第17回/会場5位/総合21位
1-1 陰陽師たちと不可思議のこと
【あらすじ】
九六八年、平安京。
物の怪の仕業に違いない。都が恐怖におののいた。
「物の怪のせいではありませぬ」
異を唱えたのは、従五位の貴族、
「うむ。この凶事は人の仕業にございますがゆえ」
村雨の異母弟、
二人は都の全ての物の怪を制御できる。決して物の怪に粗相などさせない。
だから凶事は人の仕業だと、二人は確信していた。
――彼らはまたの名を、陰陽師という。
奇怪な陰陽師コンビと、愉快な
【本文】
平安の都の最奥、内裏の南庭。烏帽子に直衣の男が八人、天高く飛ぶ鞠を見つめていた。
「村雨よ。次の蹴鞠の会はいつだ?」
声の主は当世最大の権力者、京極帝。彼はその若き足に鞠を受け、また高く蹴り上げる。
その鞠を受けたのは、帝と同い年の陰陽師、
「……元は来月の予定でしたが、公卿の相次ぐ不審死に都中が震えておりまする。しばらくは難しいかと」
「ふん、どうせ藤原千尋あたりの陰謀であろ? 礼明とは派閥が違って不仲だったからな。内裏たっての噂だ」
「滅多なことを……。蹴鞠に集中なされませ」
「式神相手の蹴鞠も飽きた!
寝転がって叫ぶ帝の声に、ぼんっと音を立てて式神が消え、紙となって庭を舞う。陰陽寮に出向き、式神を従える村雨を呼びつければ、八人揃えずとも蹴鞠ができる。大変便利な存在であると、村雨は帝に寵愛されていた。
「うぉお、帝!? こんな所で何をしておられます?」
ちょうど陰陽寮に参上した検非違使大尉が、寝転がって騒ぐ帝を発見してびょんと飛びのいた。
「蹴鞠だが?」
何事もなかったかのように帝は起き上がり、直衣の砂を払った。寝転がる蹴鞠などあるまいぞと大尉は思ったが、相手が帝ゆえ黙る。
「帝には凶報ですが、藤原千尋様が物の怪に殺されました」
「死んだ? 千尋は
「ゆえに蹴鞠の会は中止でござりまする。代わりに物の怪退治の祈祷を陰陽寮に、と――」
「はぁ!? 祈祷なぞ効くものか!」
信心もへったくれもない帝である。
「しかし千尋様は、例によって全身が鮮やかなる
「青色の
噂に聞いてはいたが、想像するだにぞわりとする。大尉も言いつつ心地悪そうであった。
「嫌だぁ~! 蹴鞠ぃ~!」
しかし帝はその奇妙な死に様よりも、蹴鞠の方が気になる様子。せめて公卿の死に思いを馳せてくれ。呆れ返る大尉と村雨だが、帝は丸い瞳をこちらに向けた。
「なあ村雨よ。祈祷を中止にはできまいか?」
「……
「物の怪のせいではあるまいぞ。汝が最もよく知っておるだろう」
「しかしそれを
「……無理だろうなぁ」
当世では全ての凶事が物の怪のせいにされがちだが、都の物の怪は村雨ら陰陽師が制御している。つまり、陰陽師の知らぬところで物の怪が悪事を働くことはない。
「わかって下さるのは帝だけです」
村雨が頭を下げると、大きな狐型の式神の毛皮に埋もれながら帝が笑った。
「そちの式神と何年蹴鞠をしておると思っておる?」
「二年でござります」
「……そんなに短かったか。まあよい、式神は犬猫と似たものだ。人が死んだのを犬猫のせいにする者はおらぬ」
しかしその簡単なことが、都の人間はわからないのである。
「しかし、物の怪でなければ何の仕業だ?」
「人でございましょう」
「人が人を殺すと、屍が青になるのか」
ぐっと村雨が唇を噛む。返事に窮する村雨に帝が口角を上げた。
「そりゃあ都も震えるものぞ。そうだ村雨、咎人を捕らえて蹴鞠を再開しようぞ!」
鞠を足先で突いていた帝が、顔を輝かせて村雨に向き直った。
「勅命にござりますか……?」
「勅命だな! はは、帝という立場は便利だ」
陰陽師の立場でどうしろというのか。しかし帝には逆らえない。村雨にできるのは、愛想笑いがせいぜいであった。
§
「……というわけで
都の隅の地味な屋敷。帝を背に乗せた狐の式神と、従者風の大量の式神を門前で村雨が紙に戻した。身の丈六尺の細く白い肌の青年が、気配を察して中から顔を出す。
「咎人を捕まえられるのは君だけだ」
「いや、その話の流れで、なぜ我が?」
「君は都で最も屍に詳しいだろう」
闇の陰陽師・時任網代。村雨の異母弟にして庶子、貴族になれぬ彼は、自らの知識を利用して、貴族の暗殺を仰せ遣うことが時々あった。先の蔵人別当を暗殺したのも彼である。
「まさか今回の騒ぎも君が?」
「むしろよく仕事をくれた大納言が殺されて困り果てておるが……」
温厚そうな大納言にそんな裏が、と帝は感嘆した。御所に帰ったら噂を広めておこう。
「その者は誰だ?」
整った顔を崩して笑う帝を、網代が指をさして村雨に尋ねた。
「帝だ」
渋い顔で村雨は答える。
