第19回/会場2位/総合4位

4-5 イリヤの遺言

【あらすじ】

 三十歳を迎えた私の結婚願望は、止まるところを知らなかった。変な男ばかりに引っ掛かっていた私だが、ついに免許センターでイリヤという素敵な男性を見つけ、付き合うことに成功する。


 私はどうしても結婚したかった。結婚して、子供が欲しかった。なぜなら私は結婚願望がもりもりで、たった一人の弟は結婚したがっていなくて、食道癌の父の余命は限られていて、両親は孫を見たがっていたから。


 イリヤは完全無欠の男だ。顔と性格が良く、収入と身長が高い。彼と結婚して子供が生まれれば、私は幸せになれるだろうし、両親もきっと喜ぶだろう。


 だが、可愛い可愛い私の弟は、私を半笑いでバカにしながら言う。

「そいつ、結婚詐欺師じゃね?」


【本文】

 私の両親は、トンビでもありカエルでもあった。つまり、私はカエルの子として産まれたカエルで、弟はトンビが産んだ鷹だったということだ。

 しがない公務員の家庭から医師になった弟のりょうと、単なる会社員の私は、姉弟とは思えないほどスペックが違う。だが仲は良い方だと思う。三十歳になっても、こうして互いのマンションを行き来しているのだから。


「で、姉ちゃんはそのイリヤって彼氏と結婚すんの?」

 倍速でドラマを見るという、人として最低の行為をしながら、諒はソファに寝転がった。私は諒がほったらかしている家事を代わりにやってあげていた。

「する。別に運命とは思わないけど、もう三十歳だし」


 私は恋人のことをイリヤと呼んでいる。苗字が入谷いりやという日本人なのだが、愛称に違わず日本人離れした顔で、実際に東欧のクォーターらしい。


 そんなイリヤと出会ったのは今年の五月、私が免許の更新に行った時だった。とにかく列が長くて辟易していたところ、前に並んでいたイリヤが声をかけてきた。互いに趣味が同じだったせいか、随分話が盛り上がって、連絡先を交換した。それからちょくちょく会うようになって、八月ごろに付き合いはじめ、今で半年になる。


 イリヤは誠実な人だった。飲食店の店員さんは勿論、街ですれ違う子供や老人にも丁寧な口調で話す。約束を必ず守り、謝るべき時にはすぐに謝る。これが誠実でなくて何だろう。何よりイリヤに惹かれたのは、食事の時に米粒を全く残さないところだ。

「大事でしょ?」

「大事だね」

 諒は深く頷いた。


 更に、イリヤは顔もかっこよかった。身長も高くて、仕事も大手企業で高収入、話も上手い。

「え、そいつ顔かっこいいの?」

 諒がイヤホンを耳から外して身を乗り出してきた。ここぞとばかりにイリヤの写真を見せて自慢すると、諒はふんふんと頷いた。イケメンであることを認めたらしい。


「断言する。これは結婚詐欺」

 諒は半笑いで言った。ひどすぎる。私はテーブルを拭いていた台拭きを寮の顔に投げつけた。諒は顔に当たって落ちた台拭きを拾って、それで自分の顔を拭いた。

「あるいは海外ロマンス詐欺」

「うるさい! 免許証の顔と名前を見たもん。日本人だもん。なーにが海外ロマンス詐欺よ!」

「それ本物? 偽造じゃない?」

 昔から諒は疑い深い。


「免許センターで出会ったんだよ。絶対本物だって。偽物だったら免許の更新できないじゃん」

「でもさ、姉ちゃんがイケメンにモテるわけなくね?」

 失礼極まりないが、それは事実だ。鷹とカエルの関係性は、頭だけではなく顔も同様である。


「ワンチャン、二股かも」

「そんな事ないって。サプライズでお誕生日を祝ったらすごく喜んでくれたし、先月はイブとクリスマスも一緒に過ごしたばっかりだよ。流石に本命でしょ」

「じゃあやっぱり詐欺師だな。姉ちゃんってさ、ほんと変な男ばっかり捕まえるよね。結婚諦めたら?」

「あんたいつも他人事よね。大変なんだよ、婚活って。あんたも婚活して、この大変さを知りなさいよ」

「やだ。俺は仕事で忙しいもん。来月も学会あるし」

 諒はまた両耳にイヤホンをして、独り占めしたソファで足を組み替える。私は座るところがないので、床の上のクッションに座っていた。


「あんたが呑気に多忙﹅﹅﹅﹅﹅できるのは、私が婚活頑張ってるからでしょ。パパとママ、孫ほしがってるじゃん。私か諒のどっちかが結婚しなきゃ、孫はできないよ」

「それはそう。でも俺は結婚なんてやだ」

「パパとママに学費払ってもらったくせに」

 ニヤニヤしていた諒の顔が一瞬で凍りついた。


「あんたが東大理Ⅲ受けたいとかわがまま言うから、結局私立の医学部に行く羽目になったんでしょうが! 学費が六年で二千万円! 自分の遺伝子考えなさいよ! いくら鷹でもね、親はトンビなんだからね!」

 カエルの子の私が言うんだから世話はない。


 優しい親だった。諒の学費の二千万円、そして下宿代など諸々一千万円は、父が貯めた老後資金と、母が貰った祖母の遺産で支払われた。しかし両親はそれに見返りを求めることはなく、一つだけささやかな願望を述べるのみだった。

