第3話高嶺の花は不幸少年が気になるようです

 このクラスはこれまでの学校生活の中でもとりわけ過ごしやすい。

 それは親しい友人ができたからでもあるし、やっかみが襲ってこないからでもあった。


 わたしは、自分の容姿がそれなりに優れているものだという自覚がある。あとはスタイルも。

 曽根崎未来という人間は、他人の視線を感じない鈍感ではないのだ。


 男子からのねばつくような視線を感じることはしょっちゅうだし、女子からの嫉妬に満ちた視線を感じることもある。

 けれど努力して維持しているスタイルはともかく、容姿は運によって与えられたものだ。

 わたしはくじ運をひけらかして自分をアピールする気はないし、他人の容姿にあまり頓着するほうではない。


 まあそんなことを言えば、持つ者の理論であって持たざる者はそんな風には考えられないと言われるのだけれど。


 それはさておき。

 そんなわたしの目から見ても、クラスメイトの一人、飯島孝樹君は変わった人だった。

 容姿はいいほうだと思うし、背も高い。太っているわけではない平均的な体系のはずなのに、なぜだか無性にやせ細って見せるのは背丈のせいだろうか。


 少しばかり青白い肌に、毛先が若干癖を帯びた髪はたぶん天然のものだと思う。少なくともわたしの印象からすると、飯島君は校則を破ってパーマをかけてくるタイプではない。


 こうして並べてみると、飯島君はクラスの男子たちに埋没する一生徒に過ぎない。


 けれど彼はその行動が、あるいは運が、異常だった。


 基本的に彼は怪我が絶えない。それはもう、毎日見えるところに新しい傷をこさえる始末だ。

 耳にした話によると、事故に遭ったり、いさかいに巻き込まれたりしているらしい。その他にも彼の不幸話には限りがない。自分の目の前でくじが売り切れたという話には思わず笑った。

 その時の彼の絶望の顔と言ったら、今でも思い出したらくすりと笑みをこぼしてしまう。


 そんな飯島君だけれど、今日もまたいつも通りに学校に遅刻してきた。

 目撃者によると彼が血まみれの猫を抱いていたという情報だった。多分、登校中に猫の遺体を見つけていつものように抱き上げて学校の一角に埋葬するのだろう。


 ちょうど八時を指した掛け時計を見上げながら、わたしは以前見た飯島君の動きを思い出していた。鳥の遺体を前に慣れた動きでポケットに手を入れたかと思えば、そこから手にぴったりと張り付くタイプのビニール製の手袋を取り出して素早く装着し、遺体を抱き上げた。

 いつくしむような動きでその鳥を学校に運んだ彼は、たった一人、裏庭の一角に放置されていたスコップを手に取って穴を掘り、その鳥の遺体をそっと埋めていた。


 そうして作ったお墓に、彼は近くにあったやや大きめの石を墓石替わりに突き刺して祈りをささげていた。


 なんとなく友人と後をつけたわたしは、彼の一連の動作を見てひどく驚いていた。


 一体この学校に在籍する生徒のどれだけが、道に倒れている動物の遺体を埋葬しようと思うだろうか。正直、わたしは直視したくないし、触れたくもない。

 そんな存在にためらうことなく触れて――病気のことを考えれば手袋を装着するというのは理にかなっているだろう――埋葬する彼に、わたしは、あるいはわたしたちは一目置くようになった。


 それから、なんとなく飯島君を目で追うようになった。彼はいつも何かしらの騒動に巻き込まれていた。不運というよりは、不幸というのが正しいのだと思う。まるで彼を避けるように幸が遠ざかっていくのだ。あるいは、不幸に吸い寄せられるように彼が動いているのかもしれない。

 だとすると不運でもあっているのだろうか。


 まあ、そんなことは重要な話ではない。

 大切なのは、今日の飯島君はいつもとは大きく違うという点だった。


 頭頂部で揺れるアホ毛――に見せかけた寝ぐせはいつも通りだ。やや眠たげな半目も、白い肌も変わらない。彼自体には、いつもと違う点はなかった。

 相違点は、彼の周り。


 正確には、彼にだった。


 わたしの目には、それは黒い猫に見えた。しかも、しっぽが根元で割れて二本になっていた。

 そんな黒い猫が、飯島君の周りをどこか楽しそうにぐるぐると回っていた。


 猫又、というやつだろうか。

 老いた猫が妖怪になった存在。けれど猫又は人の目に見える印象がある。だとすればやっぱりあれは、幽霊だろうか。


 そう、何を隠そう、わたしはお化けや妖怪といった非日常な存在を見ることができた。

 この世界には、意外とたくさんのそうした科学の隙間を縫って存在している者がいる。そうした存在を、わたしはどういうわけか見ることができた。


 別に何か不思議な事件に巻き込まれたわけでもなく、特別な特訓をしたということもなく、わたしは物心つく頃から当たり前のようにそれらの存在を目にしていた。


 理由は、血統だそうだ。

 わたしのお母さんの家系がそういったものを見ることができる血筋だった。だからお母さんも、お母さんのお父さんも、お化けなんかを見ることができて、私は忌避されるおかしな存在ではなく、愛すべき子どもとして家族に受け入れられた。

