2話 逆襲のフライパン

 無意識だった。

 膝を抱えるように座っていたエリサは、指先を胸元へとやった。

 胸にふれてから、ネックレスを受け取り損ねていたのを思い出した。

 いまのうちにクドーから渡してもらおうかと思ったが、宇土から許可をもらうのも癪だ。もう少し我慢することにする。

 階下にいったネヴァが心配だった。静かなままだから大丈夫と思いたい。けれど尾形だけでなく、銃を持った式見が監視についていった不安がまさってしまう。

 隣にすわっていたクドーが手を重ねてきた。見張っている宇土の注意がそれたタイミングでささやいてきた。

「大丈夫やから」

 平素と変わりがないクドーの平素の声に、警官なんだと実感する。



 クドーは落ち着いているわけではなかった。

 簡単に大丈夫と言っていいものでもない。しかし冷静なところを見せ、打つ手があると思えないとエリサが不安になるだけだ。

 階下で騒ぎがおこっていないのは、新たな訪問者がリウだったから。騒がせずに制圧したから……なのか? 確かめられないもどかしさのなか、状況の変化を待ち……

 きた。

 座っている低い目線が、現状打破のきっかけを認めた。

 宇土の気を引いてサポートする。

「姿勢かえるぐらい、ええやんな?」

 返事を待たずに動き出す。

「じっとしてろ。座れ」

 クドーは構わず立ち上がった。

「座りっぱなしはしんどいで。こんだけ体格差ある女相手に気にすることやないやろ?」

 立った気がしなかった。リウよりさらに頭半分でかい宇土と圧倒的身長差があった。

「ちょっと話があるんやけど——」

 足を一歩まえに進める。

 油断をみせない宇土が、ナイフをむけて身構えた。

「動くな、とま——!」

 忍び寄っていたネヴァが、宇土の背後から殴りかかった。

 腎臓を狙った拳は直前でかわされる。エリサの視線の動きに気づいた宇土が、とっさに身をひるがえした。

 振り返りざまの宇土が狙ったのは、ネヴァの右肘。パンチで伸びていたところにナイフを繰り出した。

 ジャケットを裂かせただけでネヴァが回避する。

 バックステップを踏んで距離をとったネヴァに、

「あたしの相方は⁉︎」

「二階の三人を引き受けてる!」

 やはり来ていた。クドーはネヴァと二人がかりで宇土を押さえにかかる。

 しかし、武器がわりになるものがなかった。

 ステレオラジカセはクドーの腕力には重すぎる大型。材料豊富なキッチンは、争っているネヴァと宇土の向こう側だった。

 ネヴァにしてもエリサを助けることに気をとられて焦ったのか、手ぶらのままだ。

 宇土の長いリーチでナイフを振るわれ、近づけないでいる。エリサを盾にとった宇土が攻勢にたった。

「人質がいないと優位にたてないほど、か弱いの?」

 ネヴァが挑発してエリサを放させようとするが、宇土はのってこない。焦れたネヴァが、ナイフを強引にかいくぐろうとする。

 刃先がネヴァの首をかすり、スーツをすべる。

 見ているほうが冷や汗がでる。

 クドーは援護しようとするが、タイミングが合わなかった。

 フェイントをかけてスキをつくろうとしても、ネヴァは孤軍の戦い方をする。リウとは違う動きを読みきれず、二対一をいかせないでいた。

 宇土に振り回されているエリサが限界だ。ネヴァの息もあがってきている。

 クドーは期待を込めてバディを呼んだ。

「リウ、もたへん! 早よ!」

 応えはすぐにきた。

 飛来したミニフライパンが、宇土の背中を強襲する。



 リウがクドーの声を聞いたのは、階段の途中でだった。

 三階フロアをあがってすぐのミニキッチンを利用する。コンロの上にあった小さなフライパンを手にとる。

 サイドにひきつけ、フリスビーの要領で水平に投げつけた。

 フライパンをヒットさせたぐらいではダメージにならないが、宇土の注意がエリサたちからそれた。

 その隙をクドーが活かす。

 リウの投擲姿勢でダッシュを切り、エリサを宇土から引きはがした。

 盾を失った宇土が目標を変えた。リウを最優先で排除する対象とする。

 リウは式見から奪ったハンドガンを照準する。

 人差し指はトリガーにかけていなかったが、とっさには宇土も気づけない。前に出ようとしていたところに、照準から無意識に退こうとする動きが重なり、足が居着いた。

 その数瞬でリウは一気に間合いをなくした。

 宇土の右手を銃のグリップ底で、内側から外へ叩きつける。ナイフを弾き飛ばす。

 同時に右肘をみぞおちに突き入れ、たいを落とした。

 宇土の右膝を右肘で内側から押す。ハンドガンを握っている左手で右踵をひっかけ手前に引く。テコの要領で宇土を仰向けにひっくり返した。

 股間に右肘を打ち込み、仕上げにかかる。

 


