第3話 守秘義務

 刑事であれば、

「死臭だ」

 ということはすぐに分かったであろうが、さすがに大学関係者では、すぐにはピンとこないのだろうが、

「これは本当にひどいものだ」

 ということを刑事の口から聞いて、

「なるほど、やはり、これは死体だったんだ」

 と感じた。

 そして、刑事の鬼気迫る、表情になり、すでに、臨戦態勢に入った刑事を見て、

「ああ、これは殺人事件だ」

 と思うと、これから厄介なことになるということは、すでに想像がついていて、それは最初から覚悟していた、

「最悪のシナリオ」

 だったのだ。

 本当はすぐに大学に、

「殺人事件です」

 と連絡したかったが、さすがに、警察が許してくれるはずもない。

 ただ、大学関係者といえど、今日カギを持ってきた人は、今回の発掘調査に少し関わっている人間で、しかも、アルバイトの募集から面接なども行った人だったのだから、警察からいろいろ聞かれるというのも、当たり前のことのようだった、

 そんな状態になると、刑事の尋問も、

「自分が結構引き受けることになるのだろうな」

 と思っただけで、億劫になってきた。

 大学の細かい裏方のような仕事は、

「昔取った杵柄」

 ということで、結構、昔からやってきたことなので慣れているが、

「まさか、警察関係の人の尋問を受けることになろうとは」

 と、殺人事件が絡んでくるなと、思ってもみなかったのだ。

 それを考えると、

「しょうがないこと」

 ということで片付けられないと感じたのだった。

 その男は胸を抉られているようだった。見た目の年齢は30歳から40歳くらいではないかということであったが、後の詳しいことは、鑑識で調べてもらうしかなかった。

 実際の身元を隠そうという意思はないようで、その証拠に衣類の中から財布などが見つかり、死体の身元はすぐに割れた。

 名前は、谷口陽介、30歳、免許証から住所も分かり、実際の身元の確認が行われた。

 一人暮らしのようで、実際に住んでいるアパートに行ってみると、確かに本人はいなかった。

 近所の人に話を聴いたが、ほとんど近所づきあいなどなかったようだ。

 まぁ、もっとも昔から、マンションなどで、

「隣は誰が住んでいるかなど、知る由もない」

 などということが普通だったのだ。

 実際に聴いてみると、

「さあ、いつからいなかったのかって聞かれても、実際にどんな人がいたのかなんて気づくわけもないし、ただ、ほとんど見たことがなかったというのが、本当のところだといっていいんですね」

 といっていた。

「お仕事は何をしている人か分かりますか?」

 と聞かれ、

「さあね、本当に仕事してたのかどうかも怪しいものですよ」

 というではないか?

 なるほど、30歳の男性が、働いていたとして住むには、少しみすぼらしいような気がした。

 実際に貯金とかがあったようにも見えないし、貯金があるとすれば、結婚でも考えていたのかとも思えたので、そこから交友関係を当たることができるかと思ったが、それも難しかった。

