第2話高嶺の花は不幸少年に夢中です

 孝樹と宗次郎が所属する2年5組には、学校ナンバーワンの美少女と称される人物がいる。

 その名は曽根崎そねざき未来みらい


 肌は白く、垂れ目がちな目は長い睫毛に縁どられ、鼻はすらりと高く、唇はまるで旬の果実のように常にみずみずしい桜色をしている。顔のパーツは黄金比をとっており、濡れ羽色の長い黒髪を首の後ろで緩く結んだその容姿は、女子をも唸らせる美貌だった。紺のセーラー服は胸元が強く主張されており、けれど腰は細く、背も高い。

 宗次郎曰く、学校一の脚美人であり、常に黒のストッキングに包まれた脚は均整のとれた肉つきをしており、しなやかな脚線美を描いている。


 そんな未来は、ナンバーワン美少女と称されるだけあって、性格も美人だった。

 そして何より、一年次、そして二年の一学期の中間及び期末試験では常に堂々の学年一位。唯一、運動神経に限っては苦笑を浮かべる状態ではあるが、それが完璧な彼女を近づきやすい存在にしており、友人にも恵まれていた。


「はぁ、やっぱり美人だよなぁ」


 今日も美しい未来を見つめながら、クラスメイトの男子は小さな声でぼやいた。

 時間は一時間目の授業開始前。まだ始業前の感覚を引きずってどこか弛緩した空気を破るように、教室前方の扉が勢いよく開け放たれた。


「セーフ!」


 言いながら教室に滑り込んで来た宗次郎は、やや鋭い視線を向ける担任の存在に気付いてぺこぺこと頭を下げ、足早に自席へと向かった。

 続いて肩で息をする孝樹が教室に姿を現わせば、「またか」とクラスメイト及び担任の心は一つになった。


「あー、飯島、あと堀。今日は何があった?」

「ちょ、先生?俺はついでかよ」

「あ、登校中に車に猫が跳ねられる姿を目撃してしまって……」


 その光景を想像してしまったのか、一部の生徒の顔色が悪くなる。猫の遺体を抱いていたという目撃情報はすでに担任の耳に入っていたため、彼はそうかと頷き、二人の遅刻を無効としたのだった。


「できればトラブルも加味してお前たち……特に飯島はもう少し早く家を出るように」

「駄目だろ。先生、コイツ今日三十分前には学校に着けるように家を出たんだよ。でも、道中にひったくりとぶつかってひと騒動あって、その後に猫を埋葬してるんだ。時間を作ってもこうなるんだから無駄だな」

「……それはオレも薄々わかってる。だが、社会に出れば遅刻は許されなくなる。だからできることなら回避方法を模索するように」


 できはしないだろうが、と思っているのが側から見て明らかな顔で告げる担任に、宗次郎は肩を竦めて返す。努力します、と真剣な顔で孝樹は頭を下げる。孝樹を無駄に責めたとして一部の女子生徒から担任教師へと責めるような視線が集まり、彼はガリガリと髪を掻いた。


「はぁ……まあいい。早く一限の準備を済ませとけ」


 クラスの愛されキャラである孝樹に出席簿を振ってみせ、担任教師はふらりと教室を出て行った。


「お疲れー。今日も相変わらず運命に愛されてるね!」


 机の上まで鞄を運んでくれた宗次郎に小さく頭を下げる孝樹を見ながら、前の席に座る女子生徒が元気よく手を上げてあいさつした。朝のあいさつでありながら「おはよう」でないあたりはご愛敬だろう。

 ショートが似合う彼女に、孝樹もまた小さく手を振って返す。


「おはよう、白崎しらさきさん」

「にひ!今日も孝樹くんはブレないねぇ。私は猫の遺体が~ってあたりでミンチを想像しちゃって青ざめたんだけどねぇ」

「いや、それほどひどい状態じゃなかったよ」

「あ、それ以上の説明は要らないよ。血を見るのも想像するのも嫌なんだよねぇ」


 そう言いながら、白崎は鳥肌が立った腕をさする。ごめん、と一声かけながら、孝樹は素早く一限の教科書やノートを机の上に並べる。既に教科担任の先生が教室に入ってきており、授業が始まる直前だった。


「……ねぇねぇ」

「ん?どうしたの?」


 普段であればこれで終わりのはずの会話は、けれど今日はそこで終わらなかった。素早く周囲を見回した白崎は、ちょいちょいと孝樹を手招きする。

 そして孝樹の耳元で一言。


「さっきからじっと未来ちゃんが孝樹くんのこと見てるんだけど、何か心当たりある?」

「……え?」


 白崎につられてちらりと視線を向ければ、そこには大きく目を見開いてじっと孝樹の方を見つめる未来の姿があった。

 孝樹の視線を受けても、未来の視線が逸れることはない。


 孝樹を見ているようで見ていない、そんな視線を受けて、孝樹は首を傾げるばかりだった。


「……さぁ?さすがに続く遅刻が看過できないと思ったとか?」

「えー、未来ちゃんってそんなお堅いタイプじゃないと思うなぁ。大体――」


 そこでチャイムが鳴り、クラス長の号令によって生徒が一斉に席を立つ。慌てて孝樹たちも立ち上がり、号令に合わせて授業開始の挨拶をする。


(何か僕に用があるのかな……?)


