箱に詰めた想いの色は。

げっと

菫色に染む私の心

 二月十四日。その日は本当は、ローマ帝国の兵隊さん達が結婚出来ないのを憂いた司教さんが、勝手に結婚させていたのに王様が怒っちゃって、処刑されしまったのを憂う日だと聞いたことがあります。お姉ちゃんによれば、なんか違うらしいですけれど。けれど大半の人はそんなことはどうでもよくて、ただ聖なる日であるということだけは気に留めながら、街中に広がるお祭りムードに心を踊らせています。かくいう私もその中の一人で、大好きな先輩と一緒にデートに行く約束を取り付けています。特別な日には特別に大切な人と一緒に居たいというのは、不自然な話でしょうか。


 その日を待ち遠しく思いながら、私はお菓子を焼いてみています。お菓子作りなんてやったことないし、お料理も得意じゃないんですけれど、お姉ちゃんが「お菓子作りなんて小学生がやらされるような実験と一緒。レシピを守っていれば失敗することなんてないのに、どうして彼氏クンに手作りのを渡してあげないんだい?」なんてうるさいので、しぶしぶ挑戦してみています。そりゃお姉ちゃん、器用だし要領もいいし、そもそもお料理好きじゃん。私みたいな不器用さんは、そうそううまく行くもんじゃないんですよ。


 と、ごねててもしょうがありませんし、私だって出来るなら先輩には手作りのお菓子を渡したいです。なのでネットで見つけたお菓子作りのレシピと、お姉ちゃんの力を借りることにしたのです。そして出来上がった生地を、オーブンに入れて焼き上げているところです。柔らかな蜜柑色の光が、生地を照らしつけているのがオーブンの窓越しに見えます。


 出来上がりが楽しみなのもありますが、焦げ付かないよね、なんかヘンな膨らみ方しないよね、と、内心ひやひやとしている私がいるのも正直なところです。せっかく先輩に渡すために作ってるのに、不恰好なのを渡したくありません。けれど、先輩優しいから、不恰好なのを渡しても、喜んで食べてくれるかな。その時の先輩は、どんな色の表情を見せてくれるんだろう。いつものような、翡翠の輝く優しい色かな。それとも、天色抜けるような爽やかな色かな。


 そんな妄想を繰り広げる私の耳をにわかに、ピー、ピーという音が劈いてきました。耳元で突然大きな音が鳴るものですから、びっくりして飛び退いちゃいました。その様子を弟の紅介に見られて、からかわれてしまいました。あんまり恥ずかしかったので、怒って追い立てておきました。紅介は姉のことをなんだと思っているのよ、まったく。


 それから私は、オーブンを開けました。小麦の焼けたいい匂いが、私の鼻を満たしていきます。ぱっと見、焦げている……訳ではなさそうです。うん。先輩に渡すやつは、なるべく、それこそ綺麗な小麦色のやつを渡せばいいんですから。焦げていません。断じて、絶対に。けれど、先輩が見ている小麦色と、私が見ている小麦色は、多分別物なんだろうな。


 テーブルに並べたクッキー達を眺めながら、私はふと、気づいてしまいました。当然と言えば当然なのですが、このクッキー達、どうやって先輩に渡しましょう。まさかこのまま持っていくわけにも行きませんし。なにか袋に詰めて……あ。カバンの中に仕舞った時に、ぐちゃってなって、割れちゃったクッキーを渡すのも嫌だな。お姉ちゃんに相談したところ、百均で適当にプレゼントボックスを見繕えばいいんじゃないかって提案されました。さっすがお姉ちゃん。私は関心しながら、百円ショップへと向かいました。


 ……が。そこで思わぬ壁にぶち当たりました。プレゼントボックス自体はお店にもあったのですが、なんというか、私の気持ちに合う色がないんです。深緋、牡丹、ビリジアン、ウルトラマリン……ううん、どれでもない。こと色については人一倍こだわりが強いというのは自覚があったのですが、それがこんな形で足を引っ張ってくるなんて想像したこともありませんでした。けれど、私は気持ちに色を感じちゃいますし、大好きな先輩に渡すものですから、妥協したくありません。こんなことになるならあの色辞典、持ってくればよかったかも。


 帰って辞典を取ってきて……なんてしている余裕はありません。他のお店を回るにしても、遠すぎるのでお母さんの車を借りなければなりません。途方に暮れていたその時、一つの箱が目に入ってきました。白練かな、そんな感じのほんの僅かに灰っぽいような、白い箱が一つだけあったんです。白ってなんだか代わり映えはしませんが、邪魔をしない色ですから、ここに私の色を乗せてあげればいいんです。なんと賢いことでしょう。けれど、私の想いを色にするのは、ちょっと恥ずかしいかな。なんて想いを巡らせながらレジに並んで、結局買ってしまいました。


 帰り道道に、私は白い箱を抱えながら、箱に乗せる色を考えていました。やがて私の想いが、いたずらっぽい菫色に染まっていくのを感じながら、絵筆を握り、箱に色を乗せる私を夢想したりしているのでした。


おわり

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