「孫が見たい」

 なんと微笑ましい願望。世の親の七割が持つ願望(私調べ)だ。私も諒もそれを叶えない子でいられようか。

「ほらなんて言うの、ゲイとかアセクシャルとか。そういうのでも全然平気だから。無理しないで」

 両親が優しい言葉をかけてくれるのが辛い。私も諒も結婚に際して性的指向上の問題は全くない。結婚願望もりもりの私は単にモテないだけで、諒は単に多忙なだけだ。


 私の焦燥に拍車をかけたのが一年前、父にステージ三の食道癌が見つかったことだった。今の父は元気だが、五年生存率は三割を切っているという情報に、焦らないなんて到底無理な話だった。

「俺だって、パパとママを喜ばせたいよ。姉ちゃんが、パパが生きてるうちに孫を見せたいのもわかる。でも相手を選ばずに結婚して、離婚した瞬間にパパを見送ることになったらどうすんの? 最悪じゃん」

 そんなひどい仮定もできてしまうのが、ドライな諒の長所でもあり短所でもある。


「高望みはしてないと思うんだけどなぁ」

「むしろ低望みなんだよ。姉ちゃんを金づると思ってるヒモ志望、姉ちゃんの若さしか見てないおっさん、果ては詐欺師、そういうやべーのばっかり捕まえてきてさぁ。そんなんが俺の義兄になると思ったら、ぞっとするね」

 今までにも相手は何人かいたが、諒にめちゃくちゃ正論でもって反対されてやめた。親や諒の反対を押し切ってまで結婚したくはない。それは今回も同じなわけで。


「姉ちゃん。結婚てのはさ、戸籍に傷つけたら終わりじゃないのよ。幸せになるための結婚だろ。本質履き違えてない?」

「ダメかな。イリヤ」

「絶対そいつ詐欺師だから、そもそも結婚もしてもらえないよ」

「なんで断言できんのよッ! 医者のくせに証拠もなく絶対なんて言っていいんですかぁ?」

 私は尻の下にあったクッションを諒に投げつけた。尻がフローリングの固さに悲鳴をあげる。イリヤが完璧すぎて怪しいのは、私だって薄々分かっていた。でも、ここまでこてんぱんに言わなくたって。


「でも嘘つきなのは絶対だろ。証拠もある」

「言ってみなさいよ」

「姉ちゃんが免許センターでイリヤに出会ったのはいつ?」

「……今年の五月」

「八月に付き合って、半年なんだよね?」

「そうだけど」

 当たり前のことを確認してくるのが逆に怖い。


「姉ちゃんの誕生日は?」

「四月十五日。忘れたの?」

「毎年祝わせるんだから忘れるわけないだろ」

 その通り。私は毎年必ず、諒にプレゼントを要求している。


「免許の更新は、誕生日の前後一ヶ月間にしかできない。姉ちゃんは五月に免許の更新に行ったんだから、イリヤの誕生日って四月から六月の間じゃないとありえないんだよ。八月に付き合い始めて半年、その期間に誕生日なんて祝えるわけがない。じゃあ、姉ちゃんがイリヤの誕生日を祝えたのはなぜか。イリヤが姉ちゃんに、嘘の誕生日を教えていたからでーす。以上、イリヤは嘘つき」


 Q.E.D.証明終わり。諒はボクサーパンツ一枚という、終わっている格好で満足気に私を指差し、また倍速のドラマに戻った。

「イリヤが嘘の誕生日を教えた理由は分かんないけど。まあ詐欺師確定でしょ」

 むむ、と私は口を尖らせるしかなかった。


「……詐欺師だったら何が悪いのよ」

「は?」

 ぼそりと呟いただけなのに、諒には聞こえていたらしい。ドラマを止めて顔を上げた。

「いいよ、シングルマザーでも。私だってキャリアはあるし、育てられるし。孫も見せられるんだからいいじゃん」

「いやいやいや、まずいだろ。詐欺師だぞ」

「結婚詐欺師になれるくらい魅力的な男なのは確かじゃん。顔もいいし身長も高くて、たぶん頭も悪くない。いいのよイリヤで。孫第一主義でいく」

 凛と言ったつもりなのに、私の目からぽろりと涙が溢れた。


「イリヤは詐欺師だから、それなりにお金を絞られるのは分かってる。でもできるだけ上手く駆け引きして、なるべくお金かからないようにするから」

「正気かよ」

「じゃあ、あんたが結婚しなさいよ! あんた別に顔も悪くないし、医者だし、私と違って余裕で結婚できるじゃん。なのに独身の方が楽しいとかほざいて、キャリア優先してさ。頑張ってる私に文句言う資格ないでしょ!」


 結婚願望がない諒に結婚を要求すべきでないのは百も承知だが、言われっぱなしも腹が立つ。私の涙はなかなか止まらなかった。

「それはそう」

 諒はのそのそと起き上がって、なぜかシャツを着た。


「じゃ、逆にイリヤに結婚詐欺を仕掛けようよ」

「え?」

 諒が急に何を言い出したのか分からなくて、私の涙腺が急ブレーキをかけた。


「うちを大金持ちに見せかけて、イリヤを嵌めよう。それなりに頭のいい詐欺師なら、父親が死にかけの金持ちと知ったら、簡単に結婚するさ」

 服を着た諒の方が、よっぽど詐欺師のように見えた。

「目標は五年。五年も結婚生活を維持できたら、離婚したってパパもママも満足だろ。俺は結婚しなくてよくて、姉ちゃんは完璧な男と結婚できて、パパとママは孫が見られる。最高じゃん。ワンチャン、パパも長生きしてくれるかも」


「……でも詐欺なんでしょ。大丈夫なの?」

 諒は真剣な表情で頷いた。

「俺たちの目的は金じゃなくて婚姻届だ。詐欺としての被害を証明するのは不可能に近い。嵌められたことにイリヤが気づいても、俺たちはそう簡単には捕まらない。姉ちゃん、イリヤから絞るぞ、戸籍﹅﹅をな」

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