6話 迷惑客への対処法
繁華街の周縁にあると、喫茶店にも酔っ払いが迷い込んでくることがある。
<トラスコ珈琲店>では、ほろ酔いの酔い醒ましならともかく、酔客はお断り。閉店後に入ってきた五人連れは、明らかに後者だ。足取りはしっかりしているものの、呼気だけで店の中が酒臭くなった。
エリサがこの店のアルバイトに入ってから、すでに何人か酔客の相手をしていた。
たいていは、なだめつつ、あるいは強めに、相手の様子に合わせて「閉店です」と言えば、文句を言いつつ出て行ってくれる。
しかし、今回は手こずりそうな予感がした。
たくさんの人間が集まれば、必然的に治安は低下する。特にミナミでは、暴力犯罪や窃盗に加えて、違法薬物の売買を行うような組織犯罪グループがあるとも聞いていた。そういった輩が店に入ってこないとも限らない。
はじめの段階で追い返さなかったのは、失敗だったかとエリサは後悔する。迷惑客の段階で電話していいものか、判断がつかなかった。
よく店に立ち寄ってくれる小柄な制服巡査は、雑談のなかで防犯やセルフディフェンスのコツといったことまで教えてくれる。
あんな警官なら気軽に聞いてくれそうだが、来てもらう人は選べない。来てくれたのはいいが、「こんなことぐらいで」と文句を言うような警官にあたりたくもなかった。
「しょぼいメニューだな。コーヒーしかないのかよ」
ならコーヒでも味噌スープでも飲める大衆食堂に行きなさい——とは言わない。
「すいません。小さい店なのでフードメニューまで揃える余裕がないんです」
気分よく飲んで早々に帰ってもらうためには我慢だ。エリサはカウンター内に戻りオーダーを受けた。
カウンターの真ん中に座った、細面なソフトモヒカンの若い男が、
「ブルマン」
その両隣にすわった、スキンヘッドと背の高い痩せぎすが、
「ハワイコナ」
「キリマン」
うしろのテーブル席に中年ふたりが陣取った。口幅で顎髭をのばしたエプロン髭にサングラスと、オールバックの男。それぞれが、
「グアテマラ」
「ベトナムコーヒー、練乳入りで」
いやがらせか。全員が違うオーダーを出してきた。
エリサは片付けていた器具を再び出して準備をはじめる。もっとも、本来の手順からは外した。
カウンターの三人は、身体をテーブル席にむけて仲間内の雑談で盛り上がっている。淹れる工程に関心がないのをいいことに、カップを温める手間を省き、豆の蒸らしも一〇秒ですませた。酔いがまわった舌で、コーヒーの味など、どうせわからない。
ふと、視線に気づき、エリサは顔をあげた。顔だけこちらに向けていたソフトモヒカンと目があった。
手抜きがバレた? 一瞬あせったが、ソフトモヒカンが注視していたのはコーヒーではなく、エリサだった。
淹れている手元を眺める客はいても、店員を見てくる客にロクなのはいない。
陳腐な誘い文句をまた聞かされるのかと思ったが、モヒカンはすぐに視線をはずした。
入ってきたときは、ずいぶん酔っているように見えた。実際、目元のあたりが赤みがあるのだが、演技だったのか?
