第3話
「着きましたねぇ、お嬢様。港ってこうなってるんですね」
「そうね、王都とまた違って賑わってるみたい」
4日後、私達は予定通り港町に到着した。2日前に半日だけ滞在した王都よりも気取らず、それでいて明るく賑わった様子に馬車から降りた私達は伝聞でしか知らなかった景色に目を輝かせてしまった。
するとニコロさんが楽しげに笑い声を上げました。
「エミリー、お嬢様達をご案内して来い。俺達は予定通り宿屋と話付けて来る、マリー達はこっちが指揮取るから」
「ニコロさんそんな、お気遣いは」
「エレナ様。隊長はきっと、社会勉強の一環で許可したのです。連合王国はもっと賑わってると聞いた事がありますし、その予行練習だと思って、参りましょう?」
エミリーさんにそう言われマルタも乗り気になってしまい、私達はお言葉に甘える事になった。
この辺りは宿が密集していて、その分お土産や名産品の料理店など観光地らしいお店が立ち並ぶため、駐在の騎士も居て治安も良い場所だそう。
「明日には連合王国の船に乗ってしまいますからね、暇つぶしの本とか買ってしまいましょう」
「マルタったら。本を買うお金なんて持って来てないのよ?」
「エレナ様、流石に本の数冊程度ならエレナ様の生活用品の費用として王国も承認しますからご安心ください。むしろ本来なら下着なども新しくご購入していただいて構わないんですからね?」
そういえば、とエミリー様から聞いたお話を思い返します。
今回の縁談は「両国の友好を結ぶ」為のものでもあり、嫁ぐ側の私には快適に連合王国に行って「この令嬢は王国の代表でありちゃんと大切に扱っている」というのを見せる事が必要なのだそうです。その内に新しい私物や騎士達の対応などが含まれているとか。
「すっかり忘れてました……今からでも何か買った方がいいでしょうか」
「ならお洋服などはいかがですか? こう見えて私、一時期はご令嬢付きの侍女として護衛していた事もありましたから、それなりに自信がありますよ」
「エミリーさん、お願いしてもいいですか? マルタもいい?」
「もっちろん! むしろエミリーさん、勉強させてくださいっ」
「最新の流行とかはお店の人に聞くしかないですけど、エレナ様は流行よりこう、お淑やかで華々しくしすぎない方が──、」
ふむふむ、なるほど。そんな風にマルタがエミリーさんの話に真剣に聞いてるのが思わず嬉しくて笑ってしまいました。
私達は一旦本屋に入りました。見た事ないくらいとても大きな本屋で、市井に出回っている人気な本から他国の言語で書かれたもの、それを翻訳したものまであります。
「この本屋は、王国随一の魔道具が使われていますし安全性はバッチリですから、エレナ様は好きな本をお選びください」
「ごめんなさいエミリーさん……その、マルタってば勉強熱心なところがあるから……」
「まさか隣のブティックに入ってしまうとは私も思いませんでしたね……彼女を連れてすぐ戻ります!」
お願いします、と私が頭を下げるとエミリーさんはさっと行ってしまった。
というのもこの本屋は国営、つまり本好きの国王様が認可したお店であり、ここで犯罪を犯す者は即座に不敬罪で重い罪を課せられる。それを記録するために魔道具があちらこちらに使われていて、時折他国の要人もひとりでふらりと入るくらいには安全だそう。
(公爵家では書物部屋に入れなかったから、こんなにたくさんあると迷っちゃうな)
どうしようかな、と歩く。ふと目についたのは、連合王国で話題になっているらしい小説。
とある令嬢が妖精の青年と恋に落ち、世界の平和の為に青年と世界を巡る旅をする──シリーズものの最初の作品らしい。元は連合王国に古くから暮らす種族が書いたらしく、それを世界共通言語に翻訳して販売したものだそう。
連合王国の言語は王国や他の国でも使われる世界共通語が主。でも数多の種族が居るため、この本のように獣人に伝わる言語などもあるらしい。
(……王子様と結婚するなら、こういう言語も学ばなくてはいけないのよね。きっと)
そう思いながら原語版と世界共通語版を手に取った時だった。
「──獣人語、読めるのか?」
声のする方に顔を上げると、黒いローブを着たお兄さんがいた。背が高くて黒い髪とフードに隠れて顔は上手く見えないし、冷たく聞こえる言葉遣いには驚いてしまって。
でも、優しい声色だったから不思議と怖くはなかった。
「読めません。でも、お勉強した方がいいのかなって」
「珍しいな……この国の貴族は連合王国を毛嫌いする者も少なくないだろう」
そう言われて、チクリと胸が痛んだ。その代表格であるお父様を思い出してしまったから。
でも、私はそんな事を考えてはいない。ただトラウマを発症すればそう思われてしまうのかもしれない。それは悲しいな、と思う。
思わず、言葉がこぼれた。
「私は……嫌ってはいません。連合王国そのものではないのですが、怖くはあります。でも私は明日から連合王国に嫁ぐ事になりました。きっと私にとっての「怖いもの」もたくさん見てしまうでしょうが、この本を見てあちらで困らないためにも勉強になるかな、と思うくらいにはなりました」
「しかし怖いなら、逃げたりすれば良かったんじゃないか」
「──あそこには居場所がありませんでしたから」
それに気付いてこれで良かったのだと思わせてくれたのはマルタのおかげですし、冷静に考えられるのはエミリーさんやニコロさん達近衛騎士隊の皆さんのおかげ。感謝してもしきれません。
「そうか、すまない。込み入った話だとは思わなかった」
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
「……詫びに、これを。妹にと買ったから、趣味じゃないかもしれないが」
そう差し出されたのはレースのリボン。
あたたかみのあるベージュで三日月の模様が所々に入っている。多分市井に出回っている普遍的なものだけど、気取らない雰囲気が普段使いに良さそう。
何より、月はお母様が大好きだった。
「ありがとうございます。本当は妹さんに悪いからお気持ちだけにするべきだと思いますけど、きっとお兄さんの気持ちは収まりませんよね」
「あ、ああ……受け取ってくれるか」
私はきっと本当に悪い子なのかもしれない。
そんな事を思いつつ、目の前のリボンを受け取る。大切にしたい、そう思いながら。
「はい。このリボン、一目で気に入ってしまったので」
私は笑っていた。
ふと、本の匂いに混ざって彼から爽やかな果物のようなの香りがした気がする。
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