第14回/会場2位/総合6位
2-24 私にあなたを殺させて
【あらすじ】
「
若手検察官の
検察庁で孤立する夏目の新しい相棒になったのは、警察に存在すら把握されていなかった右京のしっぽを掴み、逮捕にこぎつけた敏腕警察官だった。
新しい相棒と共に右京を追い詰めてゆく夏目だが、右京は常にその一歩先を行く。
「完璧な人間なんていない。だから、必ずどこかに現れる隙を突けば、人は簡単に崩れるものなのさ。それを防ぐ方法はたった一つ、死ぬことだ。ねぇ夏目ちゃん。君は誰なら殺せるんだい?」
──もう、誰も死なせたくない。だから、私にあなたを殺させて。
【本文】
風呂に入る前に、トイレに行くべきか否か。
経緯は忘れたが、小二の帰りの会で激論になった。トイレは汚いから先に行け。体を清めてからトイレに行け。好きな時に行け。
意見に困った私が縮こまっていたとき、隣の席の片桐くんがいきなり手を挙げた。
「僕はお風呂でおしっこします!」
悲鳴が起こった。若い担任が焦りだす。しかし片桐くんは堂々たる姿で、その精悍な顔に私の心臓は大きく高鳴った。
後になって、風呂場でおしっこをする人は5%らしいと知った。出所は不明だが。
あのクラスはちょうど40人。だから5%なら、片桐くんを含めてちょうど二人。
もう一人は私だ。
本当のことを言えるわけもなく黙る私に対し、片桐くんは臆することなく手を挙げてクラスを湧かせた。素直に凄いと思った。
でもそれっきりだった。5%の絆はそれ以上広がらず、彼に憧れ続けて私は大人になった。
聞くところによると、実行せずとも本気の殺意を抱いたことがある人も、5%らしい。これも出所不明だが。
ではそんな5%の人の前に、完全犯罪を提供してくれる人が現れたら?
そのうち何人が殺人を実行するのだろう。
「僕が知る限り、5%だ」
5%の中のさらに5%なので0.25%、つまり400人に1人。経験者が言うのだから間違いない数字だ。
「意外と多いよね。それだけ世の中が歪んでるってことさ」
葛城右京。私と同じ二七歳。囚人服のせいで地味な外見だが、元は結婚詐欺師だ。崩れぬ微笑で女を欺いていたが、女を手にかけ、最終的に殺人計画を売りはじめた。
警察も存在すら把握していなかった男だが、ある時第三者の介入により殺人計画が崩れ存在が発覚、紆余曲折の末に逮捕することができた。
そんな凶悪犯の担当検察官が私になってしまった。片桐くんに触発されて努力して夢を叶え、ようやく検察官になったのに。
「夏目ちゃん、僕の捜査どれくらい進んだ?」
馴れ馴れしく呼ばれるのにももう慣れた。
「全く進みません。あなたが余罪を増やすので」
そう言った瞬間、業務用の携帯が鳴る。上司からだ。
「お前の相棒の事務官がまた倒れた。救急車を呼んだが恐らくダメだ」
淡々とした上司の口調が、かえって私の心をえぐる。
「……庁舎に戻りましょうか?」
「いや、いらん」
電話を切った私は唇を噛んで俯く。戻ってほしくないのだろう。
だって私は死神だから。村主夏目と相棒を組むと死ぬという噂は、七十五日では消えそうにない。
一人目は私の隣で、二人目は東京拘置所の廊下で、三人目は拘置所から
「葛城右京、必ず貴様を処刑台に送ってやる」
虚勢を張った私は、あとを刑務官に任せて部屋を出た。右京の高笑いが廊下に響いている。右京は人を殺した直後だけ、
右京は私の相棒を指一本触れずに殺せる。方法もわからず証拠もないが、本人が自白している。私に執着しているから殺した、と。
執着って何? 私はどうすればいいの? 早く奴の担当から外れたい。無理だけど。
「死神の夏目ちゃん」
廊下に座り込んでスーツの袖で涙を拭いていたら、右京みたいな軽い口調で声をかけられた。背筋がぞわりとした。
「俺、夏目ちゃんの次の相棒。よろしくね」
「……どなたか存じませんが、ダメです。私と組んだら死にますよ」
「平気平気!」
軽い声に私は顔を上げる。私と同年代で、背のかなり高い筋肉質な男だ。
この爽やかな顔も、右京の手にかかって死の苦悶に歪むのだろうか。
「右京を捕まえた警察官、俺なんだ。天敵だから大丈夫だよ」
「警察官が私の相棒ですか? まさか。許可が出ませんよ」
「法的には可能だよ。奴は余罪まみれだし。許可を渋る間に三人死んだんだから、本当の死神は検察庁だよね」
外見が男前なだけの変な男だ。
「ね、右京に俺のこと紹介してよ」
彼は濡れた袖を取り、無理矢理立ち上がらせてくる。
「……私、あなたのこと知りません」
「あ、そっか。俺は警察庁の
名前を聞いて、私ははっと顔を上げる。
「お風呂でおしっこする片桐くん?」
「なんで知ってるの?」
心底不思議そうに彼は首を傾げる。間違いなくあの片桐くんだった。ぐいぐいと私の袖を引っ張って彼は取調べ室に向かう。涙は既に引っこんでいた。
「戻ってきたんだ?」
取調室に戻ると、葛城右京は頬杖をつくのをやめて微笑を私に向けた。
「新しい相棒ができまして」
「早いね。さっき殺したばかりなのに」
