書き出しコロシアム

揺れる未来、運命を溶かす虚言

【あらすじ】

 日暮里にっぽりの駅ビルで売れない占い師をしている桜子の隣のブースに、ある日突然、芹沢真澄せりざわますみという男がやってきた。

 桜子と違い、すぐに売れっ子占い師となった芹沢は、なぜか桜子が本物の霊能力者であることを見抜き、霊感商法をしないかと声をかける。

 嘘をつくことになるのは嫌だ、といったん桜子は拒絶するも、あまりにも占い師として売れなさすぎて生活の苦しい彼女に、もはや選択肢はない。


 本物の霊能力者と本物の予知能力者。能力だけで繋がった二人は、ぶつかり合い、金を稼ぎ、そしてある事件に巻き込まれてゆく──。


【本文】

【第二話】芹沢真澄はきっと嘘つき



「『パパもママも泣かないで。アヤたちは犯人を許してるから、パパとママも犯人をもう恨まないで、笑顔でいてね』、これがお子様たちの言葉です」

 更地の前で拝む芹沢が立ち上がり、初老の夫婦に向き直って微笑んだ。瞬間、わっと妻の方が泣き出し、夫が肩を抱いて支える。


 十五年前の火事の匂いが、未だに残っていた。


 新築のマイホームだった。両親は逃げられたが幼い姉妹が取り残され、寝室で抱き合うように死んでいた。犯人は精神を病んだ放火犯で、逮捕後に留置場で自殺したという。


 十五年間嘆き悲しみ続けた夫婦と芹沢が出会ったのは運命だった。依頼を快く引き受けた彼は、両親しか知らないはずの姉妹の特徴や口調を見事に言い当て、姉妹のメッセージを親に伝える。


 芹沢の能力は本物だった。


「……救われました。ありがとうございました」

 両親は何度も頭を下げ、芹沢に札束の入った封筒を渡す。

「これからは泣かずに前を向きます。それが娘たちの言葉ですから」

「笑って生きてくださいね。未来は変えられます」

 童顔を好青年風に仕立てた彼は、人のいい笑顔でそう言った。


 *


「桜子さんと組んだのは正解でした。僕は予知はできても、霊が見えませんからねぇ」

 フェラーリのハンドルを握る芹沢が、静かな車内で呟いた。助手席の桜子は黙って封筒の金を数えている。

「これからも組みませんか? 稼がせますよ」

「結構です、こんな宗教みたいな金の稼ぎ方……」


 桜子は金を鞄にしまい、目を逸らすように窓の外を見た。いくら食うに困っていたにせよ、金に目を眩ませたのが間違いだった。後悔がずっと心に付き纏う。


「でも、貴女は嘘をついてないでしょう?」

「真実を黙っていたのが心苦しいんです」

 嘘を一切つかない、という条件で彼女は誘いに乗った。桜子の仕事は、芹沢に姉妹の霊の特徴を伝えること。きっと依頼者のためになると思って受けた話だった。


 しかし予想は外れた。真相は芹沢の語った内容とは全く違う。


 焼死した姉妹の霊は抱き合いながら泣いていた。父母を求めて十五年間、ずっと。そのような状態の幼い姉妹だ、涙のちょちょぎれる優しい言葉など両親に残せるわけがない。当然、犯人を許してもいない。現場に両親が来たことにも気付かず、半分黒焦げの痛ましい姿で、熱い熱いと二人は泣き叫んでいた。


