サルと北海道

 サルくん、というぬいぐるみがいた。

「さるくん」なのか、「猿くん」なのか、今まで文字に起こしてみる機会がなかったので、どう書くのかはわからないけれど、とりあえず自分のイメージに一番近い「サルくん」でいこうと思う。

 サルくんが家に来たのは、まだ小学生のころだったと思う。(確か)母方の祖父母とどこかの動物園に行った際に、弟が買ってもらったのだった。手足の長い、全身の毛が毛糸(毛糸ではなかった気がする。あの柔らかいふさふさした素材は何と言うんだろう?)で再現されているぬいぐるみで、多分2000円もしなかったと思う。弟はその日からそのぬいぐるみに「サルくん」と名前を付けて、大層可愛がった。常に肌身離さず持ち歩き、夜は一緒の布団で寝て、たまに洗濯すると、玄関を出た先のフェンスに、サルくんが腕を伸ばしてぶら下がっているのだった。(おもしろいことに、手と足がマジックテープでくっつくようになっていたので、洗濯ばさみで吊るす必要もなく、文字通りぶら下がっているのだ)

 成長するにつれて、サルくんと過ごす時間は減っていったけれど、夜中に部屋を覗くと、弟の眠る傍らで、サルくんも眠っている、ということだけは、つい数年前まで(十五、六歳くらい?)変わらなかった。サルくんがいなくなって何年経つのかも曖昧で、捨てるとなったときに写真をとったような気がしたけれど、カメラロールを見た感じ、写真は残っていない。


 小さいころの自分は、弟のサルくんに憧れて、動物園で白いトラ(?)のぬいぐるみを買い、そのぬいぐるみに「ガルくん」と名付けた。買った当時は、自分もガルくんを大切にするんだと意気込んでいたはずなのに、自分の興味はすぐテレビやゲームに移って、一月とせずガルくんに飽きてしまった覚えがある。なのに性懲りもなく、六年生のとき、サッカーのチームで北海道に行った際に、羊のぬいぐるみを買ったりした。このぬいぐるみは傾けると「メ~」と音が出る可愛らしいものだったけれど、記憶上は名前すら付けていない。今になって薄情だな、と自分でも思う。


 北海道に行ったのは、うちの市の友好都市である北海道S市主催のサッカー大会に参加するためだった。市内各校のサッカー部から希望者を二名ずつ選出し、一つのチームとしてその大会に出場する。自分はサッカーは得意ではなかったけれど、親に勧められるまま応募して、当時子供ながらに「師匠」と仰いでいた友人のT君と派遣されることになった。

 自分は完全に旅行気分で、サッカーも大して好きではなかったから、試合の思い出はあまりない。ただ、うちの市のチームは、三十数チーム中で二位という好成績を収め、今でもメダルが引き出しの中に眠っているし、部屋の壁には参加者に配られたカレンダーが飾ってある。カレンダーには各チームの写真と、運営や保護者会の人たちの写真も載っていて、保護者会の面々の中には、自分とT君がホームステイ先としてお世話になったお母さんの姿も見える。もう苗字も、夜中までダンボール戦機のゲームで対戦した一つ年下の子の顔も上手く思い出せないけれど、あの家族と過ごした時間は、それなりに記憶に残っている。自分が披露した怖い話を聞いて、お父さんが教えてくれた体験談だったり、スーパー銭湯(?)に行った帰りに、ロビーの窓ガラスにびっしりと張り付いていた大量の蛾だったり。北海道ではゴキブリは出ないが、その代わりに蛾がたくさん出ると教えてくれたのも、ホームステイ先のお父さんだった。早朝、そこの子供とT君の三人で、試合前にひとっ走りしたことも覚えている。白い息を吐きながら、練習嫌いの自分は、それでも師匠と仰いだT君や、サッカーの上手いホームステイ先の子に追いつきたくて、北海道の朝日の中を走ったのだった。


 移動中のバスの窓から、草原を歩く羊(鹿だったかも)の姿を眺めたのも、羊のぬいぐるみを買ったショップで食べたアイスのこと、音に反応して走り寄ってくる蜘蛛のおもちゃを買ったことも、まだ漠然と記憶している。その蜘蛛のおもちゃも、いつの間にかおもちゃ箱の中から消えていて、今となっては伯父に貰ったというそのおもちゃ箱さえ残っていない。


 サルくんのことを久しぶりに考えたとき、ふと、いつか年老いて亡くなる直前、弟の走馬灯にはサルくんが出てくるのだろうな、と思った。そしてその連想から、ガルくんや羊のぬいぐるみは、自分の走馬灯には出てこないだろうな、とも思った。ホームステイ先の家族も、出てきてくれたら嬉しいような気もするけど、名前も覚えていないのだから、そう願うのはずうずうしいかもしれない。師匠は、もしかしたら出てくるんじゃないかな、と思う。成人式で久しぶりに会って、インスタグラムも交換したので、また機会があったらご飯にでも行って、北海道でのことを語り合えたら嬉しい。


 一、二年くらい前(もっと最近かもしれないけれど)に、旧TwitterのTLで、「走馬灯のセトリは考えておいて」という小説が話題になっていた。多分、SF好きのフォロワーさんが話題にしていたと思うけれど、生憎、読んではいない。読んではいないけれど、良いタイトルだと思う。きっとこの作品の作者も、自分の走馬灯に誰が出てくるのか、どんな場面が浮かぶのかに思いを馳せたことがあるに違いない。一物書きとしては、走馬灯のセトリを考えることは、「名刺代わりの小説十選」を考えることに似ている、というようなことを思ったりする。(ちなみに)自分は「トリコ」のフルコース形式で「名刺代わりの小説」を考えているので、まだ二作品くらいしか決まっていないし、走馬灯のセトリも考えてみようとしてみたけれど、意外に適切な場面は浮かばなかった。ただ漠然と、何気ない日常の、何でもない場面を思い出したいと思う。大量の蛾がロビーの窓に張り付いているのを見たときのことや、晴れ渡った青空の下で、サルくんがフェンスにぶら下がっているところを、死ぬ間際に思い出せたら、幸せだろうな、と想像する。


 なんとなく胸に浮かんだことをつらつらと書いてみて、とりあえず日記のつもりで残しておこうと思ったものの、肝心のタイトルを考えていなかった。「走馬灯~」と「トリコ」にかけて、「走馬灯のフルコースを考えてみた」とかにしようと思ったけれど、単純にダサい。「走馬灯について」だとショーペンハウアーみたいでちょっと固いし、サルくんから連想して「サル夢」もありかと一瞬思ったけれど、それはそれで怖い目に遭いそうでやめた。自分にはこういうセンスは皆無なので、無難すぎるくらい無難なタイトルにしておこうと思う。


 このエッセイとも日記ともつかない散文を読み返したとき、未来の自分が、サルくんや北海道のことを思い出してくれますように。

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