8話 クドー巡査の優先順位

 女同士のパトロールコンビだと、よく「危なくない?」と訊かれるそうだ。

 おかしな質問だなとクドーは思う。暴力事案に対処するときへの疑問だそうだが、アカデミーを出ていれば警官としての最低ラインはクリアしているし、もともと警ら業務自体が危険なのだ。

 だから警らはツーマンセルで動く。多少の不安があったとしても、バディとカバーしあえば事足りた。

 パートナーと呼べるほど相性のいいバディでなくとも、互いに職業人としての自覚があれば、ツーマンセルは機能する。暴力事案にだって対処できる。

「できるはずがない」の思い込みを、無遠慮に押し付けてくるなよと思う。



 開き直ったスリが、オートマチックナイフを薙いでくる。

 トンファーバトンのガードが間に合わない——

「クドー!」

 リウのその一声で、クドーは糸が切れたよう脱力した。

 一気に身を伏せる。いまの状況から、バディがとるだろう動きを予想しての動き。

 過たず、低くした頭上をリウのトンファーバトンが通過した。

 サイドハンドルを起点にして降り出されたバトンが、ナイフをのばしたスリの手首を内側から鋭く叩く。

 ナイフを弾き飛ばした。

 続けざまに右の蹴りが、スリから暴漢になった男の頭——を避けて肩に入った。スリの身体を路地の壁に叩きつける。

 そのタイミングで、クドーはリウと場所を入れ替わった。

 スリが振り向きざまの当てずっぽうで殴りかかってくる。

 その右手首をリウは内側から左手ではねあげる。

 同時に右肘を顔に入れる。不当な力はふるわない。かなり力を抜いての肘打ち。

 動きが鈍くなったスリを伏臥で押さえつける。腕を背中に回させた。

 クドーはハンドガンを抜いてバックアップする。

 被疑者を手錠で拘束するまでは、押さえているのがリウでもアフリカゾウでも油断しない。援護の姿勢をアピールすることで、抵抗する気をなくさせる効果もあった。

 リウが後ろ手に手錠をかけたとき、無線がはいった。

鰻谷うなぎたに中ノ町なかのちょう17<トラスコ珈琲店>、10ー19B(破壊行為)の疑いあり』

 これから回ろうとしていたエリアの店だ。

「6A17、10−4」

 クドーは司令室に了解をつたえる。無線を切ってから、はっとしてリウを見た。

「いまさらやけど、行ってもええかな?」

「ん」

 リウが拘束で使ったばかりの手錠の鍵を出した。

 その手をクドーは握ってとめた。

「あたしがやろうとしてること、ほんまに間違うてへん?」

 被疑者を押さえたままのリウが、声をおとして答えた。

「気になったんだろう?」

「や、そやねんけど、せっかくの……」

 歯切れの悪い言葉とともに、押さえているスリを差した。逮捕の成績を減らすことになる。

「承知している」

 成績のことだけではなかった。

 回収したナイフは、ボタンひとつでブレードが開く危険なものだ。こんなものを持ち歩いている暴力的なスリをこのまま自由にしたくはない。

 スリの留置と、ほかの誰かが行けるかもしれない珈琲店。

 やるべきことがわかっていても、<トラスコ珈琲店>の案件をクドーは自分で確かめたかった。警官になった目的は、昇進してステイタスをあげるためじゃない。 

<トラスコ珈琲店>に新しい女性スタッフが入っていた。夜シフトでも一人で回しているという。

 店員ひとりだと強盗のターゲットにされやすい。近くを回るたびに、クドーは店に顔を出すようになっていた。

 その矢先の通報。交わす言葉が増えてきていた店員のことが気になった。

「あと、あの店最近はクリーンになったって聞いたんやけど……」

 スリが聞き耳を立てているのでぼかす。麻薬係から聞いたと言わなくても伝わるはず。

「それは私も聞いた」

 リウはリウで情報源をもっている。クリーン前提で話をすすめた。

「クリーンになったんを知らん客が、コーヒー以外の商品買おうとして、トラブルになったんかもと思たり」

 自分が納得したい身勝手も入っているから、相方が承知しなくても当然だと思っていたが——

 リウがスリの手錠を外して拘束をといた。

 身体の自由を取り戻したスリが、押さえていた警官に振り返るなり固まった。酷薄な印象を与える切れ長の目で射すくめられ、壁にぬいつけられた。

「今度見つけたら——わかるな?」

 リウの目尻の傷痕を誤解したスリが、忙しなく顎を上下させる。



 小径から出た途端、クドーは人込みに埋もれた。

 移動の足を緩めないまま、スリを逃したリウが言った。

「優先順位を間違っていない自信はない。ただ、後悔の少ない選択だと思う」

「応援がすぐに来る人手があったら、悩まんですむんやけどなあ」

「逮捕の無線報告をまだ入れてなかったことが幸いだったし」

「ん?……あぁ!」

 クドーは通りの真ん中で頭を抱えそうになった。

 忘れてた……!

 報告を入れていたら、被疑者を逃した汚点がつくだけでない。そこからさらに原因を追及され、処罰対象になったかもしれない。

「ウソで通す自信はあるけど……」

 リウが口元をわずかにゆるませた。

「そのときは頼っても?」

「もちろんや。けど、ごめん。これからもっと気ぃつける」

 先に言わなかったのは、トラスコにいく口実を最初から認めてくれていたからだと思う。

 ここで借りがどうのと言い出さないのがリウだった。

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