一章

1話 人は見た目にとらわれる

 市内最大の繁華街「ミナミ」には二面性がある。

 劇場や演芸場でのエンターテイメント産業、高級志向のレストランからストリートの屋台までそろった「食いだおれ」に、雑貨やアパレル系などの各種店舗が軒を連ね、通りから車を押し返すほどのにぎわいをつくりだす。

 ただ、集まる人間に対して、土地が圧倒的に狭かった。空間を余すところなく建てられたせいで、表通りから外れていくほど建物と動線は複雑になり、立体の迷路をつくりあげた。

 地上では、建物の隙間をぬう小路が、毛細血管のように這いまわる。この空間の奥が、ミナミの陰となった。

 明るさと混沌のグラデーション。表通りから深部に入り込んでいくほど、呑み屋や風俗店といった歓楽街の色が濃くなってくる。

 光と影を明確にわけるものはない。むしろ光とも影ともつかない曖昧なエリアが、もっともミナミらしい空間かもしれなかった。



 横道に入ると、表通りよりさらに雑多な飲食店舗ががひしめきあう。

 生まれた国から離れても、食文化からは離れ難い。出汁を効かせた、まったりとした味が特徴の郷土料理に、戦後の移民の数に比例した民族料理店が加わった。

 そして人種のミックスがすすむにつれ、国籍不明の料理もバリエーションに彩りを添えて食道楽たちを誘い込み、さらに飲食店舗が増える呼び水となった。

 店舗数が膨大になるのは、屋台とならんで、一坪店舗に利用できる物件が多いこともある。

 小規模店舗になると、客がすわるイスすらなく、立ち呑み、立ち食いとなる。所得の少ない層や、安さと旨さと刺激を求めてやってくる人間が、こういった店の存在をささえていた。

 クドー・マリア巡査が応援で呼ばれた店も、そんなひとつだった。

 良くいえば開放的。店にドアの類いはなく、狭い間口そのものが出入り口になっている。

 出入り口の上にある横長の看板に、「空芯菜牛肉」や「和風沙拉わふうサラダ」、「脆皮大腸ホルモン揚げ」といったフードメニューが大きく書かれ、飲みきりサイズの酒瓶をセルフサービスでとってくるタイプの大衆呑み屋。