 まあ、怖がりなお父さんは、わたしがお化けのことを相談すれば顔を蒼白に染めていたけれど。


 そんなわけでわたしはたぶん飯島君が埋葬した猫の幽霊をじっと睨んでいた。


 ぐるぐる、黒い猫又姿の猫は飯島君の体の周囲を、駆けるように宙を踏みしめて回る。


 ふと、その黒い目がわたしの目と交わった。

 途端に猫又は動きを止めて、じっとわたしを見つめてきた。私もまた、彼の肩の上に乗った猫又を見つめ続ける。


 どうしてだか、今目を逸らしてはいけない気がした。


 じりじりと緊張感がわたしの心に満ちていった。気が付けば握りしめていたこぶしの中、掌がじっとりと湿っていた。


 黒猫が揺らす尻尾が飯島くんの鼻をかすめる。それとほぼ同時に、飯島君が小さくくしゃみをした。あの黒猫は飯島君に物理的に干渉できるとでもいうのだろうか。


 授業の開始を知らせる鐘の音が放送で流れ、わたしたちのにらみ合いは終わった。


 挨拶もそこそこに、わたしは再び飯島君のほうを見た。彼の頭の上にどっしりと乗った猫又は、大きくあくびをしてからちらりとわたしのほうを見た。


 それから、にやりと、まるで勝利を誇るように笑って見せた。


 さっきのは引き分けだろうに、猫又は泰然自若として勝利の美酒――を飲んでいるような雰囲気に酔いしれていた。


 おかげで気が散って、あまり授業に集中できなかった。

 というか、飯島君。一体どうすれば猫又に憑依されるような状況になるのだろうか。目の前で事故に遭った猫を埋葬してあげたから? だとすればこれまでにも猫又に憑依された人をもっと多くわたしは見てきただろう。


 悪運に、あるいは不幸に愛された飯島君は、今日も我が道を行っていた。






「私もいーれて!」


 クラスメイトの一人、白崎寧音ちゃんが突撃するようにやってきて近くのテーブルをわたしたちのグループの端に引っ付けてきて昼食を食べるグループに参加してきた。


 まるで小学生のようなノリに、けれどわたしの友人たちはどこかおかしそうにうなずいて彼女を歓迎した。


 表裏のない白崎さんはこのクラスのムードメーカーであり、愛すべきおバカさんだった。

 別に勉学の成績が振るわないだけで、彼女は地頭はとてもいい。それこそ、IQのような評価では、わたしは白崎さんの足元にも及ばないのではないかと思う。いつも楽しそうで、風のように自由な白崎さんは時折まるで真理を突くようなことを言う。そういうところも彼女の持ち味なのだと思う。


 そんな白崎さんの今日の興味はわたしに向いているようで、ほかの人と話している間も、ずっとわたしに意識が向いているのを感じていた。当のわたしはといえば、相変わらず飯島君の頭上で丸まってこちらをのんきにみている猫又に意識が向いていた。


「ねぇ未来ちゃん。今日はずっと飯島君を見ていてどうしちゃったの?」

「……そう?」

「ええと、飯島君が気になるとか?」

「うん」


 猫又に意識を集中するあまりおざなりな返事になってしまった。周囲から息をのむような気配が伝わってきて、何かおかしかっただろうかと、わたしはやっぱり猫又を見ながら首をひねった。


「あの、ね。それって、飯島君を男の子として見ているのかな?」


 どこかためらうように告げる白崎さんの言葉が、ゆっくりとわたしの頭の中で形になっていく。飯島君は、男の子。うん、飯島君は男の子だ。どう見たって、身長180センチはある彼は女の子には見えない。意外と肩幅があるし、のどぼとけも出ている。顎なんかもしっかりしているほうで、一目で彼は男の子だとわかる。


「……飯島君は男の子だよ?」


 何を言っているんだろうと、そう思いながらわたしは首をひねる。

 にゃ、と猫又が初めて鳴き声を上げて、わたしは目を見張った。それと同時に、きゃー、という甲高い悲鳴が周囲から響いて、わたしは思わず肩をはねさせた。


「え、ええ?どうしたの、みんな?」

「……これは嵐が来るね」

「そうね、間違いないわ」


 白崎さんの言葉に次々に同意する友達は、みんなわたしと飯島君の間で視線を行き来させていた。



 一体彼女たちはどうしたというのだろうか。

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