第15回/会場3位/総合15位

1-5 無題

【あらすじ】

本当に面白い作品なら、タイトルなんていらないでしょ?


【本文】

「おめでとうございます、椎名先生」

 男が笑顔で拍手するのは、秋影女子高校の面談室。演劇部全国制覇の垂れ幕に窓が隠されているせいで、部屋の中はやけに薄暗かった。

「おかげさまで。でも、全国制覇は部員の功績です」

 演劇部顧問の椎名美鈴教諭が深々と頭を下げるのと同時に、男も椎名に合わせて頭を下げた。


「水無高校の演劇部顧問、窪田と申します」

「遠いところからお越しくださったのに、面談室しか空いてなくてすみません」

 名刺を交換した二人はそこで姿勢を整える。


「窪田先生。脚本の使用許可についてとお伺いしましたが……」

「はい。全国制覇した例の脚本、うちの高校で使いたくて。お願いできます?」

 高校演劇では、かつて他校や他劇団で使われた脚本も、許可さえ取れば既成台本として使用できる。目新しさは落ちるがクオリティが高く、既成台本を使う高校は多い。


「これですか?」

 椎名が鞄から取り出した脚本を手に取ると、窪田はぱっと顔を輝かせた。

「それです。テレビで拝見しましたが素晴らしい芝居でした」

 窪田は丁寧に脚本を机上に戻す。その表紙には――


『無題』


 そう書かれていた。


「すごいタイトルの芝居ですよね。地区大会から話題で、長らく気になってはいたんですが、まさか全国制覇するとは」

 笑うと目がやけに細くなる男である。

「実際に見たら、ほんと手に汗握る芝居でしたよ」

 『無題』は開演五分で観客の度肝を抜く芝居だった。


 それは"西暦二〇〇〇年"に恋した少女の物語。

 異性ではなく、人ではなく、生き物ではなく、物体ではなく、時間という概念に、"一年間"に、恋をしてしまった少女。


 もう過ぎた"時間"に恋した少女は、意中のお相手には近づけない。両思いにはなれない。結婚なんて不可能。会ったこともない。


 時に恋するチヒロ、チヒロに片思いする幼馴染のマツイ君、同じくチヒロに思慕を寄せる友人のスズも現れて。三者三様の叶わぬ片思いから生まれる名状しがたい感情は、まさに『無題』と呼ぶにふさわしい。それを言葉にしようともがく姿は、観客にある問いを投げかける。


 あなたは愛のためならどこまでできますか?


 ミステリアスな設定で引きずりこみ、シュールな状況で笑わせつつも最後は心を揺さぶる。そして何より演者の等身大の演技が観客を虜にした。


「マツイ君役の生徒さん。名演技でした。テレビで特集されるだけありますね。女子校の芝居のはずなのに、僕には男子にしか見えませんでした」

「当然です。"彼"は男性ですから」


 準主人公のマツイ君を演じたのはトランスジェンダーの生徒だった。女子校では難しいとされる男性の演技を、圧倒的リアリティと解像度で演じ上げた"彼"はすぐに話題になり、彼目当ての観客で客席が埋まった。


「LGBTを利用して注目を集めている、とは言われなかったんですか?」

「――ッ」

 窪田の細い垂れ目が、覗き込むように椎名を見上げる。

「……言われましたが、そんな失礼な野次を我々が気にすることはありません」

 椎名は毅然と答える。タイトルは『無題』、LGBTの生徒が演じ、ストーリーは突飛。話題になったはいいが、あざといだのLGBTの悪用だの、陰口も随分叩かれた。


「実際、悪用だと思いますけどね」

「……失礼な」

 目の前の人間に言い放つ無神経さに苛立って、椎名は思わず不機嫌な声で答えた。

「本心しか言えなくてすみません」

 慇懃無礼な態度。それがまた椎名の神経を逆なでする。


「なら、脚本の使用許可は出せません。大切な脚本を悪意を持って使われるのは嫌ですから」

「構いませんよ。実は僕、脚本も使用許可も持ってるので」

 あっけらかんと窪田は言ってのける。


 絶句する椎名を前に、窪田は自分の鞄の中から一冊の脚本を取り出し、机上に置く。その表紙には確かに『無題』と書かれていた。

「そんなはずは……。この脚本を持ってるのは、うちの部、いや私だけのはず……」

 戸惑う椎名の頭上に影が差す。優しげな顔のまま窪田が立ち上がったからだった。


「それは僕のセリフです」

 窪田は細い指で脚本の表紙をなぞる。手書きの『無題』の周囲では、いくつもの没タイトルが二重線で消されている。


「この脚本は原作者の横矢歌穂が高校生の頃に貰ったものです。そしてあなたも知っての通り、歌穂は今、音信不通のはずだ。あなた、この脚本をどこで手に入れて、どうやって使用許可を手に入れたんですか?」

