第1話 奉公

 

 時はさらに遡る。


 春の訪れは初々しくして、淡雪が降る中、青森の小さな町で、房江は明治の終わりを迎える頃に出生した。

 やや未熟児であったが、元気に産声をあげたのだ、房江の家は両親と5人の兄弟がおり、房江は末娘であった。そのため、両親に大事に育てられながら成長していった。すくすく、成長していくと器量の良さが際立っていったのだ。

 やや、大人しく繊細な性格は、出生してきた時の淡雪を彷彿させた。兄妹も5人もいれば喧嘩もするのが常であるが、房江は控え目であったため、喧嘩に巻き込まれないことが少なかった。優しかったのだ。

 兄妹間では仲は良かったものの、学校では大人しい性格であるということと、家が貧しく、ろくにお弁当も持っていかなかったこともあり、虐められていた。


「房江、今日もまた、お弁当はないのか?」

「そうよ」

「お前の家は貧乏だからな。どうせ草の根っこでも食べているんだろう」

「そんな事はないわよ」

はははは

「もう、そんなに言わないで。貧乏なのは仕方ないでしょ」

「俺の弁当の梅干しでもあげようか」

「いらないわよ」

ははははは

「今日から、お前は梅干し娘と言うからな」

「もう、やめて」


 このような貧しさからくる虐めがあったのだ。それでも、房江は耐えたのだ。その性格ゆえに、その後の人生も左右されたのである。

 確かに、家は貧しかった。時には一日に一食しかない日もあったほどだ。貧しさは深刻であった。

 貧しい理由は父親の体が不自由であった事と、母親が病気がちであったことだった。そのため、農業の仕事が満足にできず、収入が少なかった。

 そこに悲劇が訪れた。食料不足により、三番目の姉が栄養不足で亡くなったのだ。父親は悲しみ悩んだ。どうやって、今後もこのような生活をすればいいのだろうかと。しかし、それは思うばかりで現実は厳しかった。

 そこに、嘉助という男が現れた。嘉助は房江の器量の良さを見て、京の町へ奉公に出さないかと話を持ち掛けたのだ。しかし、父親も母親も辛かった。可愛い末娘を奉公に出すのは辛かったのだ。

 父親は、家族の事を考えると房江を奉公に出して、多額の金銭をもらうという選択肢しかなかなかったのだ。それは辛い事であった。生きていくには仕方がなかったのだ。

 そして、奉公に行く日が訪れた。その日は雪が房江の家の辛さを象徴するように、激しい雪が降っていた。房江は家事を手伝っており、青森は寒かったこともあって、手は、あかぎれをしており、その手が痛々しかった。

 外には馬車が既に用意されていた。馬車はさほど、大きくなくはなかったが、房江の他にも数名の娘達が乗っていた。房江と同様に京に奉公に行くためであった。

そして、馬車に乗り込むと家族が見送りをした。


「房江、元気でいるんだぞ」

「お父さん、お母さん……」

「房江……、ごめんなあ」

「お父さん、お母さん……」

「気をつけて行くんだぞ……」


 家族みんなが泣いていた。房江も泣いていた。貧しさたるゆえの辛さであった。房江は馬車の中で、見知らぬ者達としばらく過ごすのかと思うと、不安でたまらなかったのだ。


「そろそろ、お嬢ちゃん、出発するよ」

「うん」

「お父さん、お母さん……」

「房江……」


 悲しみの声はどこまでも遠く響いた。房江も家族も互いが見えなくなるまで、馬車から手を振り続けた。外は房江の気持ちを象徴するように、激しい雪が降っていた。房江はあまりの辛さに泣き崩れていた。

 嘉助は房江に優しく声をかけた。


「お嬢ちゃん、大丈夫だよ。もう少ししたら京に着くよ」

「おじちゃんは誰、京とはどういう所?」

「ああ、私は嘉助という、京とはそれはもう、華やかで賑やかなところだよ。そこにお嬢ちゃんは今から行くんだ。美味しいものも、たらふく食べられるのだぞ」

「本当。おじちゃん?」

「ああ、本当だよ。だから安心すんだよ」

「うん」


 房江は小さくうなずいた。馬車には数名の娘たちが乗っており、しばらく走ると海が見えた、そこには雪が降っていた。それは、幻想的に美しかったが、せめてもの希望として、写っていたかもしれなかった。海沿いを走ると京の町が近づいてきた。


「お嬢ちゃん、もうすぐだよ。時期に温かくなるからね」

「うん」


 嘉助は優しく、まるで房江を我が子のように可愛がってくれた。道中は長く、馬車の中も冷たい空気にさらされ、房江にとっては辛い旅であった。

 そして、嘉助と房江が乗っていた馬車は、ようやく、京に到着したのだ。房江は馬車から降りると、我が目を疑った、そこには鮮やかな建物が並び美しい街並みがあった。嘉助とも別れの時が来たのだった。短い間とはいえ、房江を可愛がってくれたので、別れは辛かった。

 馬車から降りると置屋の女将が出迎えた。置屋とは芸者が客に三味線を弾いたり、踊ったりしてもてなすところである。中には遊女もいたのだ。京の町には置屋は数多くあり、その一つである、置屋に房江は奉公するのだった。

 

「嘉助、お疲れ様。あらまあ、今日来た娘たちは器量がいいじゃないか」

「そうでしょう。女将」

「これだと、立派な芸者になるわね」

「そうですな。皆、器量のいい子ばかりですよ」

「いつもありがとう。嘉助。これを取っておいて」

「ありがとうございます」


 嘉助はいくらかの礼金を受け取って去って行った。房江は京の華やかな町に目を奪われながらも、目の前にいる女将の姿が怖かった。まるで、狐の面を被ったような表情であったが、女将は房江に安心を与えるように、優しく話しかけた。


「今日から、あんたはここで寝泊まりするんだよ。ここは部屋も広くて温かくて、ご飯もたらふく食べられるからね。安心しなさい」

「うん」

「うんじゃないよ。今からは「はい」と言うんだよ」

「はい」

「そうそう、頭のいい子じゃないか、さあさあ、中に入りなさい」

「はい」

 

 女将の表情が優しく変わり、房江も少し安心したのであった。

 女将に連れられて、房江は自分の部屋へ向かった。部屋は六畳間ほどあり、一人で住むには十分であった。中には小さな囲炉裏まであった。囲炉裏は青森の実家とは異なり、立派であり、囲炉裏の上にはみかんがおいてあった。着いた安心感からか、房江はみかんを口にした。房江の中に甘くみかんの味が広がった。しばしの馬車の中での冷たい空気の中から解放されたのだ。しかし、故郷を思い出しては涙するのであった。

 部屋には小さな窓もあり、房江は興味深く窓から、しばらく景色を見ると、五つに重なった塔や提灯の灯りが多く、街並みの彩りの美しさに驚いたのだった。青森の小さな村とあまりに異なるのでびっくりしたのであった。

 明日から奉公が始まると思うと不安もあったが、青森の生活より豊かな暮らしが出来ると思うと、僅かながらの期待感があった。何より部屋の中は温かかった。食事も三食あり、ご飯、主食、副菜、味噌汁と故郷である青森との生活とは、比べ物にならなかった。しかし、家族がいなくて、一人で過ごしていかなといけないと思うと悲しかった。兄や姉がいないので寂しさと孤独感が襲ったのだ。

 初日は不安からくるもので、なかなか寝付けなかった。壁にあった鬼の面が、房江にとって恐ろしくも映し出されていたのである。結局、その夜は眠れずに過ごしたのだ。

 

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