5話 走った、跳んだ、スベった

 クドー・マリアは背が低い。

 制服を着ていても警官を疑われ、コスプレと勘違いされたことがあるほど小柄だ。

 人混みにはいると埋没してしまうが、慣れてはいた。ミナミの雑踏をフットパトロールでまわっていても、クドーなりに優位なことを見つけ出していた。

 とはいえ、まわりから頭ひとつ出ているバディパートナーのリウが、たまに、時として、やっぱり羨ましくなる。一八四センチからの視界という未体験への興味もあった。

「?」

「あ、や、なんもない」

 無意識に見ていたらしい。視線に敏いリウが、すぐに振り向いてきた。

 相方の注意を戻してもらい、クドーも徒歩警らに集中した。

 午後九時をすぎると、飲食店や屋台の通りを歩く人々のアルコール濃度があがってくる。細かなことに神経が届かなくなり、気持ちは大きく、行動が大雑把になっていく。比例して、そこにつけこむスリや引ったくりが出没した。

 クドーは、リウとは違う目の高さで周囲を見る。視線が低いぶん、ひとの手元に目が近くなる。ここを見ていることで、リウより先に異状を見つけることもあった。

 店舗からの照明や屋台の裸電球が、雰囲気にも明るい空間をつくりだして気分を高揚させる。そのなかで充満する加熱された香辛料や肉の匂いが、通りをいく人を誘った。

 つられて、それぞれが求めるまま勝手に動いているようでも、人が歩けば手が動くパターンができる。それを乱すものに目がとまった。

 クドーはリウのシャツを引いた。

「一〇時の方向、青Tシャツ、一七五ぐらい、男、白ワイシャツの腰からスリ行為」

 言いながら歩みを速めた。リウが露払いをして人の波を割っていく。青シャツに気づかれないよう距離を縮めた。

 もっとも、限界があった。制服警官が周囲のペースより速く動いていると、目ざといミナミの地元民がすぐに注目してくる。ミナミで活動する常習犯になると、これを警報がわりにする。

 青シャツが気づいて走り出した。走りながらスった財布を路上に捨てた。

「クドー!」

「まかして!」

 リウがそのまま追う。

 クドーも追いながら、身をかがめた。スピードをほとんど落とさず財布を拾い上げた。

 そうして、大音声で警告する。

「警察や! そこの青シャツ止まれッ‼︎」

 やや高めの張りのある声が、青シャツのはるか向こう側にいる人間まで振り向かせた。

 肝心の青シャツは止まらない。カップルを突き飛ばし、屋台のイスを飛び越えて横道に折れた。

 離れずリウが追いかける。短距離走に強いクドーもすぐに追いついた。

 青シャツが、角に赤ポストがある酒屋で折れた。その小径の先は見ずとも知っている。

「リウ、サポートして!」

 その声を合図に、クドーはややスピードを落とす。

 青シャツの逃げ足が速い。抜け道を利用して挟む手では、すり抜けられるかもしれなかった。このまま二人で追いかけたほうが、まだ確実。

 しかし、クドーにはネックになる障害があった。そこをバディにカバーしてもらう。

 赤ポストで折れた先に、三メートルはあるネットフェンスがあった。所有者が通り抜けをきらって設置したものだ。

 青シャツがフェンスに飛びつき、重力を無視したサルのような速さでよじ登る。瞬きの間で越えた。

 そのすぐあとにリウが到着。フェンスに背を向けた。左足を前に出し、左膝に手のひらを上にむけた両手をのせて、中腰の姿勢をとる。

 クドーはリウに突進した。

 右足でリウの左手を踏切台にする。同時に、靴底を支えるリウの両手が跳ね上がる。体幹のバネと腕力をあわせ、クドーを宙へと飛ばす。

 クドーの身体がくうで踊った。

 両手がフェンスのトップをつかんで支点にする。足を振り上げる。フェンスを一息で越えると、膝のクッションをきかせて着地した。

 引き離せると踏んでスピードを緩めていた青シャツがギョッとなった。すぐに顔を前へと戻し、逃げるスピードを再び上げた。

 クドーは青シャツに迫る。

 この路地はレストランの裏手になる。ゴミ箱の上に放置されていた中から、取っ手がとれた鍋を走りながらつかんだ。

 オーバースローで投げつける。

 アルミのストレートが、青シャツの頭を直撃。カン高い金属音を響かせた。

 倒れるほどのダメージにはならない。が、青シャツの足元が乱れる。その拍子に凹んだアスファルトに足をとられた。

 バランスを崩したところにクドーはタックルする。地面に押し倒し、腕をとろうとする。

 その前に、青シャツの右手がポケットに潜り込んだ。

 クドーはすぐ後方に跳んで距離をとる。

 青シャツが跳ね起きざま右手をのばす。指がボタンを押すと同時にブレードが飛び出した。オートマチックナイフが、クドーの肩をかすめる。

 すぐ次がくる。

 体勢を崩しながらも、左腰のトンファーバトン(T字型警棒)をつかもうとして——

 滑った。

 焦る手がバトンを掴みそこねた。

 起死回生のチャンスを得た、青シャツの口角がつりあがった。

 やっぱり制服警官なんて取るに足らない。相手が警官でも、ナイフを振るう手に躊躇はない。

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