4話 リリィは分署に棲んでいる

 手配していたスキンヘッドのピアス男を柾木とスガヌマが捕まえた。

 このことをリウとクドーが知ったのは、シフト終わりで帰署したときだった。

 そして被疑者が、モラーノ・イム・エリサのネックレスを持っていたと聞いたところから、リウにはバディの行動に予想がついた。

「すごい大事にしてるネックレスやから、よ返したいんや」

 お願いのかたちで言ってくるあたり、クドーなりの遠慮がはいっている。

「帰り道に寄りたいんやけど……」

 意訳すると「車で送ってほしい」。リウはすぐに応えた。

「ん」

「ええの⁉︎」

 エリサに分署まで取りに来てもらうという一般的な手順を踏むと、彼女の手元に戻るのは明日以降になる。これがクドーには、のろくさく、まだるっこしいのだ。

 今日中にかえす方法はあるが、問題があった。事務手続きをせっついても、ナイトシフト班の勤務時間を軽々とオーバーしてしまう。実質、サービス残業のお願いだった。

 リウにしてみれば、急いで帰らなければいけない用はない。回り道もたいした手間ではない。並行して準備をすすめておくことを伝えた。

「やっとく」

「任せてええの? ありがとぉ! 横倒しでかまへんからな!」

「ん」

「ほんなら、あたしは受け取りのほうを揃えてくる」

 言いながらすでに管理部へと走り出していた。

 クドーが事務手続きをしている間に、モラーノ・エリサの自宅住所を確認しておく。それからクドーの通勤用自転車を積み込んでおけば、時間も無駄にならない。

 地図を見にいこうとすると、報告書を仕上げていたスガヌマから声をかけられた。

「あの、どうやったらあの言葉数で、意思疎通が成立するんでしょうか?」

「……?」

 本人たちは意識していなかった。柾木がバディに加勢する。

「以前、クドーに訊いたら『え、わからへん?』とか、こっちが鈍いみたいに言われたぞ。多分おまえの声の調子とか微妙な表情で行間をうめて、会話を成立させてるんだろうが」

「表情……ですか」

 スガヌマが遠慮がちにリウを見る。

「ぼく、観察力が足りないんですね……」

 スガヌマは自身の能力の問題にもっていった。

「いや、おまえさんの観察力っていうより——」

 報告書そっちのけで対談をはじめたコンビをおいて、リウは住宅精密地図をひろげた。

 国内第二の都市は、南北を「通り」で、東西を「筋」で道路整備されている。

 しかし一方通行が多いうえ、幹線道路を一本なかに入っただけで、窮屈な道幅になった。

 早くから小売業の中心地であったことで、規模の小さな店舗や会社が集まっていたため高層建築が発達していない。結果、限られた区域で密集することになり、そこに不良住宅や不法占拠物件も加わって、大規模な道路整備がすすまなかった。

 これだけで終わらない。

 ミナミ名物の屋台が、ナチュラルに歩行者天国をつくりだし、商用車が配達で走り回り、観光客めあてのタクシーも集まってくる。

 自動車と人間がひしめく道路事情の街で、リウはピックアップトラックを使っていた。

 南区を走るには不向きな車種だが、知人から譲り受けたものだし、運転席が広くて楽だ。ミナミ分署配属になってからは、クドーの自転車を積むのにも都合がいい。そうして買い替えないまま今にいたっていた。