 場所を確かめるまでもなく、問題の店であることは遠目からでもわかった。わかったのだが、クドーは騒ぎの中心にたどり着けないでいた。

「南方面分署です! 通してください!」

 店で繰り広げられているケンカ騒ぎに群がる野次馬たちが、小柄なクドーには文字どおり壁となり、背中で通せんぼをしてくる。

「警察や言うてるやろッ! さがって!」

 聞こえていないはずがない。クドーの制服が目に入っていないはずもない。

 これが他地区からきた人間や観光客が多いメインストリートなら、とりあえずでも協力してくれる。

 そうはいかないのがミナミの住民。

 小径に入っていくほど、地元民やミナミで働いている人間の割合が多くなり、警官への協力より、自分たちの好奇心が優先された。

 制服の色のミッドナイトブルーは威厳をあらわし、胸元のポリスバッチは法執行官である証明でもある。

 これらをもってしても、クドーの容姿がそれらの権威を打ち消した。

 この国の女性平均をはるかに下回る身長は、相手に優越感をもたせやすい。黒目がちな二重の童顔に、束ねてなお強いウェーブがでる髪は、ときに揶揄のまとにされた。

 暴言や暴力に正面から向かっていく、目力のある顔つきだけは警官らしくあったが、顔を見てくれないことには、その手は使えない。

 そこでクドーは臨機応変の手に出た。

「どないしたんや、それ⁉︎ あんた、えらいことになってるやん!」

 面白そうなことには敏感に反応する、地元民の特性を利用した。

 見物の後列にいた野次馬がいっせいに振り向き、その動きが前のほうにも伝わっていく。

 視線があつまった。クドーの後方に。

 あれだけ「警察」をアピールしても、どこうとしなかった見物人たちが、すいっと割れた。

 この国の男性平均より、さらに一〇センチ以上は高い長身痩躯、切れ長の双眸の同性バディがいつの間にかいた。

 クドーに追いついた途端、ダシに使われたリウフェンリィェン風蓮巡査が、問いたげな目でクドーを見た。

「もう終わったん? 早かったな」

 クドーは答えをはぐらかせて訊いた。二人連れvs三人連れの殴り合いの仲裁を相方にまかせてきていた。

「〝注意〟ですませてきたとか?」

「ん」

 暴力でもって抑えるようなことはしない。そんなクビが飛びかねないことをしなくても、リウなら腕力と同等に効果的な手段をもっていた。

 クドーを追い越して、リウが騒ぎの中心へとすすむ。

 黒と見紛う上下に、左の目尻にそわせた小さな傷痕。利き腕の左前腕上部にある、太いラインの原初的紋様のタトゥーが半袖からのぞき、野次馬たちに無言の威圧感を発揮する。

 凄んでいるわけでもないのに、見物人が距離をとり、あとずさった。

 同性である以外、見事なくらい対照的なリウがひらいた道を歩きながら、クドーはつい声に出した。

「あんたのルックス、便利でええなあ」

 口にしたあとで、しまったと後悔。無神経がすぎた。リウの視線が一瞬だけ振りむいたから、しっかり聞こえている。

 けれどまず先に、什器がぶつかる賑やかな音の元凶を片付ける方が先だった。



 騒ぎを見てすぐ、クドーは無線報告をいれた。

「6A17、10ー23、コード4(現場到着、さらなる応援の必要なし)」

 野次馬が熱心に見入るはずだ。

 無事なテーブルとイスはなく、床にはグラスと皿が散乱している。二〇人も客がはいれば満員になる店内で、微酔している五人の女たちに警官が翻弄されていた。

 正しくは、腕力を交えつつ口論する女たちを仲裁しようとする若い警官が、一方的にやりこめられていた。

 警ら中は官帽をかぶらないことが多い。さらさらのナチュラルヘアにボストン眼鏡のスガヌマ・ミズホは、外見でなめられていた。相棒の図体のでかい頬髭警官が、その周囲でわたわたしている。

 女たちが言い争っている内容といえば、容姿や化粧の中傷から、ナワバリに入った入らないまで。要は、急を要する深刻なものではなかった。

 応援の到着に気づいた頬髭警官が、もみくちゃにされていた中から抜け出てきた。

「おれたちだけじゃ手に負えない。たすけてくれ」

 クドーは、すぐに入っていこうとしたリウのシャツをつかんで止めた。

「スガヌマはともかく、柾木まさきがおってなんで応援がいるん?」

 一九〇をこえる長身に分厚い身体は、暴力事案担当といってもいいい。

「相手が悪い。力で抵抗してくれたら簡単なんだが」

 派手めの化粧に、露出が極端に多い衣装——彼女たちの服装をみれば、おのずとその仕事がわかった。

 大声で注意したぐらいでは聞いてくれないし、留置所だけではすまなくなる限度もわかっている。スガヌマに口撃はしても、手を出すことはなかった。

 警官とやりあうことに熟達している。強引に押さえようとすると、やりすぎた途端に訴えられかねない。弱気な大男にクドーは応えた。

「明日のランチ、おごってな」

 簡単なモノで返せる貸しにしておくと、頼む方も気が楽になる。

「おれの財布をカラにしない範囲で頼む」

「柾木さん! しゃべってないで——あっ、ちょっ、酒瓶で殴るのはなしですってば!」

 柾木はともかく、職務熱心な後輩は大切にしたい。クドーは仕事にかかった。

 言うことを聞いてくれないからといって、力でゴリ押しはしたくない。

 彼女たちが耳を傾けたくなる切り札をクドーは用意する。

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