中編2:箱を開ける

 外の世界が、次第にかき消えていく。

 機械自体の見かけがいかにも『飛びそう』『走りそう』なので誤解されがちなのだが、転移服にせよ航界機にせよ、『動力』によって異世界の存在する空間まで飛翔していくわけではない。高級な航界機には航空能力や走行能力を持つものもあるが、それはあくまで基軸世界内や転移後の世界における移動の便を図るための機能でしかない。そもそも俺たちの普段いる基軸世界、この四次元空間上には存在しないからこそ異世界なのだ。

 そうではなく、転移服や航界機の周囲に時空場を展開し、それを量子化することによって量子論的確率で『算出した、転移すべき先の異世界』と置換することによって次元を越える装置なのだ。

 外の世界が転移服の中から感知出来なくなった瞬間、俺は突然、目の前が真っ暗になって、転移服の中から投げ出されるような感触に襲われた。

「落ち着け――落ち着け、俺」

 感触だけだ。空間を転移したことによって転移服の外に投げ出されたような、五感すべてに及ぶ錯覚が起きているだけだ。『転移酔い』という言葉がある。『箱の中』への転移のときには、転移する人間にも心構えが出来ていないのでそういう錯覚がよく起きるのだ、そう先人たちのコラムにも書いてあった。そう、自分に、声に出して言い聞かせる。もっとも、そう口に出したはずの声すら聞こえないのだが。


 ※ ※ ※


 一瞬だったか、数分だったか、数時間だったのか。

 時間の感覚すらあやふやになる中で、突然、目の前が虹色に輝いた。虹色の視界の中に、何かが見える。何かが聞こえる。

『――大きくなったねえ。お前はもう何でも出来るねえ』死の床にある祖母が、俺に話しかける様子が見えた。

『時空場学? そんな絵空事みたいなこと大学でやって何になるんだ!』親父が、俺を怒鳴りつける声が聞こえた。

『自分な、親の旅行会社を「異世界旅行会社」に作り替えようと思ってんだ。そこまで数理得意じゃねえから院試は通らねえけど、異世界旅行なら大学でやってきたことにも使い前あるし、狭い地球よりそっちの方が夢あるしな――お前も来ねえか?』大学の同級生が笑うのが見えた。

『異世界冒険? 今から開業するにゃ楽なモンでもねえぞ。それでもいいのか?』師匠が呆れ顔をしているように感じた。

 過去の自分が見聞きしてきたモノが、溢れ出るように広がっていた。恐らく、幻覚の続きだ。

『異世界は実在するのです。帰還者のいうことが絵空事でない・作り話ではないことを、数理的に証明しました』時空場理論発表の記録映像だ。

『汝正義を行わんとするなら、剣を我に捧げよ!』昔見たファンタジー映画の一幕か。

『星の海はどこまでも続いている! お前はどこに向かう?』古典スペースオペラだったか。

『うほ! うほほほ! うほい!』猿? 猿ナンデ?

 見えるモノが現実だけでなく、見聞きしてきた映像や創作物まで広がって、見聞きすらしていないものに変わりながら、無辺に散乱していく。

 銃を持って戦場にいる俺がいた。鉈を振るって木の枝を打つ俺がいた。無為に小さな部屋に引きこもって一日を過ごす俺がいた。動物園で動物の世話をする俺がいた。星の果てを望遠鏡で見定めようとする俺がいた。大学院で数学研究を続ける俺がいた。生まれずに死ぬ俺がいた。水の中で魚とともに泳ぐ俺がいた。魔法に焼かれる俺がいた。魔王に使われる怪物となった俺がいた。

 ありとあらゆる世界に、ありとあらゆる俺がいる、ように思えた。

「――違う」

 そうじゃない。幻覚を見に来たんじゃない。俺は、俺の未来を選びに来たんじゃない。俺はただ。

「誰も知らない世界を――踏むんだ!」

 手を伸ばしたつもりだった。急にあらゆる幻覚は収束していき、手指の感触が戻り、目の前には転移服の壁と機器が現れた。

 計器は転移完了を示していた。『箱の中』に、新たな異世界に着いたのだ。

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