第27話 明日は村を出る 最後の夜
その日の夕方、リキが再び迎えに来て、和人以外の全員が出発した。
「気をつけて」と見送る言葉や、去っていく方の「お世話になりました」という言葉は、盗聴器から聞かれているはずと、皆んな意識していた。
テレパシーでの会話では「またすぐに会えるね」と伝えあった。
今出発した皆んなも持てるだけの食糧や生活用品を持って行ったけれど、持ちきれなかった分を和人はリュックサックに詰めた。
明日朝にはここを出る予定で、一つ一つの部屋を回る。
「ありがとう」と言葉をかけると、涙が溢れそうになった。
和人はこの家で生まれて、この家で育って、両親、祖父母、リキと暮らしてきた。家の中を、庭を歩きながら、三十二年数ヶ月の今までの人生をゆっくりと思い出した。
自分のこれまでだけでなく、代々この家に住んできたわけだから、和人の親の代も、祖父母の代も、さらにその前も、人々がここで生きてきた歴史がある。
「守り切れなくてごめん」
和人は、家に向かってそう呟いた。
先祖が今まで守ってきた家を、自分の代で手放してしまう。
そう思うと本当に申し訳ない気がした。
和人の両親も祖父母も、そういう事を気にする人ではなく、家を守るといったプレッシャーは感じなくていいといつも言っていた。
むしろ和人にとって責任が重くならないよう、気楽に思えるように言葉をかけてくれていた。
妙なもので、それだからこそ余計に申し訳なく思ってしまう。この家の建物に対しても、両親、祖父母、先祖に対しても。
逆に、何が何でも家を守れと言われていたら、反発したかもしれないと和人は思った。
昔は大家族が当たり前だったから家が大きくてもちょうど良かったけれど、人数が少なくなってきたのに家ばかり大きいと、使ってない部屋は傷むし手入れが大変になる。そんな話も祖父母から聞いていて、だから頃合いを見て手放せばいいと言ってくれていた。
屋根や外壁なども永遠に保つわけではないし、修理に莫大な金がかかる前に手放す方が得策だとも言っていた。
それを聞いていた頃の和人は、自分はここでの暮らしが心底好きで街に出るつもりも無いし、家を手放すなど考えられなかった。傷んだ箇所も出来る限り自分で直してきたし、そういう作業もわりと好きな方だった。
まさかこんな事が起きて手放すことになるとは思わなかったけれど、最後に避難所としてここを活用出来たのだけは良かったと思った。
明日はすぐに出られるようにと、荷物は全部まとめて寝室に置いた。それ以外にも山で使えそうな道具など、車に積み込んだ。
喜助の車も、獣道に入る手前に置きっぱなしになっている。車で行けるのはあの場所までで、獣道を上がるのは無理だと和人も分かっている。
一旦あの場所に車を置いておいて、違うルートから迂回してでも山に入れるなら、後日車を移動させようと思った。山に入る時いつも通るルートは「一番近道」なのだとリキが言っていたから。遠くても車で行ける道は他にあるのかもしれない。
自分が出た後にここがどうなるか分からないけれど、それでも綺麗にして出たいと和人は思った。
一部屋ずつ掃除しようと取り掛かったけれど、避難所としてここに居る間に皆が綺麗にしてくれていたようで、やる事は多くなかった。綺麗に使ってくれた事がありがく、こういう人達となら、これから山に入っての生活でもうまくやっていけそうに思えた。
実際ここに居た間にも村人同士の間では、揉め事やトラブルと言えるような出来事は一切無かった。
持って行く荷物の中身をもう一度確認し、戸締りをして風呂に入ると、けっこうな時間になっていた。
軽い夕食を取りながら缶ビールを一本飲んで、居間で煙草を吸った後、和人は寝床に入った。
ここでの最後の夜、色々考えて眠れないかなと思っていたけれど、体の方が疲れていたせいか直ぐに眠りに落ちた。
深夜、部屋の外でパチパチという音が聞こえて和人は目を覚ました。
半分寝ぼけながら何だろうと思っていると、焦げ臭い匂いが漂ってきた。
外で何か燃えている。
異変を感じて和人は飛び起きた。
本能的に枕元に置いていたリュックサックを引っ掴み、部屋の外に出る。廊下に通じる襖を開けた途端、煙が部屋に流れ込んできた。
間違いない。この家のどこかが燃えている。
夜に煙草を吸った時の事を思い出したが、一本だけ吸った後しっかり消した事を確かめ、さらに入念に灰皿に水を入れて完全に火を消しておいた。煙草の不始末で家が燃える事はあり得ない。その他にも、今日は料理など火を使う事もしていない。