 しかし桜子は霊の声を聴けても、干渉できるわけではない。桜子はただ、姉妹の姿に心を痛め、芹沢の嘘を黙って聞くことしかできなかった。


「……あまりにもひどい」

「放火犯が?」

「あなたですよ」

 指さすと、芹沢は不満げに首を捻った。


「でも真実を伝えたって仕方ないでしょう。あの姉妹の霊は、僕ら――いや世界中の誰にも救えません。祓うわけにもいきませんし」

「……あの子たち、どうなるのかな」

「貴女の方が詳しいのでは」


 その通り、桜子には大方予想がついていた。あの姉妹はこれからもずっと、あの地で泣き続けるだろう。

 マンションが建とうが公衆便所になろうが石碑が立とうが、両親が笑おうが嘆こうが生きようが死のうが、ずっと。


「嘘をついて、あの両親が可哀想だと思わないんですか?」

「全然。残念ながら、僕らは霊ではなく生者にしか介入できません。二人の生者が幸せになった、それでいいでしょう。そのためには多少の嘘が必要になることもあります」

「大金をむさぼってなければ、信憑性があるのに……」

 その言葉は、分け前を貰っている桜子自身にも刺さる。


「金じゃありません。僕の能力があれば、株やら競馬やらで金なんて稼ぎ放題ですし」

「自慢ですか?」

「まさか。未来が全部見えて、金が余る人生というのも考えものですよ。人生が暇潰しにしかなりません」

 胡散臭いことを胡散臭い口調で言うせいで、逆に真実味すら感じる。


「じゃあ私がいつ死ぬか、暇潰しに予知してくださいよ」

「僕は基本的に他人の予知はしません。利も興味もないので」

「けち! 依頼であんなに予知してるのに!」

「だから金取ってるんですよ」

「結局、金じゃないですか」

 指摘すると、芹沢は快活に笑った。つくづく行動原理の読めない男だ。


「予知は構いませんが、貴女が明日死ぬとしても、未来は変えられませんよ?」

「え? 未来は変わるんじゃ……」

「未来なんて、そうそう変わりません。まあ目先の未来が多少変わるのは確かですが、最後には辻褄が合うものなんですよ。いわゆる運命ですね」

 そうだ、彼は大嘘つきだった。桜子の舌打ちが車内に響く。


「それでも、救われる人がいますからね」

「嘘をついて人助け、ねぇ……」

「あの夫婦の心は軽くなったはずです。あの夫婦が一生嘆き続けるのは健全なことですか? 真実を伝えたら、死人が二人増えますよ」

 諭すような口調だった。桜子は溜め息で精一杯の抗議をする。


「……嘘は身を滅ぼしますよ」

「桜子さんって異様に嘘が嫌いですよね」

「そう育てられたんです」

 厳しい親だった。特に嘘を嫌う親で、桜子は殴る蹴るの暴行を受けて育った。その厳峻さを嫌って十八で家を出た桜子だが、二十五にして金が尽き、今はこうして霊感商法の片棒を担いでいる。


「稼げる仕事なのは分かるんですが、私には無理です」

「売れない占い師に戻るんですか?」

「……実家に戻ろうかと」

「親が嫌いって言ってませんでした?」

「跡継ぎの弟が、先日亡くなってしまって。私が継がなきゃいけないんです」

 両親を嫌う桜子が実家に戻るのは、仲の良かった愛しい弟のためだった。


「ほお、家業ですか? 貧乏脱却ですね」

「カルト宗教の教祖です。……宗教法人天授会、ご存じですか」

 芹沢が目を丸くしてこちらを見る。流石に予想外だったらしい。


「ははは、奇妙な偶然ですね。天授会は僕の次の依頼先です」

「え?」

「弟さん、みことさんですよね。跡継ぎが死んだから教団の行く末を予知してくれ、という依頼を受けています」

 奇跡のような話だが、桜子は驚かなかった。教祖である桜子の父親は、昔からオカルトが好きだった。それをただ、思い出すのみだった。


「ちょうどいい。僕の家で、天授会について教えてくれませんか? 報酬は今日の二倍。教団への送り迎えつき。うちの客間は、並のホテルのスイートくらいはありますよ?」

 迷った。しかし桜子は頷いた。それで食指が動く程度には、桜子はひもじい生活に慣れている。



 芹沢邸で夕食の出前を待ちながら、豪華なソファに桜子は埋もれるように座っていた。芹沢は向かいでジグソーパズルを組み立てている。彼はパズルが好きだった。しかも、複数のパズルのピースを混ぜるのが好みらしい。意味不明である。


「教祖の娘も大変ですねぇ」

 教団について一通り話すと、芹沢はパズルの片手間に嘘臭い同情を返した。

「嘘が禁止なんて、虚言癖の僕なら死んじゃいますね」

「別に教義でもなんでもないんですけどね」

 