 窪田の声には一切のとげがない。しかし椎名の顔はみるみるうちに青ざめていく。


「……貰ったんです、歌穂に」

「当時あなたは演劇部の部長ですよね。部員の歌穂に脚本を貰っても不自然じゃありませんが、そんなの使用許可を得たうちに入ります?」

「歌穂は使っていいと言いました」

「歌穂は脚本を人に渡すとき、いつも言いますよ。好きに使って、と」

「だったら、使用許可を得てないのは窪田先生だって同じはずです」


「でもあなた、絶対にやってはいけないことをやったでしょ」

 窪田は歌穂が書いた手書きの『無題』というタイトルを軽く弾いた。

「あなた、勝手にタイトルを変えましたね? それがどれだけ罪なことか知っていながら」


 元々、この作品にタイトルは存在しない。歌穂は暫定的に脚本のタイトルを『無題』としていたが、正式なものではない。正式なタイトルなど存在しない。それを知りながら、椎名は『無題』というタイトルを勝手に付け加えて出した。


「……はい」

 椎名は首を垂れて俯いた。

「本当に面白い作品ならタイトルなんていりません。でも、大会に出るにはタイトルが必要です。だから『無題』というタイトルを勝手につけました」

「これ、演劇協会に言ったらどうなります?」

 脚本の書き換えには、たとえタイトルであっても作者の許可がいる。書き換えが協会にバレれば全国制覇が取り消されるのは確実だった。


「……見逃していただけませんか」

 立ち上がった椎名は、すぐに倒れこむように床に跪き、震えながら頭を床に擦り付ける。見事な土下座だ。


「全部私の責任です。罪を公表して謝罪すべきなのはわかってます。でもそんなことをしたら"彼"の推薦入試がパーになっちゃう。彼に罪はありません。何でもします。だからどうか──」

「すごい覚悟ですね」

 これ以上下がらない頭を下げ続ける椎名を見下ろしながら、あくまで温厚に窪田は言う。

「なら最初からやらなきゃいいのに」


「すみませんでした」

 土下座のまま、椎名は蚊の鳴くような声で謝る。

「怒らせたかったんです。あのタイトルで全国に行けば、きっと歌穂が怒って連絡してくるから。歌穂から連絡が欲しかったんです」


 歌穂の耳に届かせるには全国大会に行く必要がある。手段は選ばなかった。トランスジェンダーの部員が男性役を演じたいと打ち明けてきたのをいいことに、マツイ君役を当てて話題性を狙った。タイトルを目立つように『無題』にした。

 外野にどれだけ陰口を叩かれようと毅然としていられたのは、歌穂からの連絡のためだった。


「……怒った歌穂に連絡を貰って嬉しいですか?」

 心底不思議そうに窪田は尋ねた。

「歌穂が連絡をくれるなら、怒ってても泣いててもよかったんです」

「なぜですか」


「歌穂の事が好きなんです」

 椎名はまだ頭を下げていた。窪田の顔色が変わる。

「女の私なんて、歌穂が好きになってくれるわけがないのは知ってます。だから好かれるのは諦めました。全ては、私が歌穂の顔を見たいがために」

 やけくそだ。どうせ成就しない恋だ。嫌われてでも、顔を見たかった。


「まあ男でも歌穂は好きになってくれませんが、わかりますよ、その気持ち」

 窪田の穏やかな声に思わず椎名は顔を上げる。

「窪田先生は、なぜ歌穂を探してるんですか」

「この脚本の本当のタイトルを知りたいからですよ」

 窪田は愛おしそうにタイトルに目をやった。


「この脚本は、タイトルがなくても面白い。でもそれは、タイトルが存在すべきでないということにはならない。脚本の表紙を見たらわかるように、歌穂はタイトルを付けようとしていた。だからこの世のどこかにタイトルはあるんです。僕は歌穂の口からそのタイトルを聞きたい」

「……歌穂を探すの、難しいですよ。私がここまでしても会えなかったのに」

 窪田は黙って椎名を立ち上がらせる。化粧が取れるのも厭わず涙を拭いて椎名は顔を上げた。


「窪田先生――」

「実は僕、窪田先生じゃありません。あなたに会う口実を作ろうと、教師のふりをしただけなんです」

「じゃあ、あなたは……」

「僕は松井です。歌穂の幼馴染の、松井です」

 椎名の大きな瞳から、ぽとりと涙が落ちる。


「高二の秋に歌穂に告白したら、好きな相手がいるって振られちゃって。一ヶ月経って歌穂がくれたのがこの脚本なんです。これ、彼女の答えだと思いませんか。その恋、叶えさせてはあげないけど、追いかけるのは好きにしたら、って」

「……自信家ですよね、歌穂」

「そこが好きなんですよ」

 机に腰かける窪田、否、松井が苦笑する。


「本当に会えるんでしょうか」

「さあ。僕としては椎名先生が頼りだったので、その線が切れた今、手掛かりはありませんしね。でも僕は追いかけますよ」


「優しいですね、恋敵に力を貸してくれるなんて」

「叶わない恋ですから恋敵じゃありません。僕らはただのストーカー仲間です」

 自嘲気味に笑った椎名に松井は笑い返す。


「でも、どんなに叶いそうにない恋でも、追いかけることは尊い。それを芝居にして、あなたは全国を取ったんでしょ」

 椎名は少し迷って頷いた。


「一泡吹かせてやりましょう、西暦2000年と駆け落ちした女に」

 スーツを崩してポケットに手を突っ込み、薄暗い面談室で微笑む松井と目が合う。その目を見て、椎名は松井の覚悟を実感したのだった。

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