 頭を下げながら、孝樹は未来の方をそっと見る。何か自分におかしなところがあったのだろうかと思いながら、体に視線を向けるも、制服に猫の血が付いているなどといった異常は見当たらない。


 首を傾げながらも、授業が始まればまじめな孝樹は先生の話に集中し、いつしか未来の視線のことはすっかり頭から抜け落ちていた。







「なぁ、今日の曽根崎さんはどうしたんだろうな?」


 昨日の雨のせいでグラウンドは未だにコンディションが悪いということで、昼練のなかった宗次郎は、白崎の机を前後反転させて孝樹と机を突き合わせて座った。


「だよねー。今日の未来ちゃんって暇があればずっと孝樹くんのことを見てるもんねぇ」


 突如背後から肩をがしっとつかまれて、宗次郎はびくりと体を震わせた。


「うお!?……ああ、白崎か。何か忘れものか?」

「いんや。お弁当はしっかり持ってるから、特に机に用はないよー」


 へへんとなぜか胸を張って赤い花柄の巾着を突き出して見せた白崎は、それより、と宗次郎に顔を近づけ、やや声を潜めて口を開く。


「やっぱり今日の未来ちゃんって変だよね?」

「だな。ずっと孝樹を見てるもんなぁ。もしかして惚れたか?」

「ちょっと違うんじゃないかなぁ?恋したのならもっとこう熱い視線を向けると思うんだよね」


 どう思う、と今もまたちらちらと向けられる未来の視線にさらされている孝樹に二人が問いかける。


「……どう、なんだろうね?わからないや」

「いいや、決して恋じゃないね!」


 ガシ、と孝樹の肩をつかんで、血涙を流すような顔で告げる男子生徒に、白崎が唇を尖らせる。


「どうしてそう言い切れるのさ?」

「そんなの、ボクの心が曽根崎様の恋を受け入れられないからだ!」


 すでに一度未来に告白して振られている彼は、なお未来を好きだと公言する強者の一人だった。彼曰く、曽根崎未来ファンクラブの一けたの会員でもあるとか。


「さて、ねぇ。俺としては親友の孝樹がいい奴だってことは知ってるし、意外とお似合いなんじゃないかと思うけどなぁ」

「いいや!天使であり女神でもあらせられる曽根崎様は決して恋などしない!」


 未来に聞こえないように声を潜め、けれど心のこもった力強い声で告げる彼に、宗次郎と白崎はやや白けた視線を向けた。

 特に女子である白崎の氷のごとき視線にたじたじになった彼は、しどろもどろに弁明し、やがてがっくりと肩を落として去っていった。


「……でも、未来ちゃんが恋って言うのは私もあんまりそうぞうできないなぁ……というわけでちょっと偵察に行ってくるよ!」


 言うや否や、白崎は勢いよく未来がいるグループへと突撃していく。その背中を見送った宗次郎と孝樹は、顔を見合わせて苦笑した。


「白崎さんってすごく元気だよね」

「ああ、ムードメーカーってやつだろ。ま、いい奴だ。時々調子に乗って好奇心の赴くままに場を引っ掻き回したりもするけど、まあひとまずあいつに任せておけばいいんじゃないか?」

「うん……って何を?」

「そりゃあもちろん、お前と曽根崎さんの恋路のサポートだろ」

「やっぱりそういうのじゃないと思うんだけどねぇ」


 一つくしゃみをしてから、孝樹はコバエを追い払うようにぱたぱたと手を振って否定して見せる。そうかなぁ、とどこか訝しげな目をしながらも、宗次郎は昼食へと意識を向けた。





 それから、数分後。


「え~~~~!?」


 白崎をはじめとする女子生徒たち数名の甲高い声が教室に響き渡った。びくりと肩を震わせた孝樹と目を瞬かせる宗次郎が視線を向ければ、孝樹と未来の間で視線を行き来させる、やや動揺した白崎の姿が目に映った。


「これはビンゴか?」

「えっと……白崎さんが僕に好意を抱いているって話?」

「そうそう、あの驚き様だ。あながち間違いじゃないかもしれないな」


 他人事だからだろうか、いたずらを企む子どものように童心をはらんだ笑みを浮かべる宗次郎へと半目を向けた孝樹は、クラスメイトの視線が自分に集まりつつあることを感じて小さなため息をついた。

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