「へぇ。なぜ嘘が禁止だったんですか?」

「純粋培養された娘でないと愛せないそうで」

「ああ、愛に条件が必要なタイプの親ですか。僕の一番嫌いなタイプだ」


 平坦な口調。ゆえに、いちいち嘘臭い。予知ばかりしていると、感情の起伏が消えるのだろうか。


「予知しても未来を変えられないって、残酷な能力ですね」

「全く変えられないわけでもないですよ」

 芹沢はピースをはめながら淡々と答える。


「僕には未来を組み替える能力もあります。むしろ予知はその副産物です」

「未来を組み替える……?」

 芹沢は既に完成していたジグソーパズルを四つか五つ、一気にひっくり返した。ザラザラとパズルのピースが散らばって交ざる。芹沢は慣れた手つきでピースを組み始めた。


「このパズル、元はミレーの名画シリーズなんですが、うまく組み替えると、全く別の絵になります」

 桜子が見たものは、種まく人でもオフィーリアでもなく、風景画の図案だった。思わず桜子は息を呑む。


「パズルってのは、違うピース同士でも意外とハマります。僕の能力も同じで、未来をうまく組み替えると、全く違う未来になる。これが唯一、運命を変える方法です」

「都合の良――便利な能力ですね」

「代償として、組み替えた期間の二倍の長さの記憶が消えますけどね」

 組み替えたパズルが、無惨に崩れ落ちる。


「未来を組み替えるというのは、簡単に言うと冷蔵庫の肉を夜ではなく昼に料理するというような感じです。結局食べるにしても、食中毒を避けられたりしますよね」

「なるほど……?」

 分かるような分からないような。


「厄介なのが、予知の記憶すら消えることでしてね。だから僕は、自分の予知が何だったのか、なぜ自分が未来を組み替えようと思ったのか、それを探りながら生きていくしかないんです」

「じゃあ運命を変えた結果が良かったかどうか、わからないのでは」

「少なくとも後悔はないですね。五体満足でフェラーリに乗れる人生を送ってるんですから」

「……でも記憶が消える、と」

 意外と嫌だな、というのが桜子の率直な感想である。


「先日、二年分の記憶が消えてしまって、大変なんですよ。二年の記憶を失ってでも変えたい未来も珍しい。僕はどんな運命を見たんでしょうね。死ぬか、死ぬより辛い目に遭うか――」

「愛する人を亡くすとか」

「ははは、僕に愛する人なんていません。自分が一番好きです」

 臆せずそんな言葉を吐ける自信が羨ましい。


「予知、メモしないんですか?」

「日記は毎日つけていますし、予知の内容も記録しています。ですが記憶を失ってから見返すと、せっかく変えた運命が戻ってしまうんですよ」

 芹沢は鞄から古い手帳を取り出してぱらぱらとやる。びっしり書き込まれている手帳だ。これが日記なのだろう、と桜子が察した時、呼び鈴が鳴った。


「夕食、届いたようですね」

 日記を閉じた芹沢は、机に置いて部屋を出た。日記と共に残された桜子は、面白半分で日記をめくる。読み進めるうち、思いがけず芹沢の情動を伺い知って、桜子のページをめくる手は止まらなくなった。



 芹沢には恋人がいた。意外にも芹沢は、女性には尽くすタイプらしい。

 そんな恋人が事故で死んだのが今から半年前。

 実験ノートのように感情の乏しい日記が突如、駆け引きに熱中して予知を怠ったことを激しく後悔する記述が続くようになった。



 桜子は気付いた。彼は運命を変えたかったのではない。愛する女性を失った悲しみを、そして自分の後悔を、彼女の存在ごと忘れるため、わざと未来を組み替えたのだ、と。


 ふと足音がして、部屋のドアが開く。桜子は慌てて日記を机上に戻し、ソファに姿勢正しく座った。


「見ました?」

 芹沢は日記を指さして尋ねた。

 他人の未来は見ない、という彼の言葉を桜子は思い出す。


「……いいえ」

 反射的に嘘が口から出てきた。何年ぶりかの嘘だった。心臓がばくばく鼓動する。あまりの動揺にバレるかと思いきや、芹沢は全く彼女を疑う素振りを見せず、笑顔で夕食を勧めてきた。