 宇土の注意がリウにむかったところで、広田が床を揺るがす勢いで駆け上がってきた。

 指まで太い右手にはナックルダスター。片袖が破け、口角を血で濡らした顔を憤激でたぎらせている。

 ネヴァは手近にあったラジオカセットデッキの取っ手を握る。床から持ち上げる流れのまま、アンダースローで投げつけた。

 投げつけながらスタートを切った。

 重量一〇キログラムのダブルスピーカー・ラジカセを広田が片腕でなぎはらう。

 開いた胴体に、低い体勢からのタックルをぶつけた。が、筋肉と脂肪のクッションが衝撃を吸いこむ。エリサがいる部屋への侵入を阻みはしたが、よろめいただけだった。

 踏みとどまった広田がナックルダスターをふるう。

 金属の拳が頭部を狙って放たれる。

 ネヴァは身体をねじり、腕をあげてブロック。まともに受けたナックルダスターに骨がきしむ。

 エリサの悲鳴が聞こえた気がしたが、様子を確かめる余裕がない。左肩への第二撃で膝が折れた。

 このままではトドメがくる。

 目の前の広田の足首を抱き込み、肩で膝を押し込んだ。

 踏ん張れずに広田が真後ろに倒れる。受け身が間に合わず、頭を床でバウンドさせた。

 ボディへのパンチでは脂肪で無効になる。マウントをとったネヴァは、広田の頭部に拳を集中させる。ガードしようとする腕ごと殴りつけた。

 エリサの状態に気づかないまま。



「ネヴァ、もう……」

 生々しい暴力にエリサが青ざめている——。

 クドーは、無理を承知でエリサの肩を抱いて呼びかけた。逃げるには、リウが宇土を押さえ込み、ネヴァが広田を部屋の外に追いやった今しかない。

「エリサ! 外に逃げ——」

「式見、どこだ⁉︎」

 階下から聞こえてきたリーダーを探す怒鳴り声に足がとまった。

「三階だ! 早く来——ぐッ!」

 ネヴァが広田の口を封じる。肘をストマックに突き立てた。

「加勢がおる⁉︎」

「荷物の回収係が後追いで来たんだと思う」とリウ。

「二階の品物しなもんって、そない、ようけあるん?」

「お巡りさんたち、話はあと! エリサを避難させたい」

「ごめん」相方に向きなおり、

「露払い、頼んでええ?」

「ん」

 OKの返事とともに、奪いとったハンドガンをリウから渡された。

 これで自分たちの身を守れということだ。撃たずにすませたい。

「ネヴァも一緒に逃げるんだよね?」

「状況による——かな。別々になっても、すぐ追いつく」

「市民には逃げてほしいのですが」

 リウがあえて強調した「市民」にも、ネヴァは首を横にふった。宇土のナイフを拾い上げたリウが、もう一度確かめる。

「クドーと一緒に出れば、モラーノさんのガードができます」

 消極的な提案は、リウひとりでの制圧が難しい人数のようだった。逮捕前提の警官の立場を捨てれば別だろうけれど。

「あんたが下のピラニアどもを確実に食い尽くしてくれるんなら、喜んで出てく」

 広田から奪ったブラスナックルの装着具合を確かめているネヴァに、「できる」と返さないのがリウだった。

 ただ、ネヴァに何かあれば監察の調査を受けるかもしれない。一緒にいたバディもだ。

 そのことを気にしてか、目で問うてきた。

「ええよ。確実な役割分担したいうことで」

 階下から忍び寄ってくる気配がクドーにもわかった。投げつけたフライパンはそのままにして、先行しようとするリウを呼びとめた。

「警官的には、刃物よりフライパンのほうが無難とちゃう?」

「狭いから」

「あ、せやな」

 階段が細いから、コンパクトな動きでダメージを与えられる武器が必要なのだ。

 左手首にそわせるアイスピックグリップ逆手持ちで握り、ナイフを隠すように持ったリウが先頭を切る。

 その背中に、クドーはエリサの手をとって続いた。

 エリサの手が冷たくなっている。温度をわけるように握り、ささやいた。

「怖かったら叫んでかまへん。みんながおるから、なんとかなる」

 絶対はないけれど、自分を鼓舞するためにも言葉にした。

 しんがりのネヴァがエリサの肩に、ブラスナックルを握った手を優しくおいた。

 本当は武器など持っていない手でふれたいはずだ。それだけネヴァの左腕が、動かない状態であることを示していた。

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