第13回/会場14位/総合53位
1-21 異世界転生学概論Ⅰ〈火5〉
【あらすじ】
担当教員:成田朝比古
教室:理学部第3号館201講義室
長らく小説のファンタジックな設定であると考えられてきた異世界転生について,近年実在する現象であるとの見方が出てきた.現在は異世界転生学として研究が進められている.
本講義では,異世界転生学の第一人者である
*出席確認後の遅刻は出席と認めない.
成績評価:出席(20%),レポート(10%),定期試験(70%)
参考書:授業中に指示する.
【本文】
僕の講義は寝ていいよ。五限だし眠いだろ。出席だけすればいい。何より、気まぐれで夢見がちでオカルトな天才との思い出話に過ぎない講義だからな。
とにかく異世界転生学を
**
「異世界って存在すると思いますか」
僕の研究室に押しかけてきた彼女の、その穏やかな第一声は今でもはっきり思い出せる。
「それは、最近はやりのヨーロッパ的な異世界のことかな?」
「はい。この日本で【転生】なる概念が生まれて発展した理由に、私はある仮説を立てています。それは異世界が実在し、死後異世界に行った人間が現世──異世界の対義語です──に戻って異世界という概念を広めた、という仮説です」
「はあ……」
狂気じみたことを言い出す小娘だった。戯言と切り捨てることもできたが、日本では珍しい飛び入学を果たしたと噂の逸材だ。無闇に追い出すこともなかろう。
「異世界は存在します。転生も、そして神も。しかしこの三つの存在を証明するのは生半可なことではありません。そこで私は第一歩として、魂の存在を証明しようと思います」
彼女のキャリーバッグにそこで初めて気がついた。彼女がそこから取り出した大量の紙は、高校の頃に書いた研究計画だという。
「一人で書いたのかい?」
先行研究、論旨、手法、全てに隙がない。さすがは才女、未成年ながら企画だけなら院生並だ。
「はい。卒論にしたいと思っています」
無機質な声音だが、彼女は深々と頭を下げる、なんとも慇懃な女性だった。
彼女の考える【魂】とは、全ての神経回路、つまり脳みそ丸ごとの記録のことらしい。それを全部データにすることが出来れば、脳本体がなくても任意のヒトの人格を再現できるのだと。確かにそれは、魂と呼べなくもない。
「しかしそれは、科学技術で無理矢理に魂を生み出しているだけだろう。元からこの世に魂があるとは言えない」
「今はそれでいいのです。これはあくまで最終目標なのですから。とりあえず全て読んでいただけませんか」
「…………」
彼女は脳のデータ化から、空きディスク(つまり空っぽの脳だ)の作り方、バックアップの取り方まで、詳細に記していた。手書きの美しい字が僕の目に飛び込むたび、僕の脳内の神経回路が組み変わる重厚な音がする。
「いつか必ず、バックアップのない死者の魂、異世界に逝った人々の魂を現世に回収してみせます。今はその第一段階から。現在の科学技術で、まず魂を複製したいと――」
「おとぎ話はともかく、神経回路のデータ化のところ、これは面白いね」
僕は遮るように計画を褒めた。
「具体的なシステム面は工学部の方に回さないと分からないが、実験ならさせてあげるよ。倫理委員会もスレスレだが通るだろうし。それより、君は本当にこれを一人で作ったのか?」
「もちろんです」
「なるほど。とりあえずうちのラボにおいで」
「嬉しいです。断られるかと思っていました」
普通の学生よりよほど優秀な学生だ。断る理由はない。
適当に実験させて卒論にすればいい、と思っていた。しかしすぐに適当では済まなくなった。一生に一度出るかという凄まじい結果を彼女は簡単に叩き出した。気づけば僕は本業を放り出して彼女の計画に熱中していた。
彼女の卒論がネイチャーに載った頃には、僕は彼女の才能に完全に惚れ込んでいた。僕が指導したとはいえ、あのネイチャーだぞ? すさまじい栄光じゃないか。
僕の目の前で、数十年に一度の天才が花開いた。夢見心地とはこのことだった。
しかし、彼女がこのタイミングで消えると誰が思っただろう。
失踪した天才に学会は揺れ、僕は青ざめた。全てを投げ打ち、彼女を探し回って一週間。僕は慣れぬ山に息を荒らげて登ってゆく。彼女に一番近いところにいるのは恐らく僕だ。
小鍛冶由良、君は弟を探して姿を消したのだろう?