 鑑識の話では、

「死後、3日くらい経っていると思います。ハッキリとした死亡推定時刻を検出することは無理で、大体3日前というくらいですか?」

 ということであった、

「ということは、死亡推定時刻から、犯人が分かったとして、アリバイを確認するというのは難しいということになるのだろうか?」

 と聞くと、

「そういうことになるでしょうね?」

 と言われた。

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

 と一人の若い刑事が言ったが、

「とりあえず、状況証拠を掴んで、容疑者の割り出しを図る。そんなのは、いつもやっていることだろう」

 と、若い刑事に、迫田刑事が言ったのだ。

「どうして、最近の若い連中は、目の前のことにだけしかこだわらないんだ」

 と迫田刑事は思ったが、

「逆に一つのことにこだわりを持つことで、我々のような、ある程度場数を踏んだ刑事には思いも及ばなかったことが出てくる」

 ということを考えると、そんな彼らを、

「単純にバカにすることもできない」

 と思うのだった。

 とりあえず、身元が分かっただけでも、大きなことだ。そして、もう一つ言えるのは、

「犯人にとって、身元が割れることは、どうでもいいことで、むしろ、バレることで、犯人にとって都合のいいことだったのかも知れない」

 と思うくらいだった。

 ただ、死体発見場所は、明らかに隠そうと下ふしが伺える。

「なぜ、そんな状況判断に困るようなことをしたのか?」

 犯人が、捜査を混乱させようとして、わざとしたのだとすると、その心はどこにあるというのか、迫田刑事は、今のところの状況だけでは、何とも言えなかった。

「とにかく、今は数多くの情報を仕入れることだ。現場の状況、被害者の身辺、目撃者の捜査。もろもろ頼む」

 と捜査本部から振り分けられた刑事が、それぞれに捜査を行うことにした。

 やはり身元が分かっているだけに、被害者の身辺に関しては、ある程度調べは早くいつぃていくようだった。

 そして、身元が分かったこともあって、住まいの近くで聞き込みをすると、これは今に始まったことではないが、やはり、一人暮らしの人間が注目されることはないようだ。どうしても、近所づきあいというと、

「子供の学校が同じ」

 であったり、

「例えば、旦那の会社の寮だ」

 などということでもなければ、なかなかないだろう。

 同年代の母親であっても、同年代の子供であっても、その実際は、どちらか片方では難しいくらいのものがあるかも知れない。

 なぜなら、いわゆる、

「ママ友」

 と言われるものは、ある程度、組織化されてしまっていて、その組織に入りきらなければ、話がうまくつながることはない。

 下手をすると、自分が、

「ハブられてしまう」

 ということを感じると、子供がいても、

「公園デビューに失敗した」

 ということになるだろう。

「相手が受け入れてくれるところでなければ馴染めない」

 という人であれば、正直難しいといえるだろう。

 そういうことで、

「谷口陽介という男は、近所づきあいから何かを得られるということはなさそうだ」

 ということで、捜査としては、

「会社関係」

 ということになったのだった。

 谷口という男は、以前は、スーパーに勤めていたということであったが、今は無職ということであった。

 もちろん、職探しをしているようだが、なかなかこのご時世ということもあるのか、なかなか職が決まらないようだった。

 年齢は三十歳ということで、地元では、まぁまぁ店舗を持っているスーパーに入社したのが、2年前、それまでの1年間は、アルバイトのようなことをしていたのだが、

「一年間、真面目に勤め上げたということで、社員転用ということになった」

 ということであった。

 最初の半年ほどは、店長候補、あるいはスタッフ候補ということで、研修を受けながらも、同時に、その道の専門分野のエキスパートを目指すという方針に舵を取るという会社体制だったのである。

 社会という中において、これらの社員教育をしっかりしているとことがどれだけあるか、刑事にはピンとこないところであったが、

「中は分からにあが、表から見ている限りでは、立派な考え」

 と言えるのではないだろうか?

 実際に、被害者の谷口は、そこから、

「店長候補」

 ということになり、配属が殺害現場から近い、大型商業施設近くになったのだった。

 これも刑事から見れば、欲わからないが、

「大型操業スーパーがあることで、売り上げをあちらに取られ、売り上げが、なかなか上がらない」

 と見るべきなのか、それとも、

「大型ショッピングデンターがあるおかげで、人通りが多いということで、こちらも、そのおこぼれがいただけると見るべきものなのか?」

 ということであった、

 ハッキリとは分からないということであったが、

「場所が数軒違っただけで、まったく想像もつかないくらいに、売り上げが上下する」

 ということが、可能性としては、十分のありえる。

 そんな話を聴いたことがあったのだが、

「どこまで信じていいものか?」

 ということになるであろう。

 それは、他の事件で、スーパー関係の事件を調べた人から、世間話として聞いた話だったのだ。

 Kが丘店というところの勤務だったのだが、その店に行くと、昼間の活気は、思ったよりもあった。

 店は広々としていて、それは、店の広さもさることながら、店長のセンスもうかがえるのではないかと思うのは、素人目に見ても、そう見えるのだから、お客が増えるというのも分からないでもないといえるだろう。

