第4話

時計の針がカチ、カチと規則正しく刻む音が研究室に響く。

チラッと彼女に目をやると、いつもと変わらず、艶のあるリップが誘うようにもぞもぞと動いている。

白い首筋を見せつけるかのように、黒い髪を束ねている。


「それでは後は任せたぞ」

いつもより口数少ないが、小言もなく席を離れ研究室を出ていく。

先生は今日から数日ほど出張する。

彼女は先生にチラッと目をやると、作業に戻っていた。


ドアがバタンと閉まると、時計の音だけが取り残された。


「昨日……」


「昨日、研究室に財布を忘れてしまって」


次の言葉が出てこない。

すりガラス隔てた箱の中にある、美しい果実を頬張る醜悪な虫を、僕は覗こうとしている。


ギッと椅子を引く音がする。

コツ、コツ、と彼女が歩いてくる。


目を上げると、彼女が財布を差し出していた。

「あ……」

ありがとう。そう述べようとした口より早く、彼女が聞いた。


「見ましたか?」

「何を」

「昨日、ここで先生としていました」


何を。


「初めてではないんですよ」


彼女が、一歩前に出る。

彼女のにおいがより強く、鼻の奥を刺激する。


「せっ、先生は奥さんも子どもも居て……!」

「それは、しない理由にはなりませんわ」


彼女はさらに一歩前に出る。

ガタンと椅子が、思わず後ずさりした僕の足に引っかかって倒れる。


「先生も男ですから。もう奥様とは難しいでしょうし」

「避妊だけ気を付けていれば、先生に体を預けるのもやぶさかでないわ」


ズボンの下で男が痛いほどに主張する。


「僕も……」

「僕も男だぞ……!」


すりガラスの向こうで、頷く彼女に僕は箱の中身を差し出した。

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