第18回/会場1位/総合優勝

4-25 夜の新宿、温めますか?

【あらすじ】

 ローソン新宿芸術センター前店は、治安が悪いだけの普通のコンビニである。

箱入り娘の入江詩織いりえしおりと、犯罪にまみれて生きてきた三田川樹紀也みたがわじゅきやがシフトの夜勤、平穏だった店にコンビニ強盗が入った。


しかし変わった育ちで普通を知らない二人は、マニュアルを逸脱し、強盗を恐喝して店から追い出してしまう。もちろん店には防犯カメラがついており、二人の行為は何もかも映像に収められていた。録画が上書きされるまで一週間、店さえ平穏に保てば映像は消え、全てがバレずに済む。だがここは新宿、平穏であれと願って叶う街ではない。


普通ではないけど、普通になりたい。そんな二人が新宿を湧かせる、怒涛の一週間。


【本文】

「詩織ちゃん、ガムテープ取って」

 深夜二時、事務室バックヤードから気怠げな声がした。半分開いたドアから詩織が中に入ると、そこでは黒髪マッシュにピアス、制服がなければローソンの店員には見えない三田川が、コンビニ強盗をガムテープでぐるぐる巻きにしているところだった。

「バカだねぇ。新宿が強盗に向いてるとでも思った?」


 貸していないトイレを勝手に使う客だと思っていた。よくいるからと放っていたら、包丁を突きつけてきた。詩織が恐怖に凍り付くのをよそに、三田川は普段の無気力さからは想像もできない速さで強盗の背後に回り、羽交い絞めにして事務室に連行してしまった。


「他に客もいないし、見逃してやるから財布出して」

 巻き終えた三田川が覇気なく机を叩く。パイプ椅子に縛られた若い強盗は、まさか店員に恐喝されるとは思わなかったのか、震えながら頷いた。


「これで全部? お、キャッシュカードあんじゃん。暗証番号言えよ」

 三田川は気怠そうに財布をあらため、奪った包丁を強盗の首に当てる。強盗はあっさり番号を喋った。なんて根性がないんだろう。


「いいんですか?」

 店内のATMで全額引き出す三田川に詩織が尋ねた。監禁になるので、マニュアル上事務室のドアは少し開けなければならないが、あんなに縛ったらドアを開けたって監禁だろう。

「いいわけないじゃん。強盗に対応しても一円のボーナスも出ないからやってるだけ。あんた、金出したらさっさと帰りな」

 三田川は表情を変えず、全財産取られた強盗を店から追い払った。奪ったお金を数え、半額を詩織に差し出す。

「結構です」

 無理に押し付けられた小遣い未満の数万円を、詩織は全て募金箱に入れた。


「恐喝は犯罪ですよ。防犯カメラにも映っています」

「あんなの一週間で上書きされて消えるだろ。平気平気」

「強盗を捕まえたところまでは、とてもかっこよかったのに……」

「俺、そういうセコい犯罪が得意でさ」

「ヤンキーでいらしたのですか?」

 丁寧だが直球すぎる質問に、三田川が苦笑した。


「ちょっと違うな。仲間もいないし、喧嘩もしないし。なんつーか、陰キャの悪ガキ的な……」

「陰キャとは何ですか? それになれば、私も強盗を捕まえられますか?」

 あまりにも世間知らずな質問だった。三田川は露骨に嫌そうな顔をした。


「そういうのは、育ちが悪い俺に任せておきなよ」

「育ちに良し悪しなんてありません」

「でも詩織ちゃんって、私大のお嬢様でしょ? うちなんか、親が元ホストと元キャバ嬢で、夜十時にドンキにいて、子供の名前で金借りてパチ打つ無職、万引きで飯食ってて、休日は馬だけが走る動物園。全然違うでしょ、現実見てよ」

「ドンキとは何ですか?」

「お嬢様の知らなくていい店」

 三田川の顔がまた曇る。


「すみません。本当に知らなくて……」

「お嬢様に新宿は向いてないよ、危ない街だし。働くなら銀座にすれば? コンビニもやめて、カフェとかさ」

 新宿、特にこの付近は歌舞伎町も近く、治安が悪い。強盗が来るくらいには。そして三田川が強盗を監禁して、恐喝するくらいには。今日だけで犯罪が三つ。今日の新宿の治安は大阪の西成未満、メキシコといい勝負だ。


「コンビニが一番普通のアルバイトですから」

「社会勉強ってこと?」

「世の中にはお金で解決できることは沢山あるけれど、お金で買えないものも沢山ある、みたいなアレです」

「俺みたいな貧乏人が一番嫌いな言葉だ」

「私だって嫌いですよ。社会勉強させるのなら、最初から箱入りに育てなければいいんです」


 詩織は私立の学校にしか通ったことがない。幼稚園、小学校から大学までずっと。分厚くて重い制服を着て、不機嫌でもご機嫌ようと挨拶をして生きてきた。

 世間知らずな自分が、昔から嫌で仕方がなかった。箱入り娘を卒業すべく、詩織はあえて治安の悪い新宿を選んだ。


「私の大学は、家計に無理をさせてでも子供を通わせてあげる、普通の人が多いんです。でも私はのびのび(笑)と育てられてしまったので、その普通の感覚がよく分かりません。普通のアルバイトをして、普通の人への対応を覚えたいんです」