 店の店長は、今は羽黒店長という名前で、40歳だという、実際には他の店で店長をしていたが、こちらに回されたということで、

「きっと、この店長のおかげで、これだけの人気があるのだろうな」

 と、迫田刑事は直感であるが感じた。

「すみません、お忙しいところ。私は。K警察の、迫田というものです」

 というと、羽黒店長は名刺を出してくれて、

「私はこういうものです。何ですか、前にこちらにおられた谷口さんが、殺されたとかうかがいましたが」

 と、羽黒店長はそういうのだった。

「ええ、それで少しお話を伺いたいと思いましてね」

 と聞くと、店長は、

「ええ、いいですよ」

 というので、羽黒店長と遭って、すぐに疑問に思ったことをすぐに、聞いてみた。

「さっそくですが、羽黒店長は、殺された谷口さんとは、面識がないんですか?」

 と聞いてみたが、

「ええ、私は谷口さんの後がまということで、こちらの店舗に回されたんですが、谷口さんが辞めた理由はハッキリとしたことは知りません」

 と羽黒店長は言った。

「じゃあ、谷口さんは、店長をされていたということですか?」

 と聞くと、

「ええ、彼がいなくなったことで私がこちらに回されたわけですからね」

 と、また同じことを言った。

 それを聞いて、迫田刑事は、

「この店長は、よほどこちらに回されたことに不満を持っているのだろうか?」

 と思った。

 そこで、

「こちらの店舗はなかなか流行っているように思いましたけど、これも、羽黒店長の功績なんでしょうね?」

 と聞くと、羽黒店長は、ニッコリと笑って、

「いやあ、そうですね、谷口店長がいなくなって、私が売り場を大改造したんですよ、おかげで、それがやっとその成果が出てきたようで、売り上げも徐々に上がってきました」

 といって、明らかに自慢がしたかったということが丸わかりだった。

 もっとも、だからといって、その思いが今回の殺人に関係しているわけはないと本人が思っているのか、それとも、ずっと誰かに自慢がしたかったが、羽黒店長の口調はなめらかだった。

「じゃあ、谷口店長のことを、羽黒山に伺っても、期待できるお話は聴けませんかね?」

 と、会ってすぐに、いきなり核心を抉るような言い方をしたのは、この羽黒店長の、性格から、引き出すものがあると考えたからであろう。

「そうかも知れないですが、私が聞いた話の中で、少し気になることがあったんですよ」

 と羽黒店長は、扉が閉まった状態の応接室であるにも関わらず、さらに用心深くというか、ヒソヒソ声になって、顔を近づけての、あたかもの内緒話を始めようとしているのであった。

「実は、谷口店長には、少し気になるウワサがあったんですよ」

 と羽黒店長は言った。

「どういうことですか?」

 と、いかにも興味深げに、迫田刑事は聞き直した。

 いかにも、この部屋の雰囲気には、異様な様子が垣間見えてきて、二人だけの部屋がさらに、広い部屋になっていくのだった。

 ちょうどその頃、もう一人の刑事が、パートの人たちで、それほど忙しくしていないような人を呼び止めて、事情聴取を行っていた。

 本来であれば、

「迫田刑事にくっついていくのが普通なのだろうが、これは迫田刑事の独特の捜査方針で、普通は、やってはいけないことだと言われるのだが、迫田刑事だけは、本部長直々に許しているところがある」