「麿は京極帝だ」
「帝!?」
唖然とする網代に、帝はけらけら笑う。
「頭を上げよ。頭の低き者が、
「……帝が、なぜこんな辺境に」
潰れた蛙のような声を網代は土下座で絞り出す。
「蹴鞠ができぬので暇だからだ」
なんだこいつ、と網代は思った。
「公卿が四人、全身が
村雨の言葉に、網代の細い眉がぴくりと動く。
「都に我より屍に詳しい者はおらぬ」
「では、咎人を探し出してくれるな?」
帝をちらりと見た網代は頷く。
「屍を見ることはできるか?」
「……千尋様の屋敷に、式神で姿を隠して行けば」
村雨は煙のような型の式神を召喚し、するりと身を包む。すっと姿が消え、式神のあまり得意でない網代がおおっと感嘆の声を上げた。
「流石は式神使いの村雨よ。麿も行きたい!」
「帝。屍が心地悪くても決して吐いてはなりませんぞ?」
警告を帝は無視し、式神の牛車に乗る。都の西北にある藤原千尋邸に、三人は姿を消しつつ向かうこととなった。
「おろろろろろ」
ダメであった。
「帝ぉ……」
姿が透明ゆえ、空中から何かを吐く異様な光景だが、庭の片隅なのでなんとか検非違使にバレずに済んだ。帝の背中をさすりつつ、村雨は未だ屋敷の中で屍を物色する網代に目をやる。
帝が吐くのも無理はない、もはや美しいまでの真っ青な屍であった。
主人が異様な死に方をし、女房や検非違使が大騒ぎの屋敷で、姿を消した網代が表情一つ変えずに屍をこっそり調べている。
「帝は吐き終えたか?」
しばらくして屋敷から出てきた網代が帝を見下ろしながら尋ねる。
「こら網代、口の利き方に気をつけよ!」
「だって吐くなと申したのに吐くから……」
「おろろ……気にするな村雨。すまぬ、まさかここまで心地悪い屍とは思わず」
「ところで、毒については分かったか?」
「それは簡単だ。
聞いたことのない言葉に、村雨と帝が首を傾げる。
「吉備で取れる石で、砕いて飲むと全身が青く染まって死ぬ。我の他にこの殺し方を知る者がいるとは」
網代が悔しそうに白い肌の拳をぐっと握る。
「……その咎人、何者だ?」
「わからぬ。しかし咎人は、一つ尻尾を出した」
網代が細くて赤い唇をぺろりと舐めた。狐の式神が慌てて尻尾を隠す。違うよ、と帝は優しく尻尾を引っ張り出してやる。
「毒の摂り方がおかしい」
「飲むと死ぬと申したのは君だろう、網代?」
色の白い首をゆっくり振り、網代は答えた。
「硫黄は所詮石ころ。粉末なれど、口に入れればわかる。なぜ千尋様はそれを食ったのか。毒見は死ななかったのか?」
「確かに……」
「硫黄で屍が青く染まるのは、早くとも死から一刻後。真っ青になるのはさらに後だ。食事中に苦しむ姿に誰も気付かず、青く染まった屍が後で見つかる、というのは奇妙だ」
御簾の更に奥でごろりと転がっていた藤原千尋の死体を、村雨と帝は思い出す。
「では、千尋様はどうやって毒を……」
「自ら毒を飲んだのだ」
「四人ともが、自ら毒を!?」
「大方、ハゲの薬だと偽られたのだろう」
烏帽子である程度は隠せるとはいえ、ハゲ自体は恥ずべき姿。治す薬があると言われれば、こっそり飲むのも当然である。あまりにも気の毒な話だ。
「なんと卑劣なやり口よ……」
さすがの帝も衝撃を受けたらしい。
「誰だ、そんな汚き咎人は」
「我にはわからぬ。恨みつらみは、都に詳しい村雨に任せる」
「死んだ公卿は、派閥も違う者同士だ。共通の敵がおれば話は別だが、敵など――」
そこでハッとして村雨は振り返った。
いる。
「狙われておるのは帝だ……」
え、と小さく声を上げて帝は自らを指さした。
「麿が?」
「帝。お命を狙う存在に心当たりは?」
「……ある。奇人変人の麿を長く帝には置けぬと、噂は耳にしている」
その者は帝の異母弟が二人。右大臣と左大臣が後ろ盾の実力者だ。その二派が帝の座を狙い、まずは互いに殺し合っているということらしい。どちらが勝とうと、最後には帝に刃が向く。それは確かだ。
「覚悟はしていた。しかし、今とはな……」
帝は唇を引き結び、天を仰ぐ。
行末の 見まほしけれど 露と消ゆ 身の永らへば──
「辞世の歌など詠みまするな。帝には、我らがついておりますではないか」
帝の歌を遮り、網代が彼の腕を取った。
「我は屍体の叡智を
「僕は式神の加護を以て刺客を撃退し、」
「必ずや帝をお守り致しまする」
二人声を揃えて大きく頭を下げる。
──鞠ぞ蹴るらむ
帝は続きを歌う。二人の言葉を聞いて詠みかえた結句、それは素直になれぬ帝の精一杯の礼であった。
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