第40話 EP5 (9) ウォードのカウンセリング

 リビングではウォードがクララとの対話を試みようとしていた。


「クララさん、娘さんのクレアさんからお聞きかもしれませんが、私は精神科医をしているウォードと申します。クレアさんには私のクリニックで働いて頂きまして、たいへん助かっております」


 ウォードはクララの表情を見ながら話し出した。クララは視線を下げ、無表情で聞いている。


「あの、差し出がましくてたいへん申し訳ありませんが、クララさんがもし今何か思い悩んでいることがあるようでしたら、お聞かせ願えませんか? 仕事柄、少しでもお気持ちが楽になるように手助けができるかもしれませんので……」


「いえ、私には別につらい悩みはありません」


 クララは遠い昔、仕事をしながら結婚した頃が絶頂期で、その後徐々に不運が重なり、子育てが終わった頃からはゆっくりと、しかし沈む太陽の様に生きる希望が萎んでいったのだった。彼女は優しいが故に繊細な心の持ち主で、彼女を支える存在、彼女が甘えることのできる存在がいなかったことも心身の疲労につながっていた。


「そうですか…… それでは昔の事、例えばクレアが生まれた時とか小さい頃の事を聞かせてもらえませんでしょうか? あんないい子をどのように育てたのか知りたいのです」


 ウォードは直接悩みに触れない方が良いと判断し、クララが話しやすいことを話してもらおうと考えた。


「クレアは、生まれた時から手のかからない……とてもいい子でした……」


 クララはポツリポツリと話をし出した。ウォードは冷たく固まっていた氷を解かすようにゆっくりと彼女の話を聞きだしていった。

 

 ウォードの巧みな誘導で、気が付くとクララは、クレアの話だけでなく仕事や家族生活についてウォードに吐露した。しかし基本的にはポジティブな話しかしてくれなかった。悩みにつながったと思われることに関しては固く口を閉ざしていた。そこでウォードはイエス、ノーで答えられる質問を始めた。


「誰かと再婚したいという気持ちは特にありませんでしたか?」

「ありません」


「病気がつらくて絶望されたことは?」

「そこまでは……」


「このまま年老いていくのは耐えられないと思ったことは?」

「……誰もが行きつくことですので……」


 ウォードは最後の質問の回答が気になった。老化を気にしているかに対して、ノーという回答では無かった。明確にイエスという回答では無いが、一種あきらめの雰囲気がある。確かに老化は回避し難い。しかしそれをどう感じるかは人によって大きく異なる。


 ウォードは壁や棚に飾ってある家族の写真に写っているクララが全て若い頃の写真であることに気が付いた。写真の彼女は美しかった。仕事に育児に家庭生活に全力を尽くして輝いている彼女が映っている。


 ウォードはその後も雑談を交えてクララに質問を続け、小さな確信に至った。クララの最大の悩みは若さを失ったことなのでは無いか。鏡を見たり、若い頃の写真を見るたびに、彼女は自分を傷つけているのかもしれない。今の彼女には老化の悲しみを補う楽しみもない。


「クララさん、お仕事を再開されてみてはいかがですか?」

「え、仕事……ですか?」


 クララは一瞬ピクリと反応し、少し考えてから小さな溜息をついた。


「いえ、今更そんな仕事をするような能力はありません。迷惑をかけるだけです」


 クララは先生を務めていた時、それは人気のある女性教師だった。生徒に好かれ、他の教職員にも好かれていた。その頃の自分と、今の自分を比較しているのだろうか。ここでも諦めが感じられた。


「そんな事はありませんよ。今日お話をしてみて、まだ十分教師は務まると思いますよ」

「いえ、お世辞を頂いても、無理です」


「外見を気にされていますか?」ずばりと聞いた。

「な、なにを。そんな事……」


 クララの顔が少し赤くなった。図星だった。彼女は分かっていた。今でも十分教師をするようなスキルはある。でもこんな年老いた女性教師、誰が歓迎するだろうか。そんな余計な事を心配しているのだ。


「クララさん、大変失礼なことを言いました。申し訳ありません。お話はこれくらいにしましょう。今回来ているニーモはヒーラーと言いまして治療のスペシャリストです。あなたは別に心の病気ではありませんが、彼女に少し元気にしてもらいましょう。また明後日お話しさせてください」


「……」


 クララは茫然としてウォードを見つめた。ウォードは席を立ち歩き始めた。ふと思い出したように振り返ってクララに言った。


「そうだ、クララさん。あなたは今でもすごい美人ですよ」


 クララはウォードの言葉に眉をひそめた。しかし心の中に小さなさざ波が立ち始めた。顔にかかっていた白髪交じりの髪を指でかき上げ、顔を少しだけ上げ、歩いていくウォードの後ろ姿を見つめていた。

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