 というのだ。

 もう一人の刑事は、

「田村刑事」

 という。

 田村刑事が、まず訊ねてみたのが、フロア主任のような人だった。ちょうど、発注の時間のようで、店内を、ハンディターミナルを持って中腰の状態で歩き回っていた。

「すみません」

 といって、田村刑事が呼び止めると、呼び止められた主婦のような主任さんは、一瞬ビックリして振り返ったが、振り返る瞬間、ニコッとした笑顔になる様子が見て取れたので、

「さすがだ」

 と感じた。

 これができるのは、

「刑事という職業による芸当」

 だと思っているので、

「きっと、他の一般客には、今の主任の一瞬の代わり身に気が付くはずもないだろう」

 と思ったのだった。

 田村刑事は、声を掛けながら警察手帳を見せると、今度は主任は安心したかの様子に、もう一度、ニッコリと笑うと、

「ああ、刑事さんでしたか」

 といって、二人は、主任さんの勧めで、表に出た。

 この時、田村刑事は、

「この人はいろいろ話してくれそうだな」

 と感じたのだった。

 というのも、そもそも、店内で話せないというのは、

「誰に聞かれるか分からない」

 ということで、表に出たのだ。

 もちろん、殺人事件の聞き込みなのであり、しかも、いくら前にいたといっても、すでに退職している元店長の話なのだから、別に今の店からは関係のないことである。

 それをわざわざ仕事をおいて、表まで出てくるというのだから、当然、彼女の方に何か言いたいことがあるに違いない。

 ということであった。

 表には、児童公園のようなものがあり、Kが丘というところが、

「なるほど、新興住宅街と呼ばれるようなところに店を構えるのか?」

 というのが分かった気がした。

「余裕が見られる優雅で閑静なところで、子供を育てるというのは、これ以上の環境はない」

 ということであろう。

 それを考えると、主任に導かれた田村刑事も、何か、落ち着いた気分になった。

 殺伐とした警察や、立った今起こった殺人事件の捜査をするという息苦しさから、少しでも解放されるという気持ちは、結構ありがたかったのだ。

 主婦の人たちも、真剣に買い物をしているのだが、どこか、気持ちに余裕があるそうだ。

 レジで並んでいる時というのも、イライラしている人は一人もいない。最近では、

「セルフレジ」

 というものが主流になってきて、慣れない買い物客が、トロトロしている状態であれば、後ろに並んでいる客も、イライラしてくるのも当然だが、客にやり方を指導する店員の教育が行き届いているのか、非常に手際よく買い物ができていた。

「ありがとう、よくわかりました。次からはてきぱきできます」

 ということで礼を言われているのを見ると、

「説明の内容というよりも、信頼関係のようなものが育まれているのかな?」

 と考えられるのであった。

 そんな状態を見ていると、田村刑事は、

「このお店は、主任さんか、店長がよほどしっかりしているか、店舗経営をしっかり見ているということになるんだろうな」

 と感じたのだ。

「このお店においての、谷口さんというのは、どうだったんですか?」

 と聞かれて、

「ああ、谷口店長ですね。あの人は、普通であれば、可もなく不可もなくというような無難な店長さんでしたね」

 というのを聞いて、田村刑事も初めて、

「谷口が店長だ」

 ということを初めて知ったのだった。

 主任さんは、名前を浅川主任というが、

「浅川さんは、普通であればということでしたが、普通じゃなかったということでしょうか?」

 と浅川主任に田村刑事が聴くと、

「そうですね。可もなく不可もなくと言いましたが、正直、本当はそこがまずおかしいんですよ。額面通りに受け取ると、無難に何でもこなす店長さんという風に聞こえるかも知れないが、店の店長というと、それじゃあ、済まされないところがある。可もなく不可もなくというのは、それを皮肉った言い方なんですよ」

 というのだった、

「なるほど」

「だから、谷口店長は、表から見れば、優柔不断で、何も決められないというところが前面に出ているんですが、一部の主婦から、なぜか人気があるんですよ。店内では、ちょくちょく客に店のスタッフや雰囲気のアンケートを行っているんですが、店長に対しては悪くいう人はいないですね。どちらかというと、本当に無難な意見が多かったんですが、たまに誹謗中傷をいう人がいるかと思えば、相当褒める客もいてですね。時々、どっちなのか皆分からなくなることが結構あったりします」

 と、主任はいうのだった。

「なるほど、ほどんどは無難な感じの人なんですね? じゃあ、おやめになったのは、何か理由があるんですか?」

 と聞くと。

「辞めた理由は、ハッキリとは公表されていません。だけど、これは私が仕入れた話なので、私としては自信のあるネタですが、刑事さんは刑事さんでちゃんと捜査をしてほしいんですが、どうやら、どこかの主婦と不倫をしているということでした」

