第8話京都と言ったらやっぱり……

 京都、それは日本でも有数の古き街並み。古いということは伝統があるということであり、それはすなわち正悪様々なを持っているということである。


「……体が重い」


 京都について早々。

 新幹線から降りた孝樹の第一声はそんなものだった。


 孝樹の体の周りでは猫又が威嚇し、あるいは爪を振りぬきながら悪霊を追い払っているようで、孝樹の緩慢な動きに反してせわしない猫又を見て、未来は思わず小さく笑った。


「あれ、また愛しの孝樹くんを見てるの?」

「……寧音。わたしは別にそんなにいつも孝樹君を見てはいないよ?」

「別にそんなに強く嘘をつかなくてもいいと思うんだけどなぁ」


 彼氏ができたが故の余裕か、飄々と肩を竦めて白崎が告げる。だが、未来の言葉は決して嘘ではなかった。


 事実、未来が普段見ているのは、どちらかといえば孝樹というより、孝樹の頭の上にのっている猫又を観察してのこと。だが、魂のみの存在となっている孝樹に憑いた猫又は、普通の人には見えない。それこそ、由緒正しい(?)血統を持つ未来くらいしか猫又は見えていないのだ。


 そうなれば当然、周囲の者には未来が猫又ではなく孝樹を見ているように映るわけで。

 実際に未来が孝樹を意識してみている時間の何倍も孝樹のことを見ていると、白崎をはじめとする周囲の者はそう誤解していた。


「それで、孝樹くんは体調悪そうだけれど、未来は大丈夫?また前みたいに共鳴したみたいにそろって気持ち悪くならない?」


 以前孝樹を襲った未来にも見えない悪霊による体調不良の際、孝樹と未来、そして白崎が同時に倒れることになったが、それは孝樹と未来が互いに相手の体調不良に引きずられるように調子を崩し、さらにそれにつられて白崎の体調も悪くなったのだと考えられていた。


 それこそ、冗談半分で告げられた孝樹の周囲にだけ濃度の高い毒ガスがあったとかいう話は立ち消えることとなった。

 とはいえ未来が悪霊を投げ飛ばすために行った動きのこともあり、実は危険な薬物のにおいがその一角に充満していたのではないかと考える説もいまだに一部の生徒たちの心に残っていた。


 あるいはそれは、未来と孝樹が互いの体調が影響しあうような関係を作っていることを認めたくない未来のファンクラブたちの願いが詰まった考えかもしれなかった。


 それはともかく、未来の体調が良好な一方、孝樹はやはり京都に存在する大小さまざまな幽霊や悪霊に詰め寄られて、猫又の防衛機能が完全には働かず、依然のようなもやしのような状態へと変化していた。


 それでも、もし猫又がいなければこの程度ではすんでいないと思えば、猫又は十分以上に活躍していた。猫又が孝樹を守っていなければ、下手をすれば孝樹が死んでいた可能性もあった。


 京都とは、そんな幽霊や妖怪たちの伏魔殿なのである。





 いくつもの神社を回るたびに、孝樹の体調は悪化していった。それと同時に、多数の悪霊を追い払ったために、猫又もまた疲労困憊に陥っていた。


「大丈夫?」

「なん、とか……」


 心配げに尋ねる未来の手を借りて、孝樹はなんとかバスへと戻った。すでに顔は蒼白で、今にも倒れてしまいそうだった。


「堀君、飯島君のことをよろしくね」

「もちろん。同じ班だからな」


 任せてくれと胸を軽くたたく宗次郎だが、どうにも白崎を意識してしまって孝樹を含め周りにっ気を配ることができなくなっていた。そのため、別の班でありながら未来が孝樹を支える結果となった。


 じとっとした半目の視線を感じて、ま、まあ、落ち着けと宗次郎は未来をなだめにかかる。


「ほら、今日はもう終わりであとは宿だけだろ?そこでゆっくり休めば孝樹も回復するって」


 のんきな宗次郎に言い返そうとした未来だったが、猫又や幽霊の話を一般人である宗次郎にするわけにもいかず、黙って頷いた。


「もう、最悪……」


 宿についた孝樹は、そこに待っていた悪霊たちに猫又が吹き飛ばされ、悪霊にとりつかれて倒れた。状況からそれを察した未来によって悪霊はどこか遠くへと投げ飛ばされ、何とか事なきを得たが孝樹は完全に修学旅行のテンションではなくなっていた。


 お通夜のような暗い様子で晩御飯を食べる気力さえないと一人部屋に早速布団を敷いて眠り始めた孝樹に、宗次郎は困ったように肩を竦めることしかできなかった。






『シャーッ』


 一日休めば猫又も孝樹もだいぶ回復しており、午後の自由行動に向けて気力は十分だった。早速、猫又は朝からやってきた悪霊を爪で切り裂いて撃退しており、孝樹の頭の上でふふんと胸を張って誇らしげだった。そんな猫又と孝樹を、未来は頬に朱を差した色気に満ちた顔で見つめていた。


