第7話祝事

「……やっぱり、何かから守っているんだ」

「おーい、未来ちゃーん?」

「あ、寧音。どうしたの?」

「どうしたのじゃないんだなぁこれが。修学旅行の計画だよ!京都の自由行動の計画をしないといけないんだよ。ほら、しゃんとして!」


 教室で倒れて以来何かと過保護な白崎に苦笑を返して未来は小さく首を振って孝樹に関する思考を振り払って目の前の課題に向き直った。


「まったく、心配性だよね。寧音だって倒れたのにわたしばっかり気遣ってさぁ」

「私は大丈夫なの!こう見えてもしっかり体を鍛えてるんだからね!」

「開始数分でばててそれからのんびり歩くようなランニングはランニングじゃないからな」


 ぎょえ、というおかしな悲鳴を上げた白崎が背後を振り向く。白崎の視線の先には、からかうような光を目に宿した宗次郎が立っていた。


「ちょっと、どうして話すの!?」

「お前が起きれないから朝起こしてって頼んできたんだろうが。俺の面倒臭さを皆に知ってもらわないとな」

「ちょ、それは――」

「へええ?朝起こしてもらうような仲なんだ」


 未来を筆頭に、修学旅行で同じ班を組むメンバーがにやにやと笑みを浮かべる。女子たちだけでなく、話を耳にしていたクラス中の男子の視線も宗次郎に集まった。

 そこでようやく自ら墓穴を掘ったことに気づいて、宗次郎は口をわななかせる。


「う、ぐぁ……これは、その、だな……」

「そう、孝樹くんの体調不良に気づけなかったふがいない保健委員にバツを与えているんだよ!」

「へぇ、そのバツが起こしてもらうことかぁ。ひょっとしてわざわざ朝に家に行ったりとか?」

「え、いや、それはもちろん携帯で電話をするだけだぞ?」


 言いながら、宗次郎は視線を虚空へと向ける。その言葉が嘘であることは明らかだった。話を聞いていたクラスの者全員が、宗次郎の言葉が嘘であることを見抜いていた。


「そのね、宗次郎の通学ルートに私の家があるっていうことが話していてわかったから、朝練に行くときに起こしてって話をしたんだよ」

「で、ついでにダイエットだって俺について朝に一回学校まで軽く走る……って話だったんだけどなぁ。すぐにばてて歩きやがるんだ」

「別にしっかり有酸素運動になってるからいいんだよ。大体、宗次郎のランニング速度が速すぎるのがいけないんだよ。あれは完全に無酸素運動だよ」

「自分のペースではしりゃあいいのに俺についてくるのが間違いだろ。大体、ランニングくらい一人でしろ。それと俺をダイエットに巻き込んでくれるな」

「ダイエットねぇ…寧音ってまったくダイエットなんて必要なさそうなんだけどなぁ。あ、そうか!ダイエットして良く見られたい相手ができたってことだね。おめでとう!」


 未来が楽しそうに両手の指を合わせて告げれば、白崎と宗次郎はどちらも顔をこれでもかと真っ赤にしてふんと鼻を鳴らして互いにそっぽを向いた。


「おーい、授業中だぞー?」


 さすがにこれ以上は隣のクラスの迷惑になるからと担任の一喝が入り、生徒たちは祝福をしながらも学活の授業に戻った。

 席に戻る最中に宗次郎がクラスメイトの男子たちに祝福というよりは恨みのこもった張り手を背中にもらう姿を見て、白崎は再び頬を膨らませて鼻を鳴らした。


「愛されてるねぇ」

「……今のどこをどう見たらそう思うの?」

「いやいや、きっと自分の机への忘れ物にかこつけて、グループで寧音っちがうまくやってるか確認しに来たってことでしょ?ついでに緊張をほぐそうと軽口まで叩いてさぁ」

「わぁ、つまり不器用な男の子の愛ってやつだね。すごい、本物!」

「あんたたちねぇ……」


 額に青筋を浮かべる白崎を見て、言い過ぎたかとテーブルを突き合わせる女子たちは口ごもる。彼女らににらみを利かせた白崎は、ふと先ほどから未来が何も言っていないことに気づいて視線を向けて、思わず顔をひきつらせた。