 と主任がいうので。

「え? 不倫をしている?」

 といって田村刑事は少しビックリした。

 そのビックリというのは、

「店長が不倫をしている」

 ということではなく、

「不倫が事実でも、それと彼が店を辞めることと何か関係があるというのか?」

 ということであった。

「別に不倫が本当であっても、店に何か関係がなければ、辞める必要などないということのはずなんだけどな」

 と、普通なら思うだろう。

「何か、その不倫が、店にとって、何か問題でもあるんですか?」

 と田村刑事が聴くと、それまで口が滑らかだった浅川主任の声が急に止まって、明らかに、同様しているようだった。

「ここまで話をしておいて、いまさら何を気にしているというのか?」

 ということを田村刑事は考えたが、

「その相手というのがですね」

 と一言いうと、それだけで、その場の雰囲気が固まってしまった感覚があり、

「なるほど、これでは、室内で作業をしながら簡単に言えることではないだろう」

 と言える。

 確かに、今は店長を辞めていて、新しい店長がやってきていて、表から見る限りでは、それなりに流行っているようで、別に問題がないようだった。

「実は、その不倫相手というのが、実は、一度こちらで万引きを働いた人なんですよ」

 とひそひそ声をさらにか細くして、話してくれた。

 どうやら、この主任というのは、こういう話に慣れているのか、ヒソヒソ話は得意のようだった。

 それを考えると、

「このお店の店員も店長も、それぞれに、一癖も二癖もある人たちなのではないだろうか?」

 ということを感じた。

 ただ、この主任が何を恐れているというのか?

「定期的に万引きがある店だと思うのが怖い」

 というのか、それとも、

「万引きを捕まえる立場の店長が、万引きをネタに、脅迫して自分の女にでもするというようなことが、まかり通っている店だというのが、当たり前だというのが、怖いということであろうか?」

 ということが問題だったのだろうか?

 とにかく、事実として、

「万引きをした女が、元店長と不倫をしていた」

 ということが本当だとすれば、これは店にとっても由々しきことであろう。

「これが本当に事実だとすると、会社が店長を首にするのは当たり前のことであり、問題はその後ではなかったか」

 ということである。

 店長が首になっただけで済んだのかどうかである。

 ただ、本当に事実だったとしても、それは、今の段階でウワサでしかないのであれば、今のところ、

「事なきを得ている」

 ということになるだろう。

 これが、奥さんの旦那にでもバレたりすれば、会社が訴えられないとも限らないからだ。

「この話は、本当のことなんですか?」

 と、話してくれた奥さんに聴いた。

 人によっては、

「私のいうことが信用できないの?」

 ということで、逆上されて、さらに激情の状態になるかも知れない。

 特に、女によるこの手のウワサ話は、

「デリケートな部分が潜んでいる」

 といってもいいだろう。

 ただ、主任は、冷静に、

「本当のことのようですね。絶対に間違いないことかどうかということは私には分かりませんが、ウワサとしての信憑性はあると思っています。だから、刑事さんにお話ししたわけですが、信用されないのであれば、それは仕方がないことだと思います」