「……女の顔だな」

「ちょっと、何を言ってるの?」

「おい、なんで頬をつねるんだよ」

「別に?ただ宗次郎が未来ちゃんに目を奪われていた気がしたから現実に意識を戻してあげただけだよ」

「ははぁん、つまり嫉妬したわけだ――いやまて、痛い、痛いから!」


 未来たちの横では宗次郎と白崎によるそんなコントじみた掛け合いが繰り広げられていたが、いつものことなので誰も意識していなかった。


 当初は有名どころを周ることも考えたけれど、多くがすでに一度、あるいは二度、小学校や中学校の修学旅行で京都を訪ねたことがあったため、未来たちは京都のありふれた街を散策することになっていた。とはいえさすが京都というべきか、平凡なはずの街の中にさえ風情のある建築物などがあちこちに見つかって、目に楽しい街だった。


「はふぅ、さすがに疲れるねぇ」

「普段からもっと歩かないからだ。足腰を鍛えろ、歳をとってからから動けなくなるぞ」

「ふぅん、それってつまり遠回しなプロポーズかな?私が老いても一緒に元気にいようっていう?」

「いや、さすがにそれは穿ちすぎだ。ただ老人まで行かなくても三十代とか四十代かそこらで一気にガタが来るらしいぞ。まあ父さんの受け売りだけどな」

「へぇ、三十代ねぇ……まったく想像できないや」


 行儀悪くテーブルに頬をくっつけていた白崎を宗次郎が引っぺがして椅子に座らせる。そして慣れた様子で隣に座りながらもう少し人目を気にしろよと小さな声で文句を言っていた。


「あー、あー。見せつけてくれちゃってさぁ」

「本当だよ。どうしてこうも遠慮ってものを忘れるのかね?」


 どうしようもないバカップルだという響きを込めて、同行者の男子たちが呆れを示す。


「そう?仲がいいなって思うよ?」

「さすがは孝樹。無垢だなぁ。まさかバカップル光線に少しもひるまないとは」

「なんだよそのバカップル光線ってのは……」

「いやいや、それよりも孝樹は余裕があるからかもしれないぞ。なぁ?」


 ちらりと未来の方を見た男子二人は、くそうと、絶望の言葉を吐き捨ててがっくりと肩を落とした。


「ええと……頑張って」

「おう、頑張るわ」

「駄目だ、浄化される……」


 燃え尽きて真っ白な二人をよそに、一行はこれまで目についたきれいな建物やひっそりとした趣ある路地、かわいい店先の置物などについて語っていた。


「……ん?どうした?」


 ふと、孝樹が話ではなく別のテーブルへと意識を向けていることに気づいて、宗次郎もまたそちらの方へと目を向け、そして息をのんだ。

 そのテーブルに座る一組の男女は、木目調が美しい落ち着いた喫茶店の中にあって、少しも場に圧倒されることなくそこにいた。それはまるでパズルのピースがはまったように、そこにあるべき存在がいるようにさえ映った。


 そんな二人は、どちらも美しい黒髪黒目の、風景に埋没するような男女だった。女性の方は未来以上の完璧な美しさを有しており、雪のように白い彼女の肌は異性の目をとらえて離さなかった。

 もう一方の男は、取り立てて特徴のある目鼻立ちではなかったが、まとう雰囲気が異様だった。まるで長い時を生きて真理にたどり着いた賢人のような――あるいは、神のような雰囲気を持った男だった。


 そしてその男に、宗次郎は孝樹の姿が重なった。顔も背丈も、雰囲気すらも全く違うはずで。けれどどこか浮世離れした二人は、何か大きな共通点があるような気がしてならなかった。


 孝樹たちの視線に気づいたのか、通路を挟んだ反対のテーブルに座る二人の男女は視線を孝樹たちの方へと向けた。一瞬、男の目が鋭く細められ、鷹のような眼光が孝樹を射抜いた。けれど圧を感じるような表情を浮かべたのは一瞬のことで、男はすぐに先ほどまでのような優しい笑みを浮かべ、それから残っていたコーヒーを飲み終えて立ち上がった。


「久しぶり、シトラス。よくその子を守ったね」


 立ち去る間際、聞こえるかどうかといった小さな声でつぶやいた彼は、まるで何かに触れるように虚空に手を伸ばし、何事もないように去っていった。男に続いて、神々しさすら感じさせる美女もまた笑みを残して去っていった。


「……何だったんだろうな、あの人たち」

「すごい美人だったね」


 呆然とつぶやく宗次郎や白崎をよそに、未来は男がとった行動と、それがもたらした結果に意識を奪われてそれどころではなかった。


 男は、まるで見えているように猫又の額に軽く触れて何かをした。一瞬、驚くような力の奔流が感じられ、それが猫又に入るのを未来は認識した。


 その瞬間、猫又は激しく体を光らせ、次の瞬間には一層強く猫又の存在を感じられるようになっていた。


 男が猫又に何かをした。それはつまり、男は猫又が見えていた上に、干渉する力を持っていたということで。




 強く鳴る心臓の鼓動を感じながら、未来は嬉しそうに相好を崩して毛づくろいを始めた猫又をじっと見つめていた。


 猫又は何も語らない。

 未来がまたも熱い視線を孝樹に送っていたという事実が増えただけだった。

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