四章

1話 リウ巡査のエッセンス《精髄》

 ネヴァは急いでインターホンに出た。

 返事を待たせて帰られると困る。このチャンスを失うと、エリサを救う手立てがなくなるかもしれなかった。

『夜分に申し訳ありません。南方面分署のリウ巡査です』

 インターホン越しで声がぼやけているが、クドーと一緒に来ていた警官で間違いない。店で顔を合わせたときは関わりたくないと思ったが、この状況になると逆になった。

 こいつを利用しない手はない。

 ネヴァは、背後で聞いている式見をうかがう。リウの低い声が、受話器の外にもれている様子はなかった。

「鍵を開けるから待ってて。すぐいく」

 ドアを開けずに追い返したいだろう式見の先手を打つ。口を開きかけた式見に気づかないふりをして、すぐに階段へとむかった。

 一階フロアに出る手前で、ついてきていた式見と尾形が足を止めた。

 その存在を背中に感じながら玄関ドアの小窓をのぞく。バッチとIDをかざしたリウを確かめてから開けた。

 ドアを開けた直後、眠たげだったリウの双眸に光がはいる。目だけを階段へとむけた。

 勘がいい。ネヴァは小さな動作で人差し指をたてた。小声で、

「エリサとあんたの相棒が人質にされてる。階段にいる二人のうち一人は銃を持ってる。二階に三人、三階にあと一人。あんたの設定を呑みに誘いに来た仕事仲間にして、わたしが出てきた」

