祖父のおもちゃ箱

久石あまね

大和おじいちゃん

 僕は小学生の頃、プラモデルにハマっていた。


 仲の良い友達がハマっているのをみて、僕もしてみたいと思ったのだ。


 そして、大阪の日本橋のでんでんタウンに父親と行き、プラモデルを探し回った。


 友達はガンダムのプラモデルにハマっていた。でも僕はガンダム以外のプラモデルがしたかった。


 友達と一緒のことをするのが心底嫌だったのだ。


 もしかしたら僕は特別だと、自意識過剰に思い込んでいたのかもしれない。


 何か他に、ガンダム以外のプラモデルはないかなと思い、プラモデルショップを隈なく探すと、第二次世界大戦の戦艦や空母のプラモデルがあった。


 僕はこれだと思い、父親にあるアメリカの戦艦のプラモデルを買ってもらった。


 僕の祖父と祖母は戦争体験者で実際に空襲にもあっている。


 大阪の堺大空襲だ。あのときは堺にB29が大編隊を組んで大阪湾上空から侵入して、堺に爆弾の雨を降らした。


 祖母からはその時の話を聞いていたので、自然と第二次世界大戦に子どもながら興味をもっていた。


 僕はアメリカの戦艦、アリゾナを作ることにした。


 僕はそれを大阪日本橋のでんでんタウンで買って、だいたい3週間ぐらいで作った。


 そして僕はそれを祖父に見せたら、祖父は「そんなもん作っとるんか」と言い、あまり良い顔をしなかった。アメリカの戦艦だからだろうか。


 僕は「アメリカの戦艦よりも大和や武蔵の方がやっぱり良いよな」と言った。


 そうすると、祖父は眉尻を垂らして嬉しそうな顔をした。


 僕は結局、大和も後から3週間ほどかかって作った。


 はじめに作ったアリゾナよりも、2回目の大和の方がキレイに作れたことが嬉しかった。

 

 自分の周りの友達はガンダムのプラモデルだが、自分は第二次世界大戦の戦艦を作っているという事実が僕の自尊心に火を着けた。


 それからという僕は、父親とたびたびプラモデルを買いに行きはプラモデルを作りという日々を送っていた。


 僕はプラモデルを作っては得意気に祖父にプラモデルを見せたりしていた。


 でも僕がアメリカの戦艦や戦闘機のプラモデルをもっていくと、やはり、良い顔をしなかった。そして必ず「そんなもんをつくっとるんか」と言った。


 しかし日本の戦艦や戦闘機をもっていくと、笑顔で褒められた。


 日本の戦闘機や戦艦は富士山のように美しい。

 

 造形美があるのだ。


 これはアメリカの戦艦や戦闘機を比べてみたらわかると思う。


 それから数年後祖父は亡くなった。


 祖父の生活していた和室の押し入れから、木箱が出てきた。


 中を開けると、僕が作ったプラモデルがひとつ出てきた。


 それは戦艦大和だった。


 それは祖父の名前と一緒だった。

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