第8話

 男は迷っていた。依頼主のことを素直に話すかどうかを。暗殺者としてのプライドはもちろん、素直に話したところで自分が殺されることがわかっているからである。


 (さて、どうしたものか。依頼主は別に死んでも構わない。どうせ俺からばれたとわかったところで、死んでるだろうし…。けどなぁー、こいつにただで殺されるってのも癪だしな…)


 そう考えていると男の口は無意識の内に笑みをかたどっていた。


 「ねぇー?ナニがおかしいの?今の状況わかってるの?」


 シンが心なしか引いている気がしたが、気にしない。だが、男は決心したようだ、人生最後になるんだからとことんやってやろうと。


 「まだー?待ちくたびれたんだけど。」


 「…依頼人は、…」  


 「そうそう、はじめっから素直に行っとけばよかったんだよ?それで、依頼人は?」


 「依頼人は、言うわけねーだろーが、アホが!」


 「そっかー」


 目を見開いた後シンは肩を落とした。だが、あくたで大仰に、舞台の演者のようにあくまで偽物であるように…。


 「未だ気づいていないようだから教えて上げるけど、君、自分の体見た?今はまだ春だよね?どうしてそんなに汗をかいてるの?」


 今は春だ。それも冬があけたばかりで肌寒さが残るような気温だ。それなのに男は汗をかいている。なぜか。それは愉快しいものを見るかのようにシンの細められた目が語る。


 「知ってた?人間って皮をはがれたら感覚が鋭敏になるからどんなに寒くても暑く感じるらしいよ?」


 どうして気づかなかった。なにも感じていなかった?否、男はまたも無意識の内に見ないようにしていたのである。


 顔が青ざめるのを感じた、またも否、正確には皮膚がないため従来であればそうなっていただろうという憶測表現にすぎない。


 下卑た顔で笑いながらシンが問う。


  この状態で触れるとどうなると思う?と。


 男は瞬時に悟った。自分が実行できうる選択しのなかで最悪のものを実行してしまった、と。同時に本能が告げる。今すぐここから逃げろと。


 男は必死に手足を動かした。だが、いくら懸命に動かしても進む気配はない。


 (なぜだ?なぜ進まない。早くここから逃げなきゃなんねーのに。)


 男は気づいた。自分がなにか忘れているということに。だが、それがなには思い出すことができないでいた。


 「プッフ…フフッ...あっははははは!!」


 突然視界の外から笑い声がした。

 (いつからそこにいた?)男はシンを見上げて絶句した。


 「いやぁー、ごめんごめん!あまりに面白くってつい笑っちゃった。ごめんねー?人が頑張ってるのを見て笑うとか僕ってサイテーだよね?でも…、フフッ。我慢できないやー★」


 シンは腹を抱え涙目で床をのたうちまわっている。もちろん台詞は、[笑いすぎてお腹痛い]だが。


 ひとしきり笑ったあと、何事もないかのように起き上がり、涙を指先で拭った。そして、


 「おにーさん、なにか忘れてなぁーい?」


 男に向かって側に落ちていた四肢を投げて寄越した。


 「それ、だーれのだ!」


 男の頭のなかでは、理解が追い付いていなかった。それゆえか、一つ一つを確認しなければならなかった。


1.俺は今ナニをしていた?

    逃げていた。

2.誰から?

    目の前にいるこいつから。

3.出口は?

    6mほど先右正面。

4.この投げられた腕は誰のだ?

    わからない?いや、自分のだ。


 そこで男は、思い出した。自分の体は今、ダルマのような状態だと。そして同時に思った、今からどのような地獄を体験することになるのだろう、と。

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