瞬きもせず凝視していた目に、最近感じる視線の気配を思い出した。
こいつにストーキングされていた……とも考えにくかった。
接点となることが思いつかない。話した記憶はないし、とり立ててエリサの容姿が人目をひくわけでもなかった。ファッションにしたって、洗濯が簡単な安いカジュアルばかりだ。
目的がわからなくて気持ち悪い……。
ネヴァはといえば、カウンターの端っこ、フロアに出る位置で立っていた。
さっき拭いたばかりのグラスをまた拭いている。作業に集中しているふうで、油断なくフロアをうかがう様子に、危険をともなう海外出張もこなしてきた頼もしさを感じた。
エリサは、簡略仕様のコーヒーをカウンターのソフトモヒカンとふたりの前に出す。
テーブル席にはネヴァが運んでくれた。カウンターを守りの砦にして、エリサをフロアには出さないつもりらしい。
「クソ頼りない味のコーヒーだなよなぁ」
一口飲んだソフトモヒカンが、背後のテーブルに振り返り同意を求めた。
どれだけ良い豆でも、手抜きで淹れれば不味くなる。ソフトモヒカンがシラフなのか、ただ絡んでいるだけなのか、いよいよわからなくなってきた。
「おい、あれ出せ」
モヒカンに応えて、エプロン髭がジャケットの内側からスキットルを出した。
リーダーとその部下というより、わがままなボンボンと、そのお付きの連中という関係でしかエリサには見えてこない。
ソフトモヒカンが、コーヒーにスキットルの中身をそそぐ。カップからあふれても止めない。ソーサーからもあふれさせた。
「おっと、汚して悪いな。手元がくるった」
コーヒーとアルコールが混じり合った臭気がただよう。
挑発しているのはコーヒーを淹れたエリサにではなかった。カウンターの端で立っているネヴァにむけて、唇をめくり上げ、歯を見せて嗤った。
「なんだよ。客に文句あんのか?」
両脇の痩せぎすとスキンヘッドも、そろってネヴァにニヤついた。
ネヴァの表情は動かない。
ネヴァは、カウンターの小僧など気にしていなかった。
ボスを気取るソフトモヒカンは、酔っぱらってはいない。
傍若無人に振る舞っているようでも、常に周囲のようすをうかがっている。用心深いというより、自信がない方だ。
ときおりエリサを視線でなめることを除けば、テーブル席の中年コンビ、特にオールバックのほうが気に食わなかった。牽制するように、常にこちらを視線で刺してくる。
長居させたくない。
ネヴァはレジをあけ、中にあった紙幣を抜き取った。カウンター越しにソフトモヒカンの前においた。
「二杯目のコーヒーは、よそで飲め」
ソフトモヒカンが肩を怒らせて立ち上がった。ボスに言われるまでもなく、両サイドの手下もイスから尻を離した。
「これっぽっちで足りるわけねえだろ」
ネヴァの胸ぐらをつかみよせ、ペシペシと紙幣で頬をはたいた。
ネヴァはされるがまま、じっとしていた。B級映画のチンピラ役を見ている気分で、目の前のソフトモヒカンを眺めていた。
「もっと他にあるんだろ?」
真の目的はそっちか。しかし、あったのは過去の話だった。
いまの<トラスコ珈琲ミナミ店>は、正真正銘の珈琲店舗になっている。死んだ情報しか持っていない半人前など、取り合う必要のない相手だった。
「お子様は紙幣よりコインの方が嬉しいのかな?」
「へっ! そこまで言うんなら、根こそぎ持ってってやる!」
カウンターに上半身をのりあげ、エリサにむかって手をのばす。
ネヴァの目が、一瞬で凶猛なものに変わった。ソフトモヒカンを見たまま、スタンドのブレッドナイフを取ろうとした。
「おっと!」
察したソフトモヒカンが、すぐ身体をひいた。手の中のものをそばにいたスキンヘッドに投げる。
「コーヒー屋の店員にしては、いいもん持ってやがる。金に換えてこい」
エリサのネックレスが奪われていた。
我慢ならない。
ネックレスはくれてやってもいい。たとえ一瞬でも、エリサにふれたことが許せなかった。しかし、
「返せ!」
エリサがめずらしく声を荒げた。ネヴァより先に行動をおこす。
「ひとが大切にしてるものを——!」
まだ湯が残っているドリップポッドをカウンター越しにソフトモヒカンの足元に投げつけた。
「ぁ熱っ!」
ソフトモヒカンの悲鳴とともに、テーブル席の中年コンビが飼い主の前に出る。
ネヴァも同時に動く。
「エリサ、スタッフルームに入って鍵をかけて!」
エプロン髭のジャケットのシルエットに不自然なシワがあった。ハンドガンを持ち歩く馬鹿でなければ、大型ナイフあたりを忍ばせている。
ネヴァは手近な武器——ナイフは自重した——業務用カッティングボードを手に、カウンターを飛び越えた。
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