3話 その頃の頼みの綱
ネヴァにとって気になるのは、首に感じる銃口ではない。
血の気をなくして立ちすくんでいるエリサだった。
銃がふれているのは、奪える位置にあることでもある。いつもなら選択肢に入ることも、いまは賭けに出る気になれなかった。
賭けに負ければエリサに危険がおよぶ。エリサの安全が確証できないのなら、試す価値はない。
味方になりそうな人間が、不安を感じるほど小柄な巡査ひとりで心もとなくても。
やっと来たか。式見は、玄関ドアの鍵を落とした丸刈りに命じた。
「尾形、そのチビのリュックをあらためろ。すませたら三階につれてこい」
最後に入ってきた尾形が、来客の腕をつかんだままうなずいた。
ネヴァへの銃口はそのままにして、ワークウェアのふたりと広田に、二階の作業続行を指示する。
「回収車の到着に遅れるな」
冷静であろうとした。作業にとりかかってから、規定外ばかりおこっている。
運搬に使うはずだったワンボックスカーにエンジントラブルがおき、とりあえず積載量が多いSUVに変えた。しかし、横道に入ったときに運転を誤り、物損事故をおこした。警官の目を引く車で仕事はできない。運搬車の手配をやり直し、遅れての到着になった。
そこに加えて、同業者の可能性が高いネヴァという女。
平均よりは、いくぶん高い身長と、目元に陰気さを感じる以外は、とりたてて特徴がない地味な女だ。そんなやつに引っかき回されていた。
回収のついでに、コーヒー屋の店員ひとり始末するだけなら、さして手間もかからないはずだった。それが突然の客まで加わって、いまや三人に増えている。
トラブル続きで作業がはかどらない。この作業中に確かめたい案件が、他にもあるというのに。
クドーは、デイバックをおとなしく渡した。拒否しても事態はかわらない。
尾形がデイバッグを逆さまにして、床に中身をぶちまける。すぐにひとつのものに視線をとめ、眉をわずかにしかめた。
そうして、クドーの容姿を探るように見てきた。
気づかれた?
一般人なら、まず持っていないものだった。尾形がしめすだろう反応をいくつか思い浮かべ、対応をシミレーションしておく。
式見と宇土が、ネヴァとエリサを三階につれていき、ワークウェアコンビと広田は二階で作業。対面しているクドー以外は誰もいないフロアで、尾形が背後の気配を探る。
無人を確かめると、声をひそめた。
「おとなしくしてろ。余計なことはするな」
それだけだった。
脅すというより忠告。ボディチェックもしないのは……
「上にいく。先に階段をあがれ」
思い当たることがあったが、クドーは何も訊かずにデイパックの荷物をまとめなおした。尾形を背中につけて階段をのぼる。
途中から、甘いような煙くさいような臭いが、かすかに漂ってきた。
二階を通り過ぎながら、足を止めずにフロアを盗み見る。内装の合板が外され、大量の包みが取り出されている最中だった。連中の目当てはこれか。
出入りしやすい一階に隠さなかったのは、壁がむき出しのコンクリートだったせいだ。
この家には電話がまだないとエリサから聞いていた。外に出ないと分署への連絡はつかないが、望みがないわけではない。
遠くはない寄り道だったが、ひとりで来なかったことが幸いした。
ただ、日頃の行いを思い返すと、少しばかり不安がある。
リウ・フェンリィェンは、電車やバスでの移動がきらいだ。
乗りあわせた客の中には、この国の平均を大きく上回るリウの身長を
アルコールが入っていることが多い夜での乗車となると、鬱陶しい視線だけでなく、ぶしつけな声すら聞こえてくることもあった。
「でけぇな」
「女……男だよな?」
「顔に傷痕だなんて、ケンカに弱い証拠だよ」エトセトラ、エトセトラ。
視線や気配に敏感なことで役に立つこともあるが、一般的な場では疲れるばかりになる。だから分署への通勤には車を使った。
クドーの私用運転手にされる時もあるが、面倒とは感じなかった。たいした距離ではないし、こちらの気が乗らないときに頼ってくることもない。そこをどうやって押し量っているのかは謎だが。
リウの容姿に関しては、クドーも言ってくることがある。けれど、彼女の言葉で不快な思いをすることはなかった。
それはコンプレックスからの素朴な憧れだったり、警官としての必要性から出た声だからだ。言い過ぎたと感じたときは、すぐに謝ってくる。
この細やかさは、警ら中での声かけに活かされていて、頻繁なやりとりを情報源にしていた。
ただ、話好きが多い地元民や商売人が相手となると、雑談・放談・無駄話が発展し続け、緊急無線で中断されるまで止まらないことがある。
盗難品のネックレスを渡しにいっただけのクドーがなかなか戻ってこなくても、リウにとってはいつものことだった。
リウが通勤に使っているピックアップトラックは、ミナミの枝道を走るのには向いていない。分署からエリサの自宅近くまでくると、リウはいったん路肩に停めた。
「五分で戻ってくるよって」
車を降りたクドーが、ネックレスを入れたデイパックを肩に走っていく。
一日中、徒歩警らで歩き回ったあとなのに元気なものだ。小さな背中が街灯のむこうに消えるまで見送ると、とりあえずピックアップを路肩の縦列駐車の列にもぐりこませた。
エンジンを切り、そのまま車内で待つ。エリサの自宅横に駐車場があったが、短時間ならこのままでいい。
そうして二〇分が経過した。
思っていたより遅くなっているが、相手が一人暮らしなら、夜中でも長居はありえる。そのうち戻ってくるだろう。
聞こえてくるのは、通りを流れる車の音だけ。ミナミの真ん中と違い、雄叫びを上げる酔っ払いもいなければ、知らない土地にきてハイテンションになっている観光客グループもいない。無線指示に急き立てられることもない。
ピックアップのシートに身をゆだねて目を閉じた。
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