「外見に反してがっつり食べますねぇ」

 自分は小盛の芹沢が、桜子の食べっぷりを興味深そうに観察する。

「カツ丼くらい食べないと、教団には勝てません」

 軽口が全然軽くならない。久しぶりの嘘と、芹沢の感情を覗き見した罪悪感で、味が全く分からない。


「本当に貴女は教団が怖いんですね」

 桜子の緊張を、芹沢は教団への畏怖だと受け取ったらしい。

「……怖いですよ」

 桜子はカツを飲み込んで答える。嘘は、ついていない。


「父も怖いですが、もっと怖いのは信者です」

 父の代わりに桜子を殴って育てたのも、今回実家に呼び戻したのも信者だ。家族のように接し、他人のように突き放す。異様な距離感はいつまでも慣れない。


「変な教団です。何から、何まで」


 *


 なるほど、変な教団だ。自分を見つめる信者を見つめ返しながら、芹沢は思った。リビングに信者たちが所狭しと並び、教祖と桜子、そして芹沢を取り囲む。

 桜子の向かいに座る教祖は、彼女と目元の似た、物静かでオーラのある男だった。


「桜子が跡を継ぐと教団はどうなる?」

 教祖の声は低いがよく通る。

「教団の未来は明るいですよ」

 単純明快。教祖の求める予知そのものだった。


 ただ、彼の予知には続きがある。栄えた教団、祀り上げられた桜子、そして人々を騙す生活に耐えかねて首を吊る彼女。それが芹沢の見た未来だ。


「桜子。跡を継ぎなさい」

「はい、お父様」

 恭しく桜子は頭を下げる。自分への態度とは大違いだ。芹沢は意外そうに桜子を眺めた。これが親の支配の影響力か。


「桜子さんを跡継ぎにしない方法はありませんか?」

 脳裏に焼き付く、無惨な桜子の死体。芹沢は薄い唇をそっと舐めた。

「なぜそのようなことを?」

「……桜子さんは教祖に向いていないからです」

「教祖に適性は不要。教団の発展が全てだ」

 無表情に教祖は言う。勝手な親だ。嘘を絶対的に禁じて育てた我が子に、嘘をつく商売をさせようというのだから。


「命が死んだのが悪い。財産を移していたのに、死なれたら税金対策がご破算だ。愛してやったのが勿体ないな」

 愛する弟を悪しざまに罵られた桜子の表情がこわばった。流れた涙を手で無理に拭うが、全く隠せていない。

「お父様、そんな言い方……」

「迷惑なのは事実だろう」


 穏やかではあるが冷たい声。それでも弟を、そして自分を愛してくれと言外に求め、父親にすがろうとする桜子が、芹沢には不憫で仕方ない。


「桜子さん、父上の言葉を真に受けてはいけません。この人は貴女に甘え──いや、舐めてるんですよ」

 直球の嫌味にも教祖の顔色は変わらない。しかし父の怒りを敏感に察した桜子が反射的に頭を庇った。その頭を芹沢はそっと撫でる。静かだった信者たちが急にざわめき始めた。


「待て」

 教祖が鋭く信者たちを諫める。

「言葉を慎め、オカルト屋。知った口を利くのは、愛する息子に先立たれてからにすることだ」

「確かに、僕に死別の経験はありません」


 芹沢はゆっくり首を振る。ありますよ、と桜子は叫びたくて仕方なかった。


「でも僕は、死別に苦しむ人を山ほど見てきました。故人のことを忘れたくなるほどの辛い気持ちに報いたくて、僕は自分の能力を提供しているんです」

 淡々としているが、言葉は優しい。しかしすぐに、


「故人に囚われて生者を犠牲にする行為が、僕は嫌いでね。それが自分自身ならまだしも、娘を犠牲にするなんて愚の骨頂です」


 吐き捨てるような口調になった。彼の感情的な姿を、桜子は初めて見た。


「この教団が滅びるように、運命を変えます。彼女の人生を、こんな父親に潰させはしない」

「やめて、芹沢さん!」


 桜子は思わず叫んだ。


 一つ、父の怒りを買う発言のため、芹沢の身が危うくなるから。

 二つ、桜子のために芹沢が大きな代償を支払う必要はないから。

 三つ、今記憶を失ったら桜子のことを忘れてしまうだろうから。


 しかし止める間もなく、目の殺気立った芹沢が指をぱちんと鳴らす。未来が組み変わる音だ。芹沢の顔からすっと毒気が抜ける。

 ああ、と桜子はため息をついた。芹沢の記憶はたった今、消えた。




次回

【第十四話】死ぬよりもっと辛いこと

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