 そこには、まるで恋に恋する乙女のような顔をした未来の姿があった。


「……いいなぁ」

「お、未来も恋してるねぇ。いいねいいね。花の女子高生っぽくなってきたねぇ。そうと決まれば自由行動はあの二人の班と一緒になるべきかな」

「えー、でもあの班って飯島くんと堀くん以外はなんか微妙じゃない?」

「ちょっと、さすがに聞こえるように言うのは駄目よ。影口ってのはこっそりとするものなのよ」

「おおーい、陰口についても含めて全部丸聞こえなんだよなぁ?」


 隣でテーブルを突き合わせている宗次郎や孝樹が属するグループの男子が、陰口云々を話す女子に対して、頬をぴくぴくとひきつらせながらなんとか笑みを浮かべて告げる。にじむ怒りに、けれどバレー部エースの女子はなんてことないように首を小さく傾げ、それから改めてひそひそ話に移った。


「うわー、あからさまな陰口」

「おいおい、そういうことを言ってるから嫌われるんだよ」

「はっ。白崎さんを捕まえて一抜けした奴はいうことが違いますねー?」

「ええと、その、宗次郎、おめでとう!」

「お、おう。ありがとな孝樹。てかこのタイミングで言うのか」

「駄目だった?」

「いや、そんなことはないけどさ……」


 カオスになりつつあるグループでの話し合い活動を見ながら、担任はこれで本当に大丈夫か、と内心冷や汗を流していた。





 ここ数日、宗次郎に誘われて夜遅くまでゲームをやっているということで、孝樹はいつにもまして眠そうな顔をしていた。しょっちゅうあくびをかみ殺して目じりに涙を浮かべ、あるいは授業中に舟をこぐこともあった。


 そうしてとうとう限界に達したのか、教室の掃除が終わってすぐに「寝る」と宣言して、孝樹はあろうことか机に突っ伏して眠り始めた。


 宗次郎は部活に行く必要があって孝樹を見ていることができず、ちょうど通りがかった帰宅部の未来が眠る孝樹のお目付け役(?)として教室に残ることになった。


 眠る孝樹の後頭部では、今日も黒い毛並みが美しい猫又がぐるぐると髪を踏みつけるようにして動き回っていた。


「こんにちは」


 小さく手を振りながら話しかければ、猫又はふんと鼻を鳴らして動きを止め、じっと未来を見つめ始める。未来もまた、今度は負けるかとばかりに猫又を見つめ返す。


 遠くから部活の掛け声や、吹奏楽部が奏でる練習曲の音が響いてくる。秋の風が開きっぱなしの窓から流れ込み、やや汗ばんだ未来の頬を撫でて過ぎ去っていく。

 教室はもう冷房はつけられてはおらず、涼しい風も相まって未来は秋の到来を実感していた。


「孝樹君を守ってくれているんですよね?」


 そう話しかければ、猫又はぴくぴくと鼻を動かして見せる。まんざらでもなさそうなその顔を見て、未来はくすりと笑みをこぼす。


「孝樹君はいい人ですよね。道端で倒れている動物をお墓に埋めてあげるんですから。あれ、公共施設の敷地に勝手にお墓を乱立させるのは、衛生的な問題も含めて大丈夫なんでしょうか……今まで注意されていないわけですし、たぶん、きっと、大丈夫ですよね?」


 そう尋ねても、当然そんなことを猫又が知るわけもない。猫又は『ナァ?』といぶかしげな鳴き声を上げて、孝樹の頭の上でくるりと丸まった。


「そういえば、そうやって孝樹君の頭の上にのっているように見えますけど、本当にのっているんですか?こう、のっているように見せかけているというわけではなく?」


 生きている人に触れられるほどの存在なのかと気になりつつ尋ねるも、猫又は鳴くこともなくちらりと一度目を開けてから、光のない漆黒の目を閉じて穏やかな寝息を立て始めた。


「……そっくりさんですね。孝樹君と、猫又君。そういえば、猫又君には名前はないのでしょうか?まあありませんよね。わたし以外には見えていなさそうですし。だとすれば、わたしが何か名前を付けてあげるべきでしょうか。でもいつまでも孝樹くんに憑依したままというのもどうかと思いますし……名前を上げたらきっといついてしまいますよね。お母さんも名づけはお化けの格を高めてしまう行為だから不用意に行うなと言っていましたし。でももし名前を付けるならやっぱり孝樹君が名づけをするべきですよね。だとすれば、どうにかして孝樹君から名前の案を引き出すべきでしょうか。ここはやはり、猫を飼うことになったのだけれどいい名前が思いつかないなどと告げて助言を乞うべきでしょうかね」


 どう思いますかと尋ねれば、猫又はくあとあくびを返した。真っ赤な口内から除く白い犬歯は不思議と愛らしく見えた、未来は顔をほころばせた。


それから、未来は孝樹が起きるまでずっと、孝樹と猫又の寝顔を堪能し続けた。





 そうしてとうとう修学旅行の日がやってきた。


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