**
「弟が異世界ものの小説が好きで。弟から異世界の話を聞いた私は、いくつか不思議なことに気づいたのです」
彼女は意外によく喋る。実験の合間に話していた身の上話を僕は思い出した。
「異世界はなぜ絶妙に日本のゲームに影響され、中世風と謳われながら近代風なのか。なぜジャガイモが出てくるのか。都合のいい設定が多いのか」
やめとけやめとけ、それ以上触れるな。
「設定ミスと考えてもいいですが、現実に見られる現象に私は目をつけました。幼児が前世の記憶を語るということがあるでしょう。これは現世から現世に転生したと考えられます。それと同様だと思うのです。中世ヨーロッパを勉強不足の日本人が、生前にイメージで作り上げた世界に転生し、また現世に戻ってきたことで、少しずつ独自の概念が浸透してきたと考えて無理はありません」
無理しかないが?
「でも、昔から天国という概念があったでしょう? それと異世界も同じです。先生も全て聞いてくだされば……」
「全部聞いてもオカルトはオカルトだよ」
「では、私が異世界からの帰還者だと言えば信じてくださいますか」
「やけに詳しい設定に納得はするだろうが、事実の証明にはならないよ。帰還者という権威付けは無意味だ」
「そう言うと思ってました。それでこそ成田先生です」
「嫌味か?」
「いいえ」
彼女の計画や研究や論文は完璧だが、思想だけはあまりにもオカルトすぎる。僕にはどうも受け入れがたかった。彼女の唯一の欠点か、天才と何かは紙一重なのか。
「私も根拠がないことは承知の上です。そこはまあ、最終目標なので」
いたずらっぽく彼女は笑う。
「……まあいい。夢のある話じゃないか。夢があってこそ科学は進歩する」
「あら、先生はそういうこともおっしゃるのですね。では私の最後の夢もお話しますね」
まだあるのか。これ以上は月刊ムーでやってくれ。
「私は異世界に行ってしまった弟を現世に取り返したいのです」
それは……。
「死者蘇生ということか?」
由良は寂しそうな顔をして、首を横に振った。
**
小鍛治由良、君は一体どこにいる?
「小鍛治くん、いたら返事してくれ。小鍛治くん、小鍛治。……由良!」
返ってくるとも思えぬ返事を待ち、自分の半分近い年齢の少女を僕は探し続ける。
いや、僕が探しているのは本当は、死んだ婚約者なのかもしれない。
彼女は由良に似た声色の持ち主だった。顔だちも違えば背も高く、何より性格が違う。しかし不思議なほど由良と声が似ていて、それが僕が由良の絵空事に口を挟めない理由だった。
僕の博士号の目処がついた頃、彼女は死んだ。僕の悲しみだの愛だのは割愛させてもらう。僕の執着具合で全てを察していただきたい。この場で最も重要なのは、彼女を亡くしたという事実だ。
由良も弟を亡くしている。そして由良は弟の魂を現世に戻そうとしている。真剣に、科学を用いて。オカルトは嫌いだが、それを科学に
僕はその話に乗る。むしろ人生をかけてみせる。だから人生をかける対象、小鍛治由良に消えられるのは困るのだ。
死者を蘇らせて冥王ハデスの怒りを買い、ゼウスに粛清されたギリシア神話のアスクレピオスとなったとしても、僕は死んだ彼女のために科学の力で彼女を取り戻す。
由良が弟の【転生】を目指すなら、僕だって彼女の【転生】を叶えられるはずだ。クローンとかそういうおためごかしでない、死んだ彼女の魂をどうにか現世に持ってきたい。
小鍛治由良、君は恐らくここにいる。
彼女が弟を失った山だ。大きいが、時間をかければ探せない訳ではない。由良は弟の話を秘密にしたがった。だから僕はこうして一人で山に入っている。周囲も暗くなった頃、僕の背中の方からガサリと音がした。……動物か?
「……先生」
「小鍛治くん……!」
そこにいたのは泥にまみれてはいるが確かに由良だった。
「僕は小鍛治です。でも先生の探している由良ではありません。由良は死んだのです」
「……しかし、外見は確かに小鍛治くんだが」
「僕は由良の弟、
鳥肌が立った。由良の語った夢物語と似ている。しかし、
つまり彼女は狂ったか、彼女の中身が本当に入れ替わっているかのどちらかだ。いずれにせよ、ここに居るのは元の由良ではない。
「……やめてくれ。医療機器もない山奥で脳挫傷で脳がリセットだと? すまないが、君の話を信じることは難しい。僕はあくまで科学屋だ。オカルトを科学に持ち込むのは歓迎だが、科学に持ち込めないオカルトは不要だ」
「僕が転生した異世界のこと、姉が僕を探す理由、そして姉の思想の原点。全て説明します。でも説明しかできません。今度は僕が由良を現世に取り戻します。そのためには先生に信じてもらうしかないんです」
由良が縋るように僕の両手を握る。手を取られた僕は黙って俯いた。
信じる? 何を。科学かオカルトか、僕は究極の選択を迫られている。
科学を取れば、僕は由良を、そして死んだ彼女を再度失ったことを認めざるを得ない。オカルトを取れば、僕は科学屋ではなくなる。
小鍛治由良、君は一体どこにいる?
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