2話 デッドエンド・シチュエーション

 個人宅を訪問するにはマナー違反というより非常識な時間になる。

 クドーは、承知のうえでインターホンを押した。

 モラーノ・イム・エリサの帰宅は、いつもより遅くなったはずだから、許してもらえる範囲だろうと期待した。

 一度だけインターホンを鳴らしてみる。出なかったら、あきらめるつもりだった。

 インターホンの返事を待つには長い時間がすぎる。

 出直そうかと背を向けたところで、スピーカーからエリサの声が聞こえた。慌てて戻った。

「南方面分署警ら課のクドー・マリア巡査です。遅い時間にすいません。お渡ししたいもんがあるんで、五分だけ時間もろてええですか?」

『すぐ行く……あ、ごめん。やっぱり、ちょっと待って』

 誰かいるのか? 何やら訊いている様子がスピーカーのむこうから伝わってきた。

『いま、いくから』

 クドーは汚れてもいないTシャツを叩き、裾をととのえた。例年なら薄手のジャケットを着ている季節だが、このところ気温が高いままだ。軽装の見目をととのえた。

 玄関ドアが開いた。

「おまたせ……って、えっと、クドーさんだよね?」

「敬称なしでかまへんで? マリアでも」

 クドーはIDケースをひろげて証拠写真、もとい証明写真を見せた。

「マリアってギャップがすごいね」

 私服はもとより、強引にひとつにまとめていたクセ毛を解放すると、ますます警官のイメージから遠ざかった。

 IDの制服姿と、目の前の本人を一致させてもらう。

「待たせてごめんなさい。その……立て込んでたものだから……」

「や、こっちこそ。電話ないて聞いてたから、いきなり来てしもた。盗難届けに出されてたネックレスが見つかったんで、よ手元に戻したいかと」

「見つかった⁉︎」

 クドーは肩にかけていたデイパックからエビデンス袋を出し、玄関のあかりで見えるようにした。ポリエチレン越しに、濃緑色のネフライトに光があたる。

「ペンダントトップの裏に[ to E ]の刻印、ある?」

 クドーは裏返してみせた。

「うん、これ! 戻ってこないかもって思ってた」

「受け取りにサインしてくれたら、このまま返せるよ。あと、ちょっと確かめてほしいんやけど……」

「なんでも訊いて」

「この男、知ってる?」

 エビデンス袋と一緒に出していたファイルケースから、写真を見せた。

「こいつ! ひよこのトサカみたいな頭した若い男から、この坊主頭が受け取って……」

 興奮が冷めたように、エリサの声が小さくなっていく。うかがうようにクドーに目をやり、すぐに視線を外した。

「どないかした?」

 犯人を指摘するにしては様子がおかしい。

「いま、電気工事のひとが来てて……」

「工事? 急なトラブル……⁉︎」

 言葉の途中でクドーの耳が、天井越しの低い物音を拾った。同時にエリサが身を固くして、見えるはずのない階上を見上げた。

 職業病、オフになっても周囲を観察するくせがついている。クドーが来る途中、工事業者の車などなかった……

「あ……」

 エリサの心残りな声に謝りながら、クドーはエビデンス袋とファイルケースをデイパックに戻した。素早く両肩にかけた。

 何かが起きている。

「いま上にいてるの、ほんまは誰なん?」

 言い終わる前から複数の乱れた足音が駆け下りてきた。

「エリサ、そのまま逃げろ!」

 階段から転がり落ちてきたスーツの男を飛び越して、北辻アンロソ・ネヴァが現れる。

 そのネヴァの背中をやたら背の高い男が押し倒した。

 さらに階段から出てきた固太りの男が、エリサにむけて突進してくる。

 クドーは、とっさにエリサの手をとった。

「逃げるで!」

 レバーハンドルに手をのばしたところで、ドアが開いた。

 スキンヘッドよりは長い三分刈り、剣のある細い目の男が出口をふさいでいる。思わず立ち止まってしまい、タックルで強引に逃げ道をつくるタイミングを逃した。

 クドーは、家屋の中へと押し戻される。



 着衣のネヴァから強健さはうかがえない。それでも玄関にいくエリサに式見がついていくと、二階で作業していた広田が代わりに上がってきた。ずいぶん警戒されている。

 いまのところの式見たちはおとなしい。

 すぐに始末されなかったのは、殺人事件を起こして周辺を荒立てないためだとネヴァは考えた。

 ただ、ワークウェアの二人以外にも、宇土と広田を連れてきている。人数で威圧して大人しくさせるためなのか、始末作業のための要員なのか、まだ判断はつかなかった。

 宇土がナイフを掲げて、加わった仲間にうながした。

「広田も用意しとけ」

 腹回りが4Lサイズはありそうな広田だが、ぶ厚い筋肉が肩や腕まわりのVネックシャツを押し上げている。ネヴァを見据えながらナックルダスターを握った。じっとしておけの威嚇。

 やたらリーチが長い宇土と、牛並みのパワーがありそうな広田と。

 面倒そうな見張りがついてしまった。ふたりに視線をむけないまま、ネヴァは隙をうかがう。 

 いまごろクドーが来た理由はわからないが、エリサを安全圏に逃す好機だった。作業中の人間も含めて相手は五人。一対五で勝てるとは思っていないが、勝つ必要はなかった。

 負けを引き伸ばせばいいのだ。その時間を使って、エリサを危険から遠ざける。死んだエメリナに、まだ娘と再会させるわけにはいかない。

 エリサを救うためだけではなかった。

 成長するほどエリサはエメリナの容姿そっくりになった。ここでまたエリサを失えば、エメリナを死なせた体験を繰り返すことになる。

 エメリナが死んだ場面を二度と見たくない、自分本位なだけだ。



 反撃にそなえ、武器の代わりにないそうなものがないか、ネヴァは目で探した。どんなものでも素手でやり合うよりはマシだ。

 エリサが使っている寝袋のそばにあるのはカセットテープや、落としただけで壊れそうなブリキとプラスチックの小型懐中電灯。カセットデッキは大型で取り回しが悪い……。素手でやるしかなさそうだった。

 二階の作業は中断していて静かだ。訪問者がきている玄関が気になるとみえ、宇土と広田の視線がネヴァから離れ、階段のほうへと向かいがちになっている。

 ネヴァはふたりの目を盗み、あぐらから片膝をたてた姿勢をとった。

 ソールが軟らかいアンクルブーツを愛用している。尻の下にある足の指を立て、スタンバイする。

 見張りの意識がそろって階下にむかったままのタイミング、一気にスタート切った。

 宇土と広田の間をすり抜けた。追ってくる足音を聞きながら、階段を駆け下りる。

 二階をすぎ、階段途中にいた式見を突き飛ばした。

 玄関にむかって叫ぶ。

「エリサ、そのまま逃げろ!」

 一階のフロアに足を踏み入れたところで、ネヴァは背中に衝撃をうけた。追いついた宇土が馬乗りになってくる。

 アイスピック・グリップで振り下ろそうとするナイフを阻み、目でエリサを追った。

 クドーに手を引かれて玄関を出ようとしている。

 目的をとげた安堵はすぐに歯噛みになった。三分に刈った丸刈り頭にかっちりした身体つき、太い眉の下、剣のある細い目の男がドアをふさいでいる。

 行き場をなくしたエリサとクドーが、後退りで屋内に戻ってきた。

「指示に従わないなら、やり方を変えるぞ?」

 階段落ちで髪を乱した式見が、スタームルガーの銃口をネヴァの首に押し当てた。

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