないみたいに。トモカのことを話したことで、母はすぐさま学校に連絡した。娘がいじめられていると。そして、父がその日以来帰ってこなくなった。


それから一年が経った。トモカは国立大学に進学。なかなか会えなくなったが、今でも連絡を取り合う仲だ。私は高卒でアルバイト。ヤマモトたちは高校卒業後どこで何してるか知らない。母には恋人が出来た。母と母の恋人と弟と私。四人で仲良く暮らしている。父のことをたまに思い出す。元気にしてるならそれでいいやとも思う。

隣家の紫陽花が綺麗。紫陽花の花言葉が好き。「和気あいあい」、「家族」、「団欒」、「変節」、「浮気」。思わずスマホで写真を撮る。仲良く集まって咲く花がほんとにかわいらしくて。

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