 面倒なのは小径と、駐車場を探すとき。

 限られた土地で、法と物理の限界に挑むような建物を造っているミナミでは、大型車両を駐められない駐車場もあった。

 地図を眺め、寄り道先の駐車事情もあわせて確かめておく。



 急かしたお小言と引きかえに、クドーは管理部から返還品を受けとった。

 引き取りの書類もそろえてロッカールームに急ぐ。途中、日付が変わる前の分署にはいるはずのない人物とすれ違った。

「夜の食事休憩に行ってはったんですか?」

 ソフトなサンドベージュのスーツをまとった女性が、やんわりと応える。

「ええ、このまえクドー巡査におしえてもろたとこに。ここはカイシャのすぐ近くに安うて美味しいとこがいっぱいあるよって、便利どすなあ」

 リリエンタール分署長が、いつものまったり口調で笑んだ。

「ジョークやないとこがコワイですよ」

「机の上を整理したら、もう帰りますよって。クドー巡査も早よ休みなはれや」

「……ちょっと署長に、突っ込んだこと訊いてみたいんですけど」

「答えられることやったら何でも」

「ここまで長い時間働かはるんは、リリエンタール署長なりのお考えがあるんですか?」

 通りがかる署員はいない。それでもリリエンタールは声を落とした。

「要領が悪うて……いう建前は、クドー巡査やからおいときましょ。これぐらいやらんと認められへんいうとこ、ありますな」

「ああ……」

 クドーにはそれで充分だった。

 警官になる女性は増えた。犯罪被害者に女性が少なくないことからも当然のことだ。

 けれど全体から見ると、さらに管理職までいくと、まだまだ少なかった。

 職場の平等をうたっていても、運営の中枢にいる人間が馬耳東風、あるいは馬の耳に念仏の人間であれば、誰にも等しい待遇とはならない。

 仕事を認めさせるのにも、倍の成果をだして、やっと評価されるのが常だった。

「あと、わたしの性格いうのもありますな。気になったら、とまらへんのですよ」

 リリエンタールがほがらかに言う。

「や、けどまあ、ほどほどしてほしいです。下のもんからの要望として」

 クドーが南方面分署にきてから、分署長はリリエンタールで四人目になる。

 入れ替わりが早いのは、ミナミ分署特有の幹部事情があると聞いていて、そこは勝手にやってろな気分で突き放して見ていた。現場業務を管理する能力がないなら、いっそ分署帳室でゴルフクラブでも磨いてくれていたほうが、まだ助かる。

 その点、リリエンタールは、おおむねやりやすかった。

 エグゼクティブチェアに座ったままの視点で命令したりしないし、見せかけの実績づくりのために、逮捕件数を稼ぐ強要もない。

 だからこそ働き方は自重してほしかった。倒れたりして、出世ゲームな夢中な幹部がやってきたら最悪だ。

「部下に気ぃ遣うてもろたと思ときまひょ」

 クドーはごまかし笑いで返した。下心など見透かされている。

「あら、<トラスコ珈琲店>でなんかあったんですか?」

 リリエンタールが盗難品の受け取り書類に目をとめた。

「気になることでも?」

「この頃また、ちょお気になる動きがあって。報告書はもうあげてはりますな?」

 リリィの住所はミナミ分署になっているんじゃなかろうか。自宅ではなく、署長室へと帰るリリエンタールを気にしながら、クドーも先を急いだ。

 厚意で車を出してくれるリウをあまり待たせるわけにはいかない。


     *


 エリサ宅に返還品を届けにいったクドーを見送り、ひとりピックアップで待っていたリウは、きっちり三〇分後、自然に目を覚ました。

 クドーが戻ってきた様子はない。<トラスコ珈琲店>に立ち寄るうち、エリサと話がはずむようになっていた。親しくなってきた相手に引き止められたら話も長くなるだろう。

 しかし、送らせている相手を放ったらかす不作法をするクドーではない。長引けば、呼びにくるなりメモを挟んでいくなりしているはずだった。

 リウは、イグニッションキーを回した。エリサの自宅へとハンドルを切る。

 幹線道路から中にはいるほど、道幅がタイトになっていく。狭い道路を徐行で進んだ。

 時折、曲がり角にある建物や塀に、擦り傷や欠けた跡を見つけることがある。道路事情を知らずに入り込んできた車が、強引に曲がろうとした痕跡だった。

 記録されていた会社名義の建物までくると明かりがついていた。人の気配もある。

 降りて訪ねるにしても、ピックアップをどうするか迷った。深夜のいっとき、路上駐車でいいかと思う反面、路肩に寄せても道をふさいでしまう。

 隣の立体駐車場の車両のサイズ制限を確かめ、ピックアップの鼻先を自走式の駐車場にいれた。

 入ってから後悔した。空きが見つからない。

 階ごとに一周して、やっと見つけたものの、今度は切り返しスペースの狭さに手間をとられた。

 もたもたしていたら、クドーと入れ違いになってしまうかもしれない。時計を気にしながら、ピックアップの図体を慎重に動かす。

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