「元凶は上階にある〝品物〟?」

 ひそめた声に小さく頷いた。玄関先にいて気づくあたり、かなり鼻がきく。

 リウが一転、大きくはないが、よく通る声で言った。

「そんな理由で私の約束を断る気か? ここだけの話——」

 ネヴァの首に腕を回して引き寄せ、悪巧みをささやく体裁をとる。乗じてネヴァは早口で伝えた。

「品物の回収を焦っていることからして、あんたの仲間の応援を待ってる余裕はない」

 リウの応えは早かった。

「なるほど。勝手にハッパを扱ってたのか!」

 ウエストに挿していたポリスバッチは、すでにポケットの中。ネヴァの身体の陰でシャツの前ボタンをすべて外してアンダーの黒Tシャツを見せ、だらしない外見をつくった。

「にしても仕事が雑だ。防臭袋ぐらい用意しろ。臭いがダダ漏れになってる」

 腕まくりをした左前腕上部から、原初的紋様のタトゥーをのぞかせて入ってきた。

 ネヴァは意図をくんで話をあわせる。

「分け前を期待されても困る。上にあるのは、わたし個人のじゃないんだから」

「借りを返すのに、呑ませて終わりじゃないよな? 三割で手を打つ」

「そちらは誰かな? こっちの話はまだ終わってないんだが」

 たまらず式見が出てきた。手ぶらなところを見ると、ハンドガンは腰のうしろにでも挿している。

「あんたの話はあとだ。悪いが出直してくれ」

「全部こっちの台詞だ。誰だ、おまえは」

 リウが顎をあげ、切長の目で式見を見下ろした。わかりやすい悪党を演じる。

 それにしても、目尻の傷痕もあって凶漢ぶりが半端ない。制服姿を見ていながら、こいつは本当に警官なのかと思う。

「押し問答をする気はない。尾形」式見が手下を呼びよせた。

「お帰り願え」

 前に出てくる尾形を阻むように、ネヴァは両手を前に出して止める仕草を見せた。

「落ち着けって。手荒にする必要はない」

 なだめるふりから唐突に尾形の背後にまわった。右腕を首に巻きつけ動きを封じる。

 呼応してリウが動く。

 式見がハンドガンを抜く。

 銃口が上がりきる前から間合いをなくしていたリウが、左手でスライド部分をつかんだ。脇にそらす。

 式見の顎をすくい上げるような右の掌底打を入れる。

 右足で式見の足を払う。

 受け身をとらせないスピードで後頭部から床に落とす。式見を昏倒させた。

 ネヴァは尾形を落としあぐねていた。頸動脈を絞めようとするが、首の隙間に指を入れられて極まらない。

 そこにリウが、奪ったハンドガンの銃口を尾形に覗き込ませた。

 反射的に尾形がひるむ。

 そのタイミングで極め、やっと落とした。

 ふたりを放置して、エリサのもとに急ごうとしたネヴァだが、

「殺す代わりの処置をしておかないと」

 警官らしからぬ言葉で引きとめられた。シビアなリアリストぶりに期待してしまう。

 リウの精髄が、経験を積んだ軍人上がりであってほしかった。確実にエリサを助け出すには、経過より結果に重きをおくスタイルが望ましい。

 目元の傷痕やタトゥーの印象から期待したのではなかった。警官にしては無感情が過ぎる……と、ネヴァはついさっき同じ感覚を抱いたことを思い出した。

 エリサが拾った免許証の証明写真だ。

 写真の男の正体に気づかなかったのは、最初に目についたもので判断したからだった。

 丸みを帯びた顔立ちは、体重や加齢で変わる。眼鏡のかわりにコンタクトがあるし、視力の問題がなくなれば眼鏡そのものも必要ない。

 カメラ目線のようでカメラを見ていない証明写真の目もとは、店で見ていた。

 周囲の反応を気にかける用心深い目。あるいは、自信のなさが表れた目と同じではなかったか。

 エリサが拾ってきた免許証の男は、ネヴァも知っている人間……店で暴れたソフトモヒカンだ。

 ネヴァの胸が粟立った。免許を拾ったエリサの行動が、悪い予測に結びつく。

 セイジが<トラスコ珈琲店>に来たのは、意図してのことだとしたら……

 住人が帰宅している時間を承知で式見がきたのは、商品の回収を急いでいるだけではないとしたら……

 ネヴァが思考している間に、リウが式見と尾形を狭いトイレに重ねて押し込んでいた。

 シャッターの近くに置かれていた錆びたスチール書庫で、ドアをふさごうとするリウを慌てて手伝う。黙々と作業するリウに頼んだ。

「示せる証拠はないけど、式見たちの目的にエリサが含まれているかもしれない。

 エリサの救出を最優先にしてほしい。わたしの正体には感づいてるでしょ?

 手を貸してくれるなら見返りはなんでもやる。金でも、わたしを捕まえるのでも構わない」

 自分個人についてならエサになってもいいと思ったが、

「あなたはモラーノ・イム・エリサさんの保護者的存在で、違法薬物を扱う人間に脅されされている状況にある。警官に助けを求めるのに、見返りを差し出す必要はない」

 おさえた声で返したリウは、意識をすぐ上階へとむけた。

「銃を持っているのは一人?」

「あんたが式見——眼鏡のやつから取り上げたので全部のはず」

 銃器は入手経路が限られ、足もつきやすい。人間が密集しているミナミでは、銃声をすぐ聞きつけられることもあり、あまり実用的な武器ではなかった。とはいえ抜け道はあるし、警察など気にとめずに撃つ者もいるが。

「北辻さんにも制圧に協力してもらっても?」

「もちろん」得意だ。

「では、殺さないようにしてほしい」

「わたしがだから?」

「人数で負けている。苦悶の声を聞かせて精神的ダメージを与えたい」

 ネヴァは真顔で言った。

「制服警官でいるより適職があるんじゃない?」


     *


 病室のイスで船を漕いでいたイグチは、ずり落ちそうになって目が覚めた。

 居眠りは鎮痛剤を飲んだせいだと思いたい。妙な姿勢で寝ていたせいで痛みを訴える首をほぐしつつ、目の前のベッドに目をやった。

 空になっていた。

 視線をめぐらせた先、ドアから出ていく背中を急いで追う。治療したばかりの足を引きずりながら独りごちた。子守りなんて本来の仕事じゃないのに。

「トイレなら反対だ」

 声をかけた背中が、びくりと震えて足を止めた。深夜の病院の廊下で、セイジがぼそぼそ声で言い訳する。

「外の空気を吸おうと思って……」

「わざわざ着替えてか?」

「…………」

「来い。少し話そう」

 返事を待たず、イグチは歩き出した。歩きながら、ふと思いを馳せる。

 セイジには一途なところがあった。一桁の歳の頃から父親の背中を追いかけ、追いつこうとしていた。

 ただ悪く出ると、軌道修正がきかなくないまま突っ走るきらいがある。入院させたのは、ずれた考えのまま動かないよう、強制的にとめおく手段だった。

 感傷的な気分を残したまま、イグチは病棟角にある談話コーナーにはいった。自販機で缶ジュースを買い、セイジに手渡した。

「好きだろ、これ」

「いつの話だよ。ネクターなんて、もう飲まない」

「誰が見ているわけでもない。いいじゃないか」

 イグチは瓶入りの黒褐色の炭酸水を買い、隣にすわった。

「早く治したきゃ、ちゃんと寝ろ。後始末は式見に全部やらせておけばいい」

「自分の不始末なんだ。自分で方を付けないと」

「その身体で何ができる?」

 セイジの脇腹を軽く突つく。口から飛び出しかけた悲鳴とネクターを飲み込んで、セイジが腹を抱えるようにして背中をまるめた。

「無理するな」

「どっちの意味だよ? 肋骨にヒビ入れたまんま無理して動くな? 親父の仕事を無理に継がなくていい?」

「両方だ」

「親父がイグチさんを残していったのは、見張りだよな。おれが出しゃばると仕事のじゃまになるから」

 イグチは応えなかった。「そうだ」と言うには惨い気がしたからだが、応えないことが答えになってしまった。

 本人の努力では、どうにもならないことがある。そこを無理に頑張ることはない——。

 そんなふうに言ったとしても、なぐさめとしかセイジはとりそうにない。

 すでにガリードは息子に見切りをつけ、組織を継がせる気を失いつつある。危険を鑑みたガリードなりの温情なのだが、背中で教えることとして言葉にしないから、意思がつたわっていなかった。

 受けとる側のセイジにしても、認めたくないことは聞こえないことにする。父子双方が交わることがないまま、時間がすぎていた。

「大丈夫か?」

 セイジの目が赤くなっていた。

「ああ。新しいコンタクトレンズがあってないだけだよ」

 強がりだとわかっていても、どんな言葉をかければいいのかイグチにはわからない。

 やっぱり子守り役なんて無理だ。

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