「新しい相棒の、片桐でーっす!」
片桐くんが顔をのぞかせた瞬間、右京の目元が一瞬鋭くなった。因縁ある男だと気づいたのだろう。右京のポーカーフェイスが崩れて苛立ちが見える。私が右京と顔を合わせてから初めてのことだった。
「夏目ちゃん、右京に『元結婚詐欺師なだけあって美形ですね、と片桐が言ってます』って言って」
片桐くんは身をかがめながら耳打ちしてきた。
「え、私が?」
「いいから言って」
『……元結婚詐欺師なだけあって美形ですね、と片桐が言ってます』
困惑しながら棒読みでそう言うと、微笑のまま右京は小さく礼をした。
「どうも。君もなかなかだけどね」
『右京さん。質問があるんですが、よろしいですか』
片桐くんは私にまた耳打ちをしてきた。
「どうぞ」
右京は私の伝言に鷹揚に頷いてみせる。
『何人に殺人計画を売ったんですか?』
「300人ちょっとかな」
『なぜ結婚詐欺師を辞めて、殺人計画を売りはじめたんですか?』
「簡単だし儲かるし楽しいから」
『何が楽しいんですか?』
「長くなるけどいいの?」
耳打ちされる私を介し、片桐くんと右京の問答が繰り返される。茶番だ。右京が本音を言うはずがない。
「どうして私に執着するんですか?」
「こういうのやめない? 夏目ちゃんの声だけ借りて、僕が口説けると思う?」
「
「え?」
右京の切れ長の目が一瞬だが大きく開かれる。
嘘だ。これも片桐くんの指示だ。
しかし右京は片桐くんの罠に嵌った。ぽかんと口を開けていた。
「んで? さっきの答え、聞かせてもらおうか」
「夏目ちゃんが可愛いからだよ」
ため息をついた右京から、にわかには信じがたい答えが返ってきた。
「右京、お前は天性の詐欺師だな。多少揺さぶったくらいじゃ本心が出てこねぇ」
片桐くんが爽やかに悪態をつく。
「いや、本心だよ? 本気で可愛いと思ってるから泣き顔を見ようと思って相棒を殺してるのに、夏目ちゃんって僕の前で泣かないよね。なんで?」
「……夏目の泣き顔?」
「男は皆、可愛い女の子の泣き顔を見たいものだよ」
そうなのかと尋ねたら、片桐くんは眉間にしわを寄せて首を横に振った。
「……私、廊下で泣いたのが悪かったんですか?」
おかげで相棒が三人も死んだのだとしたら、やはり私は死神じゃないか。
「バカ抜かせ。夏目ちゃん、こいつに泣き顔を見せたら何度でも泣かせにくる。泣いちゃダメだ」
片桐くんに優しく諭され、私は反射的に頷いた。片桐くんがいなければ、とうの昔に私は右京のおもちゃだ。
「とにかく、右京が珍しく本心を喋ったわけだ。奴の弱点は夏目ちゃんで間違いない」
片桐くんは顔を輝かせ、困って俯く私の手を取る。
「この事件、俺たちで解決しよう。俺が夏目ちゃんを守るから」
心強い言葉に私はゆっくりと頷く。はずだった。
「僕から担当外れたいんじゃないの?」
いい雰囲気を鋭い言葉がぶち壊す。醒めた顔をした右京だ。
「夏目ちゃんって、ほんと主体性ないよね。どこで泣くべきかも、担当を続けるかどうかも片桐任せ。ま、そゆとこが好きなんだけど」
ぐうの音も出なかった。悔しいが奴の言うとおりだ。帰りの会で手を上げられなかったあの時が私の脳裏によぎる。
「恋心とか殺意とか、他人の複雑な感情で遊ぶのは楽しいけど、もう飽きた。僕はもっと難しい感情、たとえば夏目ちゃんの本物の感情で遊びたいんだよね」
「私の感情が偽物だっていうんですか」
「うん」
右京はあっさり頷いた。
「僕が見た夏目ちゃんの感情、全部僕か片桐に流されてるよね。それも可愛いけど、僕が欲しいのは夏目ちゃんの本物の涙なんだよ」
怖い。苦しい。わからない。この感情は私のものだ。偽物のはずがない。でも私は流されやすい。それは痛いほど自覚している。
「どうしたら本物の涙を見せてくれるのかな~」
右京は腕を組んでわざとらしく考えはじめた。
「そうだ! 夏目ちゃんに人を殺してもらおう! そしたら孤独になって本物の涙も流れるんじゃない? ねぇ?」
息が止まるかと思った。
「……人なんて殺しません」
「殺すよ。僕に流されるからね」
断言されて、すがるように片桐くんを見上げる。
「そういうトコだよ夏目ちゃん。すぐ人の顔を伺うところ。片桐が『夏目ちゃんは人を殺す』って言ったらどうするの? 人、殺すの?」
顔をぐっと寄せてくる右京から顔を背け、ぎゅっと目を瞑る。それしか今の私にはできなかった。
「落ち着け! 夏目は人なんて殺さない。右京なんかより俺を信じろ!」
片桐くんが私の両腕を掴んで叫ぶ。でもダメだった。片桐くんに泣くなって言われていたのに、彼の手の甲に私の涙が落ちていく。片桐くんの手が震えている。違う、これは私……?
「ダメ。それは本物じゃない。ねぇ夏目ちゃん。僕みたいに孤独になろうね。僕の腕の中で絶望に泣こうね」
机の向こうから右京の手が伸びてくる。妙に温かいその手が、私の頭を優しく撫でた。
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