最終話


 母は私のことが嫌いなのだろう。


 私は何もできない。私は無能でしかない。カヤは私のすべてを肯定してくれるけれど、母は私はそれを否定する。あらゆる行為をどこまでも否定をする。


 私は本当に母に愛されているのだろうか。いつも思いこむことにしているが、それに対して猜疑心が生まれるのはどうしてだろうか。


 ──私はその本質を知っている。私がどこか母を信じ切れていないのだ。私が母を好きではないからだ。


 もし私を愛しているというのならば、どうして私を肯定してくれないの?


 どこまでも私という存在を拒絶するの?


 どうして私が好きなことを全部駄目だと言って否定をするの?


 それくらいいいじゃないかと父さんは言ってくれるのに、それでもそれを駄目だ駄目だと否定をするの?


 なんで、私はピアノをやめなくちゃいけなかったの?


 どうせ私の事なんて嫌いなんでしょ。私なんてどこかに行ってしまった方が楽なんだよ。お母さんは私を縛ってそれで満足なの? それで本当に私を愛しているということにつながるの?


 愛しているというのなら、どうして私をたたくの? できないからといってたたくことにはなにか正義があるの? 父さんがやめろと止めても、しつけだからとそれを止めないのはなんでなの? 


 私は消えてしまいたい。どうせ母に縛られる人生なら、このまま生贄に引きずり込まれればそれでいい。その先が地獄でもいい。異界でもいい。何もなくたっていい。私は今すぐにこの世界から消えてしまいたい。


 このあぜ道はそれを肯定してくれる。それこそ優しさではないだろうか。それこそ愛なのではないだろうか。


 だから、私は今世界に愛されている。


 だから、私も世界を愛そう。


 だから、これを肯定しよう。


 ──ああ、これで楽になる──。





 「──ユウ!!」


 ──遠くから声が聞こえてくる。聞こえてしまう。聞きたくない声が、聞こえてしまう。


 その声以外にも、だいじょうぶか、と問いかける大人の有象無象の声。どこまでも響いている。


 振り向きたくない。そのままこの引きずり込む手に飲み込まれればそれが一番幸せだから、後ろを振り返ることはしない。


 ──でも、手は私を飲み込むことはない。さっきまでのことがすべて幻想だったように、手はそこにはない。泥だけが私の足をつかんでいる。そこに非現実的な、幻想的な世界は存在しない。


 どうして? どうして? 


 ──世界は私を肯定してくれないの? 狭い世界でのこの小さな行為さえ、世界は許してくれないの?


 目をふさぎたくなる。そうして近づく声たち。それに対して嫌悪感を抱いてしまう。正義感を気取っただけの存在に、救われそうになるのがどうしても気持ちが悪くて仕方がない。


 「──ユウ! 大丈夫なの?!」


 聞き馴染みのある声。友人であるカヤの声が聞こえる。なんで、彼女がここにいるのか。


 「外に遊びに行ったら、あぜ道に入るユウを見つけて……、私心配で……」


 カヤが後ろにいる。私は、もう諦めるしかないのだろうか。


 「……ありがとう、ね」


 ──ああ、諦めるしかないのだ。


 私は心の底から嫌悪を吐き出すように彼女に言葉を呟いた。





 頬を裂くような痛みが響く。その痛みの正体をたどる時には、すでに母の怒声が耳元に響く。


 「行くなと行ったのになぜここに来たの!?」


 「……」


 ……その思惑を語れば、母さんは更に怒るだろう。

 

 だから、私は何も答えない。


 無言の私を更に母は叩く。頬に伝わる、どうしようもない痛み。それを止める、ほかにも私を助けに来たらしい大人の声。でも、それでも母の手は頬をとらえ続ける。止め処ない痛みがどこまでも続く。


 「……ごめんなさい」


 なんの意志も孕まない言葉を吐く。諦観を含ませただけに、ため息のように薄く、小さく吐き出される言葉。


 ──私は、結局この世界から逃れることはできないのだ。この世界は、私にとっては地獄でしかないのだ。


 生贄は私を連れ去ってはくれない。私も彼女たちのようであれば幸せだったのに。


 世界は、どこまでも残酷なのだ。世界は私を肯定しないのだ。世界は、どこまでも地獄なのだ。


 私は散らすこともできない諦観を、目から垂らす雫で語ることでしかできなかった。


 それだけが、私に許される行為だったから。

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去り過ぎて逝く春の弔いに @Hisagi1037

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