「全方向にめっちゃ失礼じゃない?」

「私は性格が悪いものですから」

「肝座ってんね。俺そういう子好きだわ」

 三田川がカウンターに身を乗り出した。興味を惹かれたらしい。


「とんでもない。私は善悪の区別だってろくにつかないんですよ」

 三田川に気圧されるように、詩織は一歩下がって俯いた。

「何それ。じゃ、さっきの強盗も良いことだとか思うの?」

「逆です。全部悪く見えるんです。恐喝も、赤信号を渡ることも、傘を盗むことも、無断転載の動画を見ることも、スピード違反も、未成年飲酒も、歩き煙草も、全部法律違反でしょう? でも、よくある話です。やっていたと平気で言う人もいます。私には信じられません。普通の人はどこまでがセーフなんですか?」

「さあ。俺全部やってるし」

 三田川は無表情で首を傾げる。


「でも、気持ちは分かる。俺もさ、普通のバイトやれば普通になれると思ってここに来たから」

 三田川はカウンターにもたれてため息をついた。

「なのにさぁ、つい癖で強盗をカツアゲしちゃったりするわけよ」

 つい、で済む話ではない。しかしその常識は詩織にはない。

「私は実際に強盗を目の前にすると、怖くて何もできませんでした。それよりはよほど、正しい行動だと思います」

 純朴な瞳に真っすぐ見つめられ、三田川は黙って目を二度瞬く。

「……ちょっとトイレ」

 三田川は顔を少し赤くしてトイレに逃げた。


 *


「詩織ちゃん、死体って見たことある?」

 いつも通りの無気力な口調で、三田川がトイレから出てきた。

「いいえ、まだ」

「トイレで人が死んでるんだけど」

「当店はお手洗いを貸していませんよね?」

「勝手に使われたんだよ。だから店長に言ったんだよ、トイレに外から鍵かけろって」

 三田川も詩織も、落ち着き払った口調のままだった。誤発注した時の方が、まだ騒ぎになる。


「シャブの使いすぎかなぁ。新宿には時々いるけど」

「シャブとやらを使うと、背中に包丁が刺さるのですか?」

「やっぱ殺人だよなぁ……」

 詩織もトイレに様子を見に行ったらしい。三田川ですら言葉を失う凄惨な光景だったのに、詩織は叫ぶことも取り乱すこともなく、上品にドアを閉める。


「詩織ちゃん、死体を見つけた時のマニュアル知ってる?」

「そんなものがあるのですか?」

「ない」

 二人は顔を見合わせた。マニュアルがないと、どうすればいいのか分からない。


「亡くなったお客様、どなたなのかしら」

「客じゃねぇよ。入店音してないもん」

 三田川は呆然と呟く。確かに入店音はなかった。あの強盗を追い出してから、二人はずっとカウンターにいた。客は一人も来ていない。


「カメラの映像を見ましょう」

 詩織の提案に、事務室で鑑賞会が始まった。容量節約のためコマ撮りになっている映像に、強盗との一悶着が映る。しかし死んだ男は全く映像に映っていない。


「は? 恐怖映像じゃん」

「コマ撮りに映っていないだけでは? 三田川さんの前にトイレに入ったのはあの強盗の方だけですし、犯人はきっと彼ですよ」

 しかし強盗は三田川が追い出してしまっている。それに気づいた二人の間に微妙な空気が流れた。


「三田川さんが恐喝なんてするから……」

「普通するだろ!」

 しない。


「過ぎたことを悔やんでも仕方がありません。普通の人は、こういう時どうするのか考えましょう」

「通報……かなぁ」

「通報はダメです」

 防犯カメラには三田川が強盗を恐喝する姿が映っている。事務室の中もATMもばっちり映っているわけで、今通報すれば確実に防犯カメラの映像を調べられ、とばっちりで三田川は捕まる。強盗の監禁に手を貸した詩織も捕まる。


「どうする? 飛ぶ?」

「三田川さんは、鳥さんですか?」

「ちげぇよ。バイトばっくれるの」

「それは無意味です」


 逃げたところで、どうせすぐに死体は見つかる。三田川も詩織も警察に追われることになり、下手すれば指名手配だ。三田川と詩織が殺人犯として疑われる可能性すらある。

「死体がある時点でどうにもなりません。隠しましょう。一週間、誰にも見つからなければ迷宮入りです」

「狂った発想だね」

 詩織は三田川のツッコミを無視して、高そうな腕時計を見た。


「第一の課題は、店長の出勤です。店長に死体を見られたくはありません」

「……じゃあどうすんの? 死体をバラバラにする? 店長バラバラでもいいけど」

「どちらにせよ、二時間では無理です。私に任せてください」


 首を振った詩織は、怪訝そうな三田川をしりめに、ポケットからスマートフォンを出して電話をかけはじめた。

「もしもし、瀬蓮せばす? 私が働いているローソンの店長のお宅、ご存じでしょう。玄関の前の土地を買い取って、今から二時間以内に落とし穴にして下さるかしら」

 早口で言った詩織は通話を切り、口をぽかんと開けた三田川を見上げて向き直る。


「時間は稼げました。死体を解体していきましょう」

「……犯罪だよ」

「ですが、誰かが被害をこうむるわけではありません。私には優先座席を譲らない人の方が、よっぽどひどい人に思えます」

 否定する間もなく、店の前をショベルカーを詰んだトラックが通過する。そのトラックに詩織が手を振ったのを見て、三田川は全てを察して息を飲んだ。


「お金で買えないものは沢山あります。でもお金で解決できることも、世の中には沢山ありますよね」

 詩織の微笑は彫刻のように品があって、今から犯罪者になる小娘にはとても見えなかった。

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