煙がひどくて目が痛いし咳き込んでしまい、廊下は進めなかった。諦めて一旦部屋に戻り、外に通じる方の障子を開けて縁側へ出る。
そこから見ると、和人が寝ていた部屋の反対側から勢いよく炎が上がっていた。家の隣にある納屋の方も燃えている。
パチパチいう音はこのせいで、もう少し起きるのが遅かったら自分も危なかったと思い、背筋が寒くなった。
自力で消せるような燃え方ではないし、こうなったらもう逃げるしかないと、走って車の方に向かった。
車のドアを開けようと近づいた時、車の後ろに隠れていた人物が飛び出して来た。月明かりの下で、刃物が光るのが見えた。
相手が突き出してくる刃物の前に、掴んでいたリュックサックを突き出す。かろうじて防げた。
なおも攻撃してくる相手の動きをよく見ながら、ステップバックして距離を取る。
リュックサックには荷物を入れすぎていて重く、盾としてはかえって使いにくい。それでも今持っている物はそれしかないし、体を動かしながら頭もフル回転させて、逃げ切る方法を考えた。
何とか相手の攻撃を躱しつつ、車に乗ってしまえば振り切れるかもしれない。
そう思った瞬間「離れろ!」というメッセージが飛んできた。
自分の頭の中から?
どこから?
車から離れろということか?
分からないけれどそれに従うべきだという気がして、車のドアを開ける手前で向きを変えて横に逃げた。
相手は、一瞬前まで和人が居た車のドアに向けて突進しかけ、すぐに向きを変えて追ってきた。
刃物を持った相手に素手では敵わない。
車を挟んで向き合うのが最大限距離が取れる方法に思えたが、車から離れた方がいいとしたら・・・
必死で考えながらとにかく逃げて、庭に生えている一番大きな木の方に走った。
武器になりそうな物は見当たらない。
せめて自分と相手との間に何か障害物があれば、少しでも違うかもしれないと思った。
「そのまま走れ!」またメッセージが飛んできた。
相手が追ってくるのを背後に感じながら、和人は全速力でそのまま走った。
追いつかれるかと思った時、追ってくる気配が急に消えた。
振り向くと、相手の体が吹っ飛んで、近くにあった木に叩きつけられるのが見えた。
馬ほどの多きさになったリキが、和人の目の前に立っていた。
「危なかったな。間に合って良かった」
「ありがとう。助かった」
「行こう」
「荷物が・・・」
「諦めろ」
有無を言わせない圧を感じたので、和人はすぐにリキの背中に乗った。
リキが、飛ぶように走り出す。
あっという間に家から離れていく。
数十秒経ったかというところで、背後で爆発音が響いた。
「・・・俺の家が・・・」
「車だと思う。猫達が知らせてくれた。怪しい奴が家の周りをうろついていたし、車に何が仕掛けたかもしれないと言ってたから」
「そうか・・・最後までこっちに残ってた子達は夜も見回っていてくれたのか。おかげで助かった。本当に」
今日でこの家とのお別れだというので自分がゆっくり感傷に浸っている間も、猫達は周りを警戒してくれていたのかと思うと申し訳ない気持ちになった。
「俺も皆んなを山に送ってから、夜のうちにこっちに戻ろうと思って向かってたけど。近くまで来た時猫達と会えた。あやしい奴が庭に入っているのに気がついて、見る間に家から炎が上がって、近づけなくなったからこっちに知らせに来てくれた。去り際に見たのが、車に何か仕掛けているところだったらしい」
「皆んな出て行ったし俺も明日には出るはずだったし、これ以上もう何もしてこないだろうと思って油断してた。迂闊だった」
「和人は山に皆んなを探しに行くと言っていたからじゃないか?あいつらからしてみれば、万が一にも皆んなを連れて戻って来られては困るわけで」
「確実に始末しておこうって事か」
「それくらいの事はやる相手だと思った方がいいって事だな」
「荷物も車も無くなったけど、命が助かったんだから良かったと思う。いつも助けてくれてありがとう。生まれ育った村が大好きだったけど、この状況となると離れるに限るって今は思う。あそこまでやるような奴らがウロウロしてる場所に居たら、命がいくつあっても足りないと思うし」
「そうだな。もう戻らなくていいと思う。俺だってあの村は好きだったけど」
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