 というではないか。

 今までの刑事事件における捜査での聞き込みの経験からして、

「この人の話は、信用してもいいかも知れない」

 と思った。

 そのつもりで、他の人に話を聴いていくうちに、

「何となくではあるが、主任の話を裏付けるような話も聞かれることがあった」

 といってもよかった。

 話の中で、

「ああ、前の店長ね。あの人私好きじゃなかったわ。女性を見る目が、明らかに違ったんですよ。それが好みの女性なのかどうかは分かりませんでしたけどね」

 という人の話が聴けたり、

「前の店長って、どうも私たちの中で、贔屓できる人を探していたようなんです。何か、自分の味方になりそうな人を探していたのかも知れないわね」

 ということも話していた。

 どちらも、

「前の店長が、不倫をしていた」

 ということの裏付けになるような証言であり、最初に、不倫という証言を得た感覚で聞いているから、余計にその信憑性が高まっていった。

 しかし、だからといって、

「自分がそれを全面的には信じてはいけない」

 という思いもあった。

 自分が信じ切って、それをまるで事実だとでもいうように、捜査本部に進言すれば、きっと、捜査はまったく違った方向に流れてしまうかも知れない。

 だから、あくまでも、

「参考意見」

 ということで、具申しないと、誤った捜査方針に向かってしまうといいかねないであろう。

 それを考えると、田村刑事は、

「できるだけ、ここで話を聴いておこう」

 と考えたのだ。

 もちろん、現在の店長と話をしている迫田刑事が、同じ情報を得てくれていれば、この話の信憑性は、

「ウワサから、真実に変わるのではないか?」

 と思えるのだが、そこまでうまくいくこともないだろう。

 何と言っても、店長は、辞めた羽黒店の後がまとして、他からやってきた店長だからである。

 ただ、ここからが難しいもので、さすがに、今回のことが、

「殺人事件だ」

 ということになったとしても、

「その相手が誰なのか?」

 ということまで、調べるのは、なかなか難しいということである。

 確かに以前なら、

「これは殺人事件なんですよ」

 と言えば、すぐに分かったのだろうが、現代の場合は、

「プライバシーの保護」

 であったり、

「コンプライアンスの問題」

 であったりと、厳しいところがあるので、そのために、いくら殺人事件とはいえ、聞き込みを行っても、正直なところを、どこまで話してくれるかというのが難しい。

 だから、確かに、

「防犯カメラ」

 であったり、ドライブレコーダーのようなものが、

「動かぬ証拠」

 として、どこまで証明されるのかということと合せて、

「いかに、証言が得られるか?」

 ということも、大きな問題となるかということであった。

 実際にウワサとしての話は聴けても、その相手が誰なのかということまでは、聞かれはしなかった。

「本当に知らないのかも知れない」

 とも思ったが、さすがに、証言をするのは、皆恐ろしいと思っているのか。

 何しろ、殺人事件の犯人だとはいえ、死刑でもなければ、犯人は出所してくる。後でどんな仕返しを受けるか分かったものではない。

 特に、

「殺人犯人となって、人生が変わってしまった」

 という人間は、何をするか分からない。

 という恐ろしいことが考えられるからだ。

 殺人犯人として、起訴され、裁判となって有罪が確定する。懲役何年かを食らって、一応の改心をして、

「罪の償い」

 としての、刑期を終えて、いわゆる、

「シャバ」

 に戻ってくると、シャバの空気は、冷たいものである。

 就職もなかなかできない。これは、面接に行ったところが、中には、身元調査というのを行えば、前科者だということは分かるようになっているのかも知れない。

 ただ、個人情報保護ということもあるので、どこまで調べられるか分からないが、実際にそこまでするところもあるだろう。

 ただ、中には、どこから出てきたのか、従業員の中で、

「あいつは前科者だ」

 というウワサがどこから起きるのか分からないが、そんなウワサが広まると、完全に、浮いてしまうだろう。

 特に、

「殺人犯」

 ということになると、ウワサが気になる社長であれば、解雇ということもないとはいえない。

 解雇がないまでも、その会社にはいられなくなるというものである。

 確かに、人を殺してしまったことは、いけないことなのだろうが、その理由も分からずに、ただ、

「殺人犯だ」

 ということだけで、差別をしてはいけないだろう。

 だが、それはあくまでも、理屈がそうだというだけで、

「現実は、そんなに甘くない」

 ということであろう。

 となると、会社にもいられなくなる。

 また、別の会社を探すことになるが、なかなか見つからない。また見つかったとしても、どこで聞きつけるのか、悪いウワサが流れるようになる。

 そうなると、世の中に対して、何も信じられなくなり、

「せっかく改心して罪を償ってきたのに、これじゃあ、何にもならないじゃないか?」

 と、今度はさらに、世の中を恨むようになり、自暴自棄になったりすれば、

「再犯は時間の問題だ」

 ということになるだろう。

 再犯の多い犯罪というのは、結構決まっていて、凶悪犯や、薬物のようなものもそうであるが、

「依存症」

 などの一種の病気ともなると、

「元々の病気を治さないと、また、元の木阿弥」

 ということになって、何度も同じことを繰り返すことになる。

 せっかく、出所の際に、本当に言われるかどうかは分からないが、

「もうこんなところに来るんじゃないぞ」

 といって出てきた人が、監獄に戻るというのも、よくあることなのかも知れない。

 そうなると、

「一度、犯罪を犯してしまうと、抜けられなくなる」

 というのも、無理もないことなのかも知れない。

「元犯罪者」

 というレッテルを貼られると、どこまで付きまとうというのか?

 そもそも、

「どうしてウワサが流れるか?」

 ということであるが、

「犯罪者は、犯罪者の顔をしているのかも知れない」

 とも思える。

 いくら改心しようとも、見る人が見れば、

「こいつは犯罪を犯しかねない目をしている」

 ということを感じ、それぞれ、

「こいつは、ヤバいやつだ」

 ということを一人一人が思っていて、実際にそれが分かるようになってくると、

「なんだ、お前も感じていたのか、俺もなんだよ」

 ということでウワサがどんどん広がってくれば、その信憑性も次第に膨れ上がり、ウワサが、完全に本当のことになってしまったとしても、それは無理もないことなのかも知れない。

 そんなことを考えると、

「世の中は確かに、コンプライアンスの問題を重視して、社会全体が、悪から、個人を守ろう」

 という世の中になってきたのだが、

「では、悪というのは何なのだろう?」

 ということになる。

 基本的には、犯罪者や詐欺集団のような人たちであろう。

 そうなると、いくら過去のこととはいえ、かつての犯罪者であれば、

「それは過去のこと」

 といって、簡単に片づけられない。

 それが、

「再犯率」

 というものだろう。

 実際に、再犯率が高いというのもあるかも知れないが、その原因が、罪を償って出てきた人に対しての偏見が作り出したものだということを、考えようとはしないからだろう。

 確かに、

「偏見はいけない」

 といっても、実際に、

「元殺人者」

 という人間と、

「分かる前と同じように付き合えるか?」

 と聞かれて、

「ああ、付き合えるさ」

 と平気で言える人がどれだけいるだろう。

 しかも、

「元殺人者」

 というだけで、一括りにする人だっているだろう。

「殺人を犯すには、それだけの事情があるというもので、

「もし、自分がその人の立場だったら、どういう行動をしていただろう?」

 と、考えた時、例えばその動機が、

「復讐にある」

 とすれば、例えば最愛の妻を殺された人が、犯人を分かっていて、

「人殺しをしてはいけない」

 という理屈が分かっているからといって、

「果たして、恨みを抱いたまま、ずっとその男が野放しになっているのを、黙って見て居られるのか?」

 ということである。

 普通だったら、我慢などできるはずもない。

 恨みというのは、一度抱いてしまうと、爆発させるまで、なくなるのはおろか、小さくなるのも難しいだろう。

 そうなると、

「自分の精神がおかしくなるまで我慢をするか」

 あるいは、

「相手に対して復讐するか?」

 という二択になることだろう。

 我慢できるかどうか、自分でも分からない。それこそ、どうなるかということは、

「神のみぞ知る」

 ということになるのだろう。

 だが、そんな、

「負のスパイラル」

 ともいうべき、ループが繰り広げられると

「せっかく、まっとうになろうと、努力しているのに、世間が受け入れてくれないのであれば、また犯罪を犯せばいいだけだ」

 ということで、

「世間に対しての復讐」

 によって、自分の鬱積を晴らすことになるだろう。

 しかも、元々の犯罪が、

「復讐によるもの」

 であったとすれば、前の復讐の時の感情がよみがえってくるに違いない。

「一度は改心した」

 と言っても、すぐに、その思いを砕かれてしまった。

 しかも、それを砕いたのは、

「俺に犯罪を起こさせたくない」

 といって、自分を改心させようとしているはずの人たちではないか。

 自分はが、正しいと思い、近づこうとしている、

「まっとう」

 と言われる人たちが、一番偏見を持っていて、そのくせ、生きるということを中途半端にしか考えていない人たち、

「どうせ、地獄など見たことのない人達なんだろう」

 というような人たちを感じてしまうと、

「何で、この俺だけが?」

 と感じることだろう。

 そういえば、以前、犯罪に手を染める前に、同じようなことを考えたではないか。

 捕まってから、改心し、罪の償いとしての刑期を終えてきたことで、忘れてしまいかけた思いが、またよみがえってくるのだった。

「しょせん、自分は、この思いでしか生きられないんだ」

 と思い、

「警察も皆、そんな、ぬるま湯に浸かっている連中だけを救うという考え方で、俺たちのような、生きるということを真剣に考えている人間を悪と決めつけ、改心させようとしたって、結局、どこも受け入れてはくれない世の中を思い知らされるだけでしかないのではないか?」

 と感じさせられるしかないのだ。

 そうなると、

「世の中なんて、しょせんは、信じられない」

 と思いながら、またしても、再犯に走り、また、警察から逃げることになってしまうのだ。

 そんな、

「負のスパイラル」

 というものを、田村刑事も、迫田刑事も、感じている。

 それを感じないと、

「刑事は、事件に向き合えない」

 とも思っているが、実際に事件が起こってしまうと、犯人を突き止めて、真実を明らかにし、事件を解決しなければいけない。

 そんなことは分かっているのだが、ここからが、理不尽との闘いであった。

 警察には、

「守秘義務」

 というものがある。

 もちろん、警察だけにいえることではなく、他の職業にも大なり小なり守秘義務というものがあるだろう。

 特に警察は、

「事件の捜査において知りえた個人情報を、むやみに人に話してはならない」

 ということである。

 事件の捜査の真っただ中にいて、そのたびに、個人情報が漏洩してしまうと、それこそ事件の捜査ところではない。漏洩した個人情報で、容疑者が誹謗中傷を受けかねない。まだ、真犯人かどうか決まったわけでもないのにである。

 そんな状況において、事件解決どころか、一歩間違えれば、混乱の中で、一つの、

「冤罪事件」

 を引き起こしてしまいかねない。

 事件を解決したつもりで、解決もされていないうえに、さらに、

「二次災害」

 として、冤罪というものがもたげてくるのだとすれば、やはり、

「守秘義務」

 というものは、絶対に守られなければならないものだといえるのであないだろうか?

 そんなことを考えていると、捜査においても、一つ一つの情報を、大切にしなければいけない。

 真意を確かめることも大切だが、守秘義務というものをしっかりしておかなければならないということだ。

 だから、基本的に、それだけ厳しい警察が、罪を償って出てきた人の悪いウワサを、就職先で流すわけはない。

「そんな、毎日のように、刑期を終えて出所してくる人のことを、いちいち覚えてなどいるわけはない」

 というのも、事実であり、昔の刑事ドラマなどでは、

「自分が捕まえた犯人のことが気になっているからと、たまに刑務所に面会に行ったり、出所後、就職の世話をしてやる」

 などというのを、よく見るが、

「本当にそんなことができるというのか?」

 というのが、本音である。

 ドラマを見ている時は、どうしても、ストーリーに嵌ってしまうと、そういう美談は、

「なるべくあってほしい」

 という思いがあるからなのか、ストーリーに嵌って見てしまう。

 それが、脚本家であったり、プロデューサーの狙いなのかも知れないが、その感情がドラマの骨子にあるとすれば、ストーリー展開が変化しても、そのままの路線で行ったとしても、最初に感じた、

「なるべくあってほしい」

 という思いは最後まで付きまとい。

「後味のいい悪い」

 のどちらであっても、結果、

「作品を作る側の術中に嵌ってしまった」

 ということになるのが、オチではないだろうか?

 とにかく、この事件の基礎となる部分で、

「守秘義務」

 というのが、どこかに働いているのではないか?

 と、田村刑事は、漠然とであるが、